毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「大学院入試終わる」    2012年1月9日(月) No.259

2012-01-08 23:26:01 | 中国事情
 1月8日(日)、中国の大学院入試が一斉に行われた。南昌市でも中学校、高校までをも会場に使うほど、志願者は多い。
 4年の範さん、劉さん、黄さん、そして郭さんを試験の労をねぎらって夕食に招待した。他にも何人もの4年生がいろいろな大学院を受験しているが、こちらに赴任して以来ずっとお世話になってきたこの4人には、やはり特別の思い入れがある。できれば4人そろって合格してもらいたい。
 しかし、範さん、黄さんは北京の語言大学とかいうとんでもない難関を受験した。ここに受かれば外交官にもなれるという超エリートが行くところだ。劉さんも南の難関、広州ナントカ大学だ(聞いても聞いてもすぐ忘れる。中国語の名前はホンマ覚えられへんわ)。郭さんだけが、この財大で金融専門を受験する。

 5時に試験が終わり、黄さん以外の3人がそれぞれの会場から我が宿舎に到着したのは7時頃だった。皆、2日前から会場近くのホテルに泊まり込んだと言う。海外旅行にでも行ってきたのか、と見間違うほどの大きい真っ赤なスーツケースを持って帰ってきたのが範さんだ。後の子達はバックパック一つにコンパクトにまとめていた。
 一度寮に帰って荷物を置き、それからこちらに7時半頃やって来た黄さんは、入って来るなりシクシク泣き出した。試験がそんなに難しかったのか、と聞くと、
「そうじゃなくて、もう、何もかも終わったと思ったら泣けてきました。」
と言う。皆も、一瞬目がウルウルになった。

 思えば、長い間緊張と闘い、挫ける心に気合いを入れて、朝から晩まで図書館に籠もり、彼女たちは出来る全てをやってきたのだ。結果は3月まで分からないが、取りあえず、
「ご苦労様。よくやったね。」
と言ってあげた。後は、運が良ければ受かるし、悪ければ落ちる。落ちたらすぐさま就職口を探さなければならない。金持ちじゃない彼女たちには、それ以外の選択肢はない。

 どんなことになっても、これから先の彼女たち、彼たちに幸多いことを祈る。

*明日から劉さんの故郷樟樹近辺の農村に連れて行ってもらうので3、4日ブログは一休み。また農村から帰ってきたら江西省の農村の様子を紹介するのでお楽しみに~。
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「老師のお宅訪問」     2012年1月8日(日) No.258

2012-01-08 10:11:49 | 中国事情
 朱先生は十年以上前に岐阜県の高校で中国語を3年間教えていた経験があり、いつも私が帰国するとき、3年間下宿していた家へのお土産を託される。義理堅い中国人の一面を垣間見る思いだ。

 南昌市内の、マンションが林立する住宅街の一角に朱先生のマンションはあった。マンション前には噴水があり、そこで春節前夜は夜明けまで人々が集い、騒ぐんじゃなくて(^^;)、お祝いするそうだ。普段は節水のため、水はない。そういえば、八一広場も夏には超ど派手な噴水が30分毎に上がるが、この前岩崎カップルや陳さん、黄さんと行った時には、その気配もなかった。やるときゃ派手に、普段は質素に、が江西省スタイルのようだ。

 朱先生の家は24回建てマンションの10階だ。エレベーターで上っていくと、その階は、廊下を隔てて朱先生の家と向かいの家の2軒しかない。いや~、本物のマンションだ。小さい靴箱がドアの前に置いてある。「マンション廊下は公共の空間」という概念は江西省ではあまりなく、私の宿舎に遊びに来る子たちも、まず全員が靴をドアの外や階段に置こうとする。
「そこに置くと邪魔になる。」とか「誰かに蹴飛ばされるかも知れない。」
と言っても、
「大丈夫、大丈夫。」
という答えが返ってくる。靴を持って部屋に入るよう説得することから始まるのが常だ。

 写真では空間の広さがあまり伝わらないが、たいへんな広さの豪邸だった。私の大阪の括弧付き「マンション」の優に三倍はある。財大の外国人宿舎に比べたら二倍くらいかな。学生達は、ふだん私の宿舎でも「大きい~!」とか騒いでいるので、この家の豪華さには息を呑んでヒソヒソ何やら囁き会っている。

しかし、ソファー前卓上の『オレオ』(中国語で『奥利奥』。これも輸入品なので高~~い!)の缶を勧められると、ワラワラと缶のテープを開け、バクバク食べ出した。ここからはいつもと同じ…。



 私は、老師がどうしてこんな高級マンションに住めるのか、大学の給料は3000元ぐらいだと聞いているので(プラス何クラスか余分に受け持つと平均5000元ほどになるそうだが)、お連れ合いの収入が気になった。
 私の厚かましい質問に朱先生が気さくに答えてくださった話に依ると、彼の給料は最初3000元で、普通だったが、彼女が日本で働いた3年間の貯金が物を言って、まずこぢんまりしたアパートを買い、それを2度買い換えて、今のマンションに落ち着いたそうだ。4年前に買ったときは今よりずいぶん安かったが、買った直後に地下鉄の駅が近所にできることになり、一気に値段が跳ね上がったという。
 新平老師が羨ましがっていたのも無理はない。そうは言っても新平老師もマンションを2つも買って持っている。そして朱先生も…。2人は中国で成功した人達と言えよう。その成功に、日本での収入が寄与したことを聞くと、少し複雑な気持ちになる。皆が皆、日本に行けるはずもないのだし、お金の価値の落差を利用する方法は、私の生き方にはない。
 農民工を親に持つ学生達にとっては、自分の夢に描く暮らしを見る思いだろう。一人の学生は、
「羨ましいです。でも、私は田舎に帰りたい。そうなるといい仕事はありません。困ったなあ。」
と、ため息をついた。

 朱先生は地元の料理で持てなしてくださった。初めていただいたものが下の写真である。

まずこれ。「鴨の足」
甘辛の味付けで美味しいのだが、食べられる部分は少ない。黄さんは「鶏の足の方がもっと美味しい。」と教えてくれた。しかし、進んで食べようとは思えない。やっぱ、形がね~。



「豚ソーセージ」
作り方はソーセージなのだろうが、味はかなり異なる。美味である。お土産にもらった。朱先生のお母さんの手作りだそうだ。嬉しいな!



「ポーヤン湖に生えている草」
朱先生が出してくださったのは、南昌で栽培されているものだが、元々はポーヤン湖(江西省にある中国最大の淡水湖)の野草だったそうだ。葉っぱはむしって捨て、茎だけを食べる。そう言えば、学食で見たことがあったなあ。




 さんざんご馳走になりバス停まで送っていただいて、また学生と一緒に郊外の昌北経済開発・文教地区に戻ってきた。帰りはそんなに混んでいなかったが、やはり乗るとき人々は密集してぐいぐい乗り込む。一つ気がついたが、この強引さは一人っ子にはない。
 34人の2年生クラスの中で一人っ子はたったの5人。そのうち2人が一緒に参加していたが、何かにつけて、2人はポツンと立つことが多かった。バスに乗る際、不運にもその一人っ子の後ろについた私は思わず「がんばれ~!」
と背中を押した。だって~、みんなに次々抜かされてオタオタしてるんですもの~。
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