加藤登紀子さんの歌声は、何十年も前から聞いています。
「帰りたい 帰れない」が初めに心に入ってきた歌でしたが、
「美しき 五月のパリ」と革命を歌ったかと思えば
「どこまで続く ぬかるみぞ 三日二夜を 食もなく~」と軍歌を歌う、
その縦横無尽さと歌心が、私は好きです。
彼女が歌う軍歌は、反戦歌です。
我が父は、脳梗塞で倒れ、意識がなくなっても
加藤登紀子さんの「知床旅情」を枕元で歌うと、
決まって泣きそうな顔をしました。
私は、意識が戻るかもしれないと思って、
何回も何回も「知床旅情」を耳元で歌いました。
しかし、泣きそうになるだけで、
意識は回復しませんでした。
三輪明宏さんの歌は
「よいとまけの歌」しか知りません(もう、それで十分満ち足りています)。
あとは、『もののけ姫』で森を守る犬神の声、
そして、数々の社会に対する意見です。
(そうだな、この人が言うことは本当だな)とずっと思ってきました。
毎日新聞ーー「おんなのしんぶん」でのツーショットがまたとないよさなので、
鮮明な画像を保存したかったのですが、どうしてもうまくいきません。
しかたなく、「おんなのしんぶん」の記事の一部分も一緒にコピーしました。
おときさん、ちょっと痩せたんじゃないの?
全国、全世界、駆け回りすぎて倒れないでね。
お会いしてはいないけれども、私には多くの先輩方がいて、いつも大きな背中を見せてくれています。
日野原さん、今夏お亡くなりになったんですね……。残念です。でも、先生が歩まれた道筋を、私たちは辿ることができます。そのことに感謝します。
蒲田實さんはNHKラジオ「命の対話」をよく聴いていました。村上信夫アナウンサーとの掛け合いであたたかく心を包容してくださったこと、覚えています。
2011年3月11日の映像を中国・南昌のCCTVで見た私はずいぶん落ち込みましたが、そのとき、蒲田實さんのブログを毎日読んで心を立て直しました。蒲田實さんと加藤登紀子さんは放射能に苦しむ福島の子ども達に、とミニCDを作られたり、独自に全力疾走で被災地支援に駆け回られる姿を見て、自分に(しっかりしよう。自分にもできることはないか探そう)と思うようになりました。
こきおばさんも、私に大きな背中を見せてくださっている先輩のお一人です。後ろをついていきます。
皆さんがよく知っている有名な方たちの発する言葉は、大きな影響力があり、重みがあります。
このうち、三輪さんの舞台は拝見しましたし、鎌田氏・日野原氏とは直接お会いしました。講演も何回かお聞かせいただきました。
太極拳を永年していますので、三輪さんの舞台から大きな気が感じられ、受け取りましたが、隣で一緒に見ていた親友は、何も感じなかったそうです。この年齢でハイヒールで舞台を駆け回るようにしていた姿に、感動を覚えました。
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