ピーターラビットのシュガーポットとなりにけり車もて運びし古本の山
私の所持品で目につくのはCDと書籍である。置き場所にも困るので折々に少しずつ売ったりしていたが、乳がんを発症して「終活」を意識し始めてからは、一層処分に勤しむようになってきた。
私は遅読のため、目を通すべきものを放っておく傾向があり、家はどんどん乱雑になってくる。大学の同窓会報も三年分ほど薬籠の下に封筒のまま溜め込んでいたが、いよいよこれは処分しなければ駄目だと一気に開封した。自分とは天地ほどの差のある同窓生の活躍ぶりの記事は読み流していったが、一つ目に留まったものがあった。【◯◯大学古本募金】というリーフレットである。読み終えた古本や、CD・DVD等を指定の古本屋に送って査定された買取額が、私からの寄付として母校の大学の図書館に寄付されるという仕組みらしい。
これは時効のない事柄かもしれないが、私は大学時代、図書館の蔵書に鉛筆でずいぶん線を引いた記憶がある。用が済んでも消しゴムで消したりせずそのまま返却していた。いくら私の手狭な部屋の中では存在感を主張している本の山と言っても、売りに出せば雀の涙程度。今さら大学への古本募金をしたところで代償になるわけではないことはよく分かっている。しかし、親のお金を使って学費の高い大学に入れてもらい、我がまま一杯に大学生活を送って、母校のためになることは何もしてこなかったのだから、せめて今後本やCDを売る時はいつもこの古本募金で寄付することにしようと決めたのだった。
とりあえず小さなダンボール三箱分を送った。一週間ほどで古本業者から査定額の通知が送られてきた。金額は案の定。でも私に残ったのは清々しさだった。詩編49編18節の「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない」の御言葉を、悲壮感なくそのまま受けとめられることの幸いを思った。
掲出歌も、山ほどあった古本がシュガーポット一つに換わったことに幾許かの哀感を含みながらも、自分の晩年を自ら収拾していったことでさっぱりした稲葉の心持ちが伝わってくるようだ。
さて、そのように気構えつつも私の人生もしばらくは続くだろう。だからこうして本を処分しながらも、また少しずつ買っているのも事実。けれど購入する本は以前より厳選している。それは、その読書の跡を形に残しておきたいと思うからだ。「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には 仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」(コヘレトの言葉9章10節)という御言葉は、そんな私の脳裏に常に置かれている聖句である。
稲葉京子『椿の館』
私の所持品で目につくのはCDと書籍である。置き場所にも困るので折々に少しずつ売ったりしていたが、乳がんを発症して「終活」を意識し始めてからは、一層処分に勤しむようになってきた。
私は遅読のため、目を通すべきものを放っておく傾向があり、家はどんどん乱雑になってくる。大学の同窓会報も三年分ほど薬籠の下に封筒のまま溜め込んでいたが、いよいよこれは処分しなければ駄目だと一気に開封した。自分とは天地ほどの差のある同窓生の活躍ぶりの記事は読み流していったが、一つ目に留まったものがあった。【◯◯大学古本募金】というリーフレットである。読み終えた古本や、CD・DVD等を指定の古本屋に送って査定された買取額が、私からの寄付として母校の大学の図書館に寄付されるという仕組みらしい。
これは時効のない事柄かもしれないが、私は大学時代、図書館の蔵書に鉛筆でずいぶん線を引いた記憶がある。用が済んでも消しゴムで消したりせずそのまま返却していた。いくら私の手狭な部屋の中では存在感を主張している本の山と言っても、売りに出せば雀の涙程度。今さら大学への古本募金をしたところで代償になるわけではないことはよく分かっている。しかし、親のお金を使って学費の高い大学に入れてもらい、我がまま一杯に大学生活を送って、母校のためになることは何もしてこなかったのだから、せめて今後本やCDを売る時はいつもこの古本募金で寄付することにしようと決めたのだった。
とりあえず小さなダンボール三箱分を送った。一週間ほどで古本業者から査定額の通知が送られてきた。金額は案の定。でも私に残ったのは清々しさだった。詩編49編18節の「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない」の御言葉を、悲壮感なくそのまま受けとめられることの幸いを思った。
掲出歌も、山ほどあった古本がシュガーポット一つに換わったことに幾許かの哀感を含みながらも、自分の晩年を自ら収拾していったことでさっぱりした稲葉の心持ちが伝わってくるようだ。
さて、そのように気構えつつも私の人生もしばらくは続くだろう。だからこうして本を処分しながらも、また少しずつ買っているのも事実。けれど購入する本は以前より厳選している。それは、その読書の跡を形に残しておきたいと思うからだ。「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には 仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」(コヘレトの言葉9章10節)という御言葉は、そんな私の脳裏に常に置かれている聖句である。