バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

子どもの理解にどこまで寄り添うべきか

2012-05-24 09:12:43 | バネ
 中2が今取り組んでいる図形の証明問題。多くの子が、苦手とする単元。自分も当時得意ではなかった。特に、穴埋め形式が。他人の着眼をなぞりながら埋めていく、あれ。バネでもそういう子多かった。「意外と面倒なんですよね、これ」って言っていた。
 しかし最近は違う。
 「証明ってどうやるんですか?」の質問に始まる。何度説明しても、論理的に理解できない。設問から仮定と結論すら抜き出せない。そしてテキストの例題そっくりに書き進める。「対応する辺は等しいから」って最後持っていく場合でも、例題で「対頂角は等しいから」となっている為、どの問題でも「対頂角は等しいから」を繰り返す。それは違うよと言っても納得しない。こういう状況の子は一人ではない。しょうがないから、テストに出そうな証明問題数問を丸暗記せよ、ってことになる。こういう子が証明問題で得点できるのは、穴埋めくらいになるから、穴埋めはラッキー問題ということになる。
 うーん、と実に重たい気持ちになる。

 中学生がミスしやすいポイントを先回りしながら、時には後出ししながら指摘してきた。おそらく学校の授業もそのように進んでいるんだろう。しかしこれではダメだと思う。ポイントはこれです、って指摘する箇所以前に多くの穴がある。「これは当然わかるだろう」といってスルーして、ポイントだけ指摘していては、結局何もわからなかったことになる。そして冒頭の「証明ってどうやるんですか?」を繰り返すのである。

 小学生は接続語の学習をした。簡単な単文をつなぐ練習で、使う言葉は選択肢として記しておいた。
 「私は医者になりたい。」「勉強をしたくない。」をつなぐ。この場合逆接の「しかし」を選ぶところ、順接の「だから」を選んでいた。え、まじ?って反応したくなるけど、いや待てよ、もしかしたら医者になるには、人一倍の努力と猛勉強が必要であると言う周知の事実が、共通認識としてないってことかもしれないと思った。「寝る前にたくさん飲んだ。」「おねしょをしなかった。」これは「しかし」で正解していた。

 子ども達に何かを教えるには、この状況をスルーしてはいけない。
 当然わかるだろうっていうことの範囲が急速に狭くなってきている。そこを押さえないと、「あの先生、何言ってるかわからない」ってことになってしまう。