① 10時過ぎに掃除機をかけ、洗面台の排水口ゴミキャッチャーを取り替えられた。感謝。
② 午前は掃除と歯磨き以外は基本的にグッタリしていた(日記や、聖書とオズワルド・チェンバーズの通読はしたが)。午後一でMacBook起動し、こひつじの会主催の12月イベントのチラシ原案をさらに微調整して、7枚プリントアウト。また、こひつじの会の立案による12月の企画三つを束ねる脚本を7部プリントアウトできた。感謝。
③ そのついでに、教会の礼拝説教blogより、2021年10月の説教音声を二つ削除できた。感謝。
④ その後、ダニエル・デフォー『ペストの記憶』を引き合いに、聖書黙想を書けた。感謝。
⑤ 明日は、礼拝後にこひつじの会のミーティングがある。ちゃんと礼拝出席できますように。中身の濃い話し合いができますように。
1665年のロンドンでのペスト流行についてのルポルタージュである『ペストの記憶』(ダニエル・デフォー著/武田将明 訳)に「逃げるべきか、留まるべきか」という章がある。
語り手のH.F.は馬具の商いをし使用人を抱えていた。ペスト感染を避けるために仕事と店を放り出して疎開するのは無責任に思えて兄に相談したが、兄は「ペストの最善の予防策は逃げることらしいぞ」と反対。一旦は説得されかかったH.F.だが、なかなか退去しないH.F.を使用人が見限ったり、様々な邪魔が入るうちに、「留まれというのが本当に神の命令ならば、いまからどんな死の危険に取り巻かれようとも、神はぼくをしっかり護ってくださる」と改めて思い、その意志を兄に告げた。だが自身も信仰の篤い兄はそれを笑い飛ばし、些細な邪魔が入ったことを神の思し召しと考える愚かさを、兄の訪れたアジア地域での見聞を基に筋道を立てて反論した。最終的にH.F.は祈って与えられた聖書の御言葉(詩編91編)で、ロンドンに留まる決意をする。
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<新共同訳 ルカによる福音書12章54〜57節>
イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
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プロテスタント教会の三大原理は、「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」とされているが、どうも今の所属教会を見てると、そうはなってないよなぁ、と感じる。聖書のどの部分を読むのも、牧師先生なり教団のお偉いさんなりが仰ったようにしか捉えてはいけない、判断に迷うことは全部牧師先生にお尋ねして、authorizeしてもらわなきゃ駄目、みたいなノリなんである。牧師先生だって、得意分野・不得意な分野があるだろうし、全部の事柄を明確に指示できるわけではないのに、その言葉の枝葉末節に飛びついて、けど従って上手くいかなきゃ牧師先生に全責任をなすりつける、という風なんだよなぁ……牧師先生が病気になるの、当たり前だよ?信徒がそんな感じじゃあ、と私なんかは思っちゃうよ。
勿論、独善的になるのは良くないが、所属教会員には付和雷同の傾向を強く感じる。