イメージを形にする作業はおもしろい。
最終仕上がりを目指し紆余曲折していくことになるけど、わざと回り道したり、近道選んでみたり。油絵の世界はまさにこんな感じ。こう表現したい。だからそこに到達する前にあえて黒を置き、その次ぎに白をかぶせてみたりする。傍観者は途中乾燥待ち状態を見て、「これは仕上がりじゃないでしょ?」となかば不安そうに聞いてくるけど、終着点がはっきり見えている時は、何言われても聞く耳持たない状態になる。先がよく見えない時は、自分自身が傍観者となり、自問自答しながらあーでもない、こーでもないと色こねくり回しているうちに、ふいに仕上がりに向かう。先達はあえて途中口を出さない。それは最終イメージを最大限尊重しているし、失敗も経験のうちと傍観に徹している時もある。
一人の作業は常にこんな感じ。でも共同作業となるとこうはいかない。なぜ白の前に黒を塗るのかを説明し、全員が納得しないと濁った白になってしまう。最終イメージがぶれないよう常に全員で確認していないといけない。農耕民族日本人は本来共同作業得意なんだよね。
バネでは、この最終イメージを保護者や子どもたちとすりあわせすることになる。中学生になると直接本人と話し合える。「あのー、過去問解きたいんですけど。」と主張してくるけど、今は過去問ではなくその前に何をすべきかとか、入試に向かうまでの全体スケジュールを説明した。納得して学習できればより濃いバネ時間となることでしょう。帰り際の話し合いだったので、説明中途半端で終わってしまったから、次回はじっくりむかおう。先達として伝えることはたくさんある。
最終仕上がりを目指し紆余曲折していくことになるけど、わざと回り道したり、近道選んでみたり。油絵の世界はまさにこんな感じ。こう表現したい。だからそこに到達する前にあえて黒を置き、その次ぎに白をかぶせてみたりする。傍観者は途中乾燥待ち状態を見て、「これは仕上がりじゃないでしょ?」となかば不安そうに聞いてくるけど、終着点がはっきり見えている時は、何言われても聞く耳持たない状態になる。先がよく見えない時は、自分自身が傍観者となり、自問自答しながらあーでもない、こーでもないと色こねくり回しているうちに、ふいに仕上がりに向かう。先達はあえて途中口を出さない。それは最終イメージを最大限尊重しているし、失敗も経験のうちと傍観に徹している時もある。
一人の作業は常にこんな感じ。でも共同作業となるとこうはいかない。なぜ白の前に黒を塗るのかを説明し、全員が納得しないと濁った白になってしまう。最終イメージがぶれないよう常に全員で確認していないといけない。農耕民族日本人は本来共同作業得意なんだよね。
バネでは、この最終イメージを保護者や子どもたちとすりあわせすることになる。中学生になると直接本人と話し合える。「あのー、過去問解きたいんですけど。」と主張してくるけど、今は過去問ではなくその前に何をすべきかとか、入試に向かうまでの全体スケジュールを説明した。納得して学習できればより濃いバネ時間となることでしょう。帰り際の話し合いだったので、説明中途半端で終わってしまったから、次回はじっくりむかおう。先達として伝えることはたくさんある。