先日の断水騒ぎで思ったことは、排泄物を水で流すという今の処理法は、この先危ういということ。
とにかくいちいちそれなりの量の水を必用とする。人間の生命維持に必用な水でありながら、ゴミ(この場合排泄物)を捨てるために大量の水を使う。日頃当たり前に行っている行為が、かなりの水の無駄遣いであるということを実感。
あれほどの水を使わずに、衛生的に、簡易に処理する方法はないのか。ダーっと風で浄化槽に送るなんてどうだろう。しかしこの場合、電気を必用とする。今さら昔のボットンには戻れないし。
ボットンといえば、トイレの外に吊していた手洗い。下からチョンチョンとやると、使う分だけ水が出て。でも子どもがやると、たいてい脇の下まで水が流れ込んでしまう、あれ。今回は、あれほしかった。ちょっとの水で手軽に手を洗う。あれ、どこかに売ってないかな。
なんか面倒だぞっていうことを「水に流してきた」これまでのやり方が、いろいろなところでほころび、「さぁどうする」って詰め寄られて立ち往生って感じかな、日本。
などと、最近は電気の無駄遣いに目くじら立てていたけど、水の使い方にも気を配るようになった。
あの断水の日、近所で洗車している人がいた。井戸水なんだろうけど、何も今日やらなくてもね。
翌日、子ども達に断水の1日の様子を聞くと、たいしたことない様子だった。
「おばあちゃんちの井戸水もらってきたから、トイレ困らなかった。」「うちは井戸だから、風呂はいれましたよ。」など。
「先生は風呂どうしたんですか?」
「翌朝はいったよ。」
「えっ!」
えっ!はないでしょ。ああいう日は風呂に入れないの、普通じゃん。
とにかくいちいちそれなりの量の水を必用とする。人間の生命維持に必用な水でありながら、ゴミ(この場合排泄物)を捨てるために大量の水を使う。日頃当たり前に行っている行為が、かなりの水の無駄遣いであるということを実感。
あれほどの水を使わずに、衛生的に、簡易に処理する方法はないのか。ダーっと風で浄化槽に送るなんてどうだろう。しかしこの場合、電気を必用とする。今さら昔のボットンには戻れないし。
ボットンといえば、トイレの外に吊していた手洗い。下からチョンチョンとやると、使う分だけ水が出て。でも子どもがやると、たいてい脇の下まで水が流れ込んでしまう、あれ。今回は、あれほしかった。ちょっとの水で手軽に手を洗う。あれ、どこかに売ってないかな。
なんか面倒だぞっていうことを「水に流してきた」これまでのやり方が、いろいろなところでほころび、「さぁどうする」って詰め寄られて立ち往生って感じかな、日本。
などと、最近は電気の無駄遣いに目くじら立てていたけど、水の使い方にも気を配るようになった。
あの断水の日、近所で洗車している人がいた。井戸水なんだろうけど、何も今日やらなくてもね。
翌日、子ども達に断水の1日の様子を聞くと、たいしたことない様子だった。
「おばあちゃんちの井戸水もらってきたから、トイレ困らなかった。」「うちは井戸だから、風呂はいれましたよ。」など。
「先生は風呂どうしたんですか?」
「翌朝はいったよ。」
「えっ!」
えっ!はないでしょ。ああいう日は風呂に入れないの、普通じゃん。