「ジャニーズがどうのこうのより自分の今の生活が大事だから」
と店の経営であくせくしている息子が言った。
私も心の平安が大切なので、たいがいの社会事象を
あれこれ考えてクサクサしないようにしている。
第一、この脳みそはもともと思考の許容量が少ないのだから。
それでも、この事件については気にするのを止められないでいる。
ライン漫画に印象的な文言があった。
「業界で特定の企業だけ大きく成長してしまうと
ことあるごとにその企業の顔色を窺わなきゃいけなくなるんです。
MSAの機嫌を損ねると制裁を受けるし、
手数料も勝手に決めちゃうし、情報を独占したり、
でたらめな噂を流したり、脅迫から監視まで、
一言でいうと、同じクラスにヤンキーがいるのと一緒なんです。
ずっと顔色を窺ってしまう……。」(『ナノリスト』110話)
文中の「MSA」を「ジャニーズ事務所」に置き換えると
いくつもの部分が違和感なく当てはまるのではないだろうか。
雑誌「AERA」は、ジャニーズ事務所のタレントとライバルタレントを
同時に掲載したことで事務所の機嫌を損ねて、
何年間もジャニーズタレントへの取材が許されなくなり、
上司が何年にも渡り、カノッサの屈辱みたいに平身低頭ペコペコして、
ようやく許してもらえたと当時の編集者が語っていた。
ジャニーズ事務所が各テレビ局に対して
ジャニーズ所属タレントとライバルを同時に出演させると
二度とその番組にタレントを出演させないと圧力をかけていたことは有名だ。
「それはビジネスとして当然であり、圧力ではない」という意見もある。
力関係が同等、または近似しているとき、
確かにそれはフェアな駆け引きであり、
変化の可能性を持つビジネス活動なのだろう。
しかし、一方が圧倒的な力で独占的決定権を持ってやりたい放題になると、
それは健全なビジネス活動とは言えない。
このような支配ー従属の関係が
日本のテレビ・マスコミ業界で「それは当然である」とされる有様は
「汚濁」「澱み」「腐敗」「闇」という状態を常に伴う。
そんな世界で生きるのは息が詰まる。
この闇状態はテレビ・マスコミ業界に限らず、
主な日本企業の体質なのではないか。
だから今、
街行くビジネスパーソンの表情が一様に詰まらなそうなのではないか。
未だにテレビ朝日、フジテレビなどが「重く受け止める」と言いつつ
ジャニーズ事務所のタレントを使い続ける一方、
大手企業は「ジャニーズ離れ」を加速させている。
新浪剛史経済同友会代表(サントリーホールディングス社長)が
「児童虐待があったことについて真摯に反省しているのか疑わしい」と発言し、
森永、カゴメ、KAO、アフラック生命保険などがジャニーズ事務所との契約を
終了、あるいは打ち切ることを発表した。
全国銀行協会会長加藤勝彦氏(みずほ銀行頭取)も
「性加害は許されない。今後の被害者救済・補償を切に願う」と。
ジャニーズ問題が「たかが芸能プロダクションのゴシップ」と捉えられ、
2004年、最高裁が「ジャニー喜多川の性加害はあった」と認めたことすら
ほとんど報道されなかった闇の時代がつい最近まで続いていたことも
まるでウソのような現在だ。
これは日本企業が人権を重んじる国際社会からつまはじきにされないよう、
経営リスクを避ける行為であり、真に人権を大切にしていることではない。
だってそうだろう。
これらの企業は、
今まで何十年も業界では有名だったジャニー喜多川の性加害をスルーして
ジャニタレをついこの間までさんざん使ってきた当事者なのだ。
もしBBCの放映や、国連人権委員会の調査がなかったら
今の事態はあり得なかっただろう。
ま、しかし、「嘘から出たまこと」という言葉もあるので
百年後ぐらいには少しは「まこと」に近づくのかも知れない。
⤵家の近所の川の釣り人3人。親子でしょう。
この川は魚影が濃く、たまにフナが飛び跳ねます。
⤵いろいろな鳥にも会えますよ。