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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

有事でもないのに続く米高騰、「国防」はどうなってるんだ

2025-02-20 15:36:03 | 日本事情

⤴「1918年8月13日岡山市内の『米騒動』。細雨降る中、雨合羽や外套に身を固めた若者などが市中の米倉を次々に襲撃。富豪澤田何某宅に火を放ち、邸は焼失。」

 

「国防」=「軍拡」と単細胞的に決めつけているのはネトウヨだけでしょう。

有事で外国との貿易ができなくなった場合に国民が飢えないように

食糧自給率を挙げること(今は38%だと)こそが国防の一丁目一番地です。

しかし、防衛費がアメリカに言われるままガンガン増額される反面、

農水省の予算はピーク時の4兆7000億円の半分2兆4000億円に減っているそうじゃないですか。

(先日、れいわ新選組高井崇さんの国会質問に拠る)

 

現在も続く「令和の米騒動」は日本政府の農業切り捨ての結果としか言いようがありません。

江藤農水相は「胃が痛くなるほど熟考した」結果、備蓄米21万t放出を決めたそうですが、

「今頃ようやくかい。遅いわ!」と呟く私です。

1970年から50年近く続いた減反政策は2018年に廃止されたけれど、

人間用のコメを生産しても農家の経営は成り立たないように設定されているため

(飼料用の米や米以外の食物栽培には補助金を出すとか)

人間用のコメを栽培している農家の多くは赤字で、従って後継者もなく、

今の日本の農家の平均年齢は68歳だと!

このままでは10年後、日本に農業従事者はいなくなります。

マリー・アントワネットみたく「米がなければパンを食べたらいいじゃないの」

が自民党政権のスタンスなんでしょうか。

「胃が痛くなるほど考えた」江藤農水相は一体何を考えたんでしょう。

農産物の外国輸出方針は今年も堅持し、

人間用コメの生産量は前年度と同じにしか設定していない政府は

日本国民の食の安全保障をあまりにも軽視しています。

国民が死んでしまったら国は成り立たないにもかかわらず。

いまの自民・公明に行政を任せている弊害がここにも表れています。

 

ちなみに、今息子の飲食店の確定申告の経費を打ち込んでいるので

米の値段の推移を参考までに下に挙げます。

地元の信頼できるお米屋さんから買っているので、

吹っ掛けられているとかじゃないと息子は言っています。

これを見ると、値上げは既に一昨年から始まっていて、お米屋さんは

値上げのたびに「まだまだ上がると思います。」と言ってはったとか。

ブレンド米が米屋さんに無くなって、今は高級コシヒカリしか買えません。

他の食材の値上がりとともに、

コロナ禍からなんとか抜け出そうと頑張っている小規模飲食店を

これでもか、と苦しめている米の高騰。

せめて、昨年秋、新米が出回っても値上げが止まらなかった時点で

備蓄米の放出を決められなかったのでしょうか、政府は(怒怒怒)。

~2023.8月

¥6,800

ブレンド米30㎏

’23.9月‐11月

¥7,200

  〃

’23.12月‐’24.2月

¥8,500

  〃

’24.3 月‐5月

¥9,200

  〃

  6月‐ 7月

¥9,600

  〃

   8 月‐11月

¥12,600

コシヒカリ30㎏

  12月21日

¥14,600

  〃

’25.1月~現在

¥15,800

  〃

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

〈付録〉

⤵面白そうだけど高い。・・・でも買おうかな、他で節約して。

NEOBK-2308434 

米騒動という大正デモクラシーの市民戦線 現代思潮新社:井本三夫著

「米騒動」は「非暴力の哀願運動」??
 1918年夏に日本全国で巻き起こった「米騒動」。百周年にあたる今年、各地で記念行事が開催されました。日本史の教科書に必ず登場する「米騒動」イメージは「女たちの一揆」「火付け・打ちこわし」でしたが、最近では「非暴力の哀願運動だった」と、「米騒動」イメージが変容させられつつあります。
 しかし、そのような「米騒動」の無害化ともいうべき動きは、近代日本最大の暴動型民衆闘争であった「米騒動」の史実にたいする歴史修正主義であると言わざるを得ません。

「米騒動」は労働者の闘いから始まった!
 しかし他方、「女たちの一揆」が全国的騒動のきっかけになったという従来の定説も、新たな視点からの資料の読み直しによって見直される必要があるのも事実です。「米騒動」をひきおこした1918年の米価高騰は実はその前年から始まっており、第一次大戦後の好景気がもたらした「金余り現象」とそれによる米への投機に原因がありました。シベリア出兵による米需要の逼迫が理由ではなかったのです。
 実際、米価値下げと同時に賃上げを求める工場や炭鉱などでの暴動型争議は、1917年夏から各地で勃発し、やがて植民地台湾や朝鮮へと飛び火します。従来の「富山から始まった」説のように米を移出する地域ではなく、大都市や鉱山などの大量消費地帯から、騒動は始まったのでした。まだ労働組合がなかった時代、労働者の不満や怒りは会社の事務所や工場の破壊をはじめとする暴動型争議というかたちをとっていたのです。(本体3,400円+税)(;^ω^)

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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結局・・・ (こきおばさん)
2025-02-21 06:30:30
 かって棄民にされた私にはもう、この国は国民を守らない!と思っていますから、これから若い人たちはせめて自分の食料を確保するように、農業につくことを薦めています。
主食のお米さえ、買えない人たちが居る事なんて政権に居る人はご存じないでしょうから。
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Unknown (ブルーはーと)
2025-02-22 01:10:13
>こきおばさん様
戦争をすること自体が棄民・殺民ですよね。日本政府がアメリカ追従から抜け出し、何とか予防外交へと舵を切って欲しいものです。今の政権じゃ無理ですけどね。
私も自分で米や野菜を作りたいです、近くで少しの土地を購入出来たら。加藤登紀子さんの娘・Yaeさんが千葉で農業をしながら、半農半歌手生活をしていると聞きました。いい暮らし方ですね。
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