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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国とアイルランド⑦~異民族による侵略(韓国)

2009-09-11 23:15:23 | 近現代史
 韓国は古くから外勢(外国勢力)によりたびたび侵略され,数え方によりますが,金達寿によればその数3000回,司馬遼太郎によれば500回だそうです。10世紀以降の主なものを年表式にあげてみると

 993 契丹(遼)の侵入
1231 モンゴル(元)の侵略
1259 元に降服
1350 倭寇が頻繁に侵入
1359 紅巾賊,平壌に侵入
1592 秀吉の侵略(文禄の役)
1597 慶長の役
1627 後金(清)の侵略
1636 清の侵略

 このうち,長期に渡って占領されたのは「元」による高麗支配です。元は,その高麗に命じて二度にわたり日本侵略を試みましたが,台風と鎌倉武士の奮戦により,その野望は砕かれました。日本侵略に使われた船を建造したのは高麗。

「高麗は,わざと船をもろく作ったから神風で沈んだのだ。日本が元の支配を免れたのは高麗のおかげだ」

という珍説を,韓国で聞いたことがあります。日本本土の被害は軽微だったとはいえ,対馬は大被害を受けました。初期の倭寇は,元寇に対する復讐が動機だったと言われます(後期倭寇は動機も民族構成も変質)。

 それはともかく,元支配下の高麗がいかに辛酸を嘗めたかは,井上靖の名作『風濤』が感動的に描いています。

 たとえば元に支配されて以降の7人の王のうち,幼少にして死んだ二人をのぞいて元皇室との結婚を強制され,また高麗美女を元に送るために結婚都監という特殊な部署を設置させられました。そうして送られた中の一人は,元皇帝の第二夫人となりました。


 韓国では侵略・占領されたことに対する恨みと,その後の儒教的華夷意識により,元から文化的影響を受けた事実を否定する傾向がありますが,このあたりは外国に移って活動している韓国人学者のほうが,史実を冷静に見られるようです。

 蒙古の影響は服装の面でも急速にあらわれた。1260年フビライ汗自身は,朝鮮人はひきつづき朝鮮服を着るように主張したという。それでも1276年になると,高麗宮廷の蒙古服着用奨励措置を妨げはしなかった。そのうえ,数多くの高麗貴族が自分の名として,朝鮮名以外に蒙古式人名を使った。そのあまりの熱心さに,さすがのフビライ汗も疑いを抱いたにちがいない。ともあれ,1278年かれは高麗王に,「なぜ,なんじは自国の習俗を捨てるのか」とたずねたという。(李玉『朝鮮史』クセジュ文庫,李玉は仏ソルボンヌ大教授)

 「衣」においては,元より棉花が導入され,それまでの麻にかわって綿の服が普及します。また,「食」においては,仏教の影響で禁止されていた肉食が復活しました。

 韓国国定教科書では,国難を乗り切るための護国仏教と壮大な「高麗大蔵経」の製作が高麗時代の文化面の成果として大書されていますが,実際にはこの時期に起こった数々の災害によって,結果的に仏教信仰は傷つけられ,儒学者たちはこのときとばかりに,仏教徒の不徳の行為,「シャーマン的」迷信に対するかれらの寛容さ,大寺院の国政介入,そして高利貸しなどあらゆる手段をつくして行われたかれらの蓄財にたいし,きびしい非難を浴びせました。元の時代の重要な変化は「朱子学」の隆盛です。

 アイルランドにおいて異民族の支配者だったノルマン人は,当初平野部に入植し,山岳部のアイルランド人と棲み分けていたが,徐々に支配地域を広げていき,1250年までには全島の4分の3を支配下に置いた。しかし,アイルランドにおけるノルマン人の人口はそれほど多くなく,イングランド王もフランスとの争いに注意を奪われ,アイルランド経営が疎かになっていった。侵略者は次第に土着化。イングランドへの忠誠が弱まったため14世紀には,ノルマン人が直接支配する地域はダブリン周辺のみになった。

 モンゴル人は1356年に高麗支配を放棄しますが,この誇り高き草原の民は,馬を降り地にはいつくばって耕作をすることを潔しとせず,農耕民族である高麗に同化することなく,草原に帰っていきました。

 元が去ったあと,高麗は親元派と親明派が対立し,結果的に李氏朝鮮が成立します。中国と韓国は,ともに一字姓を基本としますが,中国に多い「」姓は,韓国にはない。そのかわり「」姓は中国に少ない。実は,高麗王朝の始祖は「王建」。高麗王朝は「王」姓だったのですね。ところが朝鮮王朝を開いた李成桂は徹底的に高麗王朝を弾圧,親戚はことごとく殺戮しました。当時「王」姓を名乗っていた人々は一斉に改姓。ただ,もとの姓の「王」の痕跡をとどめるために,漢字の中に「王」が入っている「金」「全」「田」などの姓に変えたということです。韓国に金姓が多いのには,こうした理由もあるんですね。

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7 コメント

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顔と体格 (鳳仙花)
2009-09-13 22:52:56
いつもながらの博識の深さ、興味深く拝読。
金姓の多い謂れ、初めて知りました。

韓国人特に男性は日本人男性より体格が勝っていますね。
一般人で時折、朝青龍のように体系だけでなく顔も大きく顔立ちの似た人がいます。

ソン ガンホやシルムのチャンピオンだったとかの司会者で活躍している男性を見るたびに「モンゴル系」と思っていました。
顔の小さいことへの憧れは日本人以上だし、美男美女の褒め言葉に「顔が小さい」と必ず書かれていますね。
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寒冷対応 (犬鍋)
2009-09-14 02:20:17
鳳仙花さん,コメントありがとうございます。

たとえば熊は,マレーグマ→ツキノワグマ→ヒグマ→北極熊というように,暖かいところから寒いところへ行くにしたがって体が巨大化します。これをベルクマンの法則といいます。

また,モンゴル内陸部は冬の最低気温が世界でももっとも低いといわれますが,その寒さから眼球を守るためにまぶたが一重で厚くなり,凍傷にならないよう,体の突起部分が低くなり,体毛に霜がついて凍結するのを防ぐため体毛が薄くなり,また冷たい外気を温めるのに有利なように,頬骨がせりだして気道を長くします。結果的にあのモンゴルの顔だち,体型が生まれるのですね。これ,ミラーの法則だったと思いますが,ネットで検索しても出て来ない…

韓国人は,日本人に比べて寒冷対応の進んだ民族だと思います。
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ミラーじゃなくて (犬鍋)
2009-09-14 02:47:33
アレンの法則でした。
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それから (犬鍋)
2009-09-14 02:51:17
現代韓国に「金」が多いのは,朝鮮時代末期にが解放されたとき,「創姓」するにあたって,「寄らば大樹」で,名門とされていた「金海金(キメキム)」の家系を借用した人々が多かったから,という説もあります。
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風濤 (鳳仙花)
2009-09-17 00:06:27
教えて下さった『風濤』をハーバード大学のイエンチェン図書館で働く友人にお願いしますと、蔵書目録から探してくれました。

 お陰で新しい知識が増えております。
有難うございます。

 ところでモンゴル人の顔の造形の説明文、いつか私のブログに引用させていただいて宜しいですか?
40代以下の日本人医学者たちに「蒙古人症」と言っても今まで誰も知っている先生はいませんでした。
差別用語で死語となったのでしょうね。
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鈴木秀夫 (犬鍋)
2009-09-18 01:05:05
『風濤』は感情移入を排し,淡々とした文体で綴られていますが,著者の高麗に対する深い愛情が感じられる名作だと思います。

チンギスカンを主人公にした,同じ著者の『蒼き狼』もお勧めです。

それから,モンゴル人についての内容を引用することはまったくかまいませんが,25年ほど前に,鈴木秀夫という地理学者から聞いたことを,記憶で書きましたので,正確を期したければ,次の書籍に当たることをお勧めします。
鈴木秀夫『氷河時代』

同じ著者の『気候の変化が言葉をかえた』も,言語年代学と気候学をつなげる壮大な理論で,刺激的です。
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風濤 (鳳仙花)
2009-09-19 10:41:12
 今日、早速手に入れてきました。
「昭和46年5月24日 第一刷発行」と記されています。
定価が520円とあります。

有難うございました。
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