ヤンゴンの中心に位置するシュエタゴンパヤー(シュエダゴンパゴダ/シュエダゴン寺院)は壮大です。
千年以上前に創建され、現在もなお人々の宗教生活の中心にあるこの寺院が、世界遺産に登録されないのは、遺跡などと違い「生きている寺院」ゆえに、絶え間なく改装、改築が行われているためだ、ということをテレビで見たことがあります。
確かに、中の仏像は金箔で金ぴかであるだけではなく、現代の技術を取り入れて、電飾(ネオン装飾)が施されていたりします。
寺院の敷地内は、大部分、大理石が敷きつめられています。寺院内は、履物禁止で、信者ではない観光客も、入り口で靴、靴下を脱がなければなりません。
私が入った門には、高台にある寺院につながるエレベーターがありました。エレベーターに乗る前に入場料を支払い、靴を預けます。雨上がりで濡れた大理石の地面が、裸足の足に心地よい。
広い寺院内にはたくさん仏像があり、敬虔な仏教徒が祈りをささげています。
展望台のようなところでは、ヤンゴン市内が一望できるスポットもあります。
一時間ほど寺院内を静かに回り、同じエレベーターで降りました。靴が預けてあるので、別の出口から出られないからです。
靴を受け取ったとき、下足番(?)の女性から、ウエットティッシュを渡されました。
これで足の裏をふきなさい、という優しい心遣いです。
私はありがたく受け取り、足の裏を清め、靴下、靴を履きました。
さっきの女性にほほえみかけて、そのまま行こうとすると、女性は傍らのかごを指さします。
かごの中にはチャットの小額紙幣が入っていました。
ウエットティッシュはタダではなかったのでした。
まだ明るかったので、タクシーでボージョーゼー(ボージョー市場。外国人向けお土産マーケット)に向かいました。ミャンマーのタクシーにメーターはなく、すべて事前交渉性。ただ、市内はどこに行くのも(外国人なら)3000チャット(300円)。外国人用特別料金なのでしょうが、円換算すれば安いので、値切ったりはしません。
マーケットには、貴金属や民族衣装、エスニックな生地でつくった小物などを売る店がびっしりと並んでいます。服を売っている店は、奥で縫製を行っていて、使っているのは足踏み式ミシン。
(懐かしい)
昭和ひとけた生まれの私の母は、昭和20年代後半に結婚したとき、洋裁を仕事にしていた父親からの「嫁入り道具」として、大正時代製造のシンガーミシンを持ってきたそうです。
長らく使われたミシンは、私が小学生の時に電動のブラザーミシンにとってかわられましたが、母は捨てるに忍びなかったのでしょう。部屋の片隅にひっそりと置かれていました。
それと同じ型の足踏み式シンガーミシンが、現代のミャンマーでは、いまだ現役なのでした。
マーケットを歩いていると、私を日本人と見て、いろいろな客引きが寄ってきます。女性も男性も、大人も子供もいますが、概して日本語がうまい。片ことではなく、ペラペラの水準です。
立ち止まることなく彼らの話を聞いていると、最初は絵葉書や扇子のような小物を進めますが、どうも本命は翡翠(ひすい)のようでした。
別に買うつもりはなかったのでそのまま通り過ぎましたが、15歳ぐらいの男の子と10歳ぐらいの女の子が、しつこく追いすがってきました。二人がかわいいし、健気なので、立ち止まって話をしました。
「日本語、うまいね」
「ありがとう。英語のほうができるけどね」
(すごい!)
「漢字も読めるの?」
「読めない。ひらがなもだめ。字は読めない。しゃべるだけ」
ぺらぺらしゃべるけれども、文字が読めないという例に、外国でときどき出会うのですが、「外国語の勉強は文字から」という先入観の強い私にとって、とても不思議です。
最後に、それぞれから20枚綴りの絵葉書(片方は写真、片方は水彩画)を言い値の三分の一に(1500円と言われたのを500円に)値切って買ってあげました。それでも、ずいぶん儲けが残ったはずです。
ボージョーゼーを離れ、市内のもう一つの名所であるスーレーパゴダに徒歩で向かいます。
途中で、別の少年が話しかけてきました。しばらく日本語をしゃべっていましたが、途中から英語になりました。とても流暢です。聞き取れたところでは、自分の両親は小さいときに死んだこと、今、お寺でもっと小さい子の世話をしていること、これから自分が名所を案内するから、寄付がほしいこと、などです。
それらの話は、観光客からお金を引き出すために創作され、回を重ねるごとに推敲、改訂されてきたことが確実です。おまけに、後ろポケットからは、さっき私がマーケットで買ったのと同じ絵葉書が顔をのぞかせています。
「あれが、最高裁判所。イギリスが作った建物で…」
あたりが暗くなり、そろそろホテルに戻ろうかという時刻でした。
両替したチャットはほとんど使ってないし、明日の朝早く帰るだけだし……。
スーレーパゴダから見渡せる主だった建物の説明を聞いたところで、少年にお礼を渡しました。
「チェーズーティンバーデー(ありがとう)」
「ヤーバーデー(いいよ)」
最後はミャンマー語でした。
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