2007年7月21日,犬鍋は,長い長い韓国駐在を終え,ついに帰国しました。
赴任したのが1996年3月25日でしたから,韓国生活は11年4カ月の長きに及んだことになります。とはいっても,その間一度も日本に帰れず,11年ぶりの故国帰還ならともかく,2~3カ月に一回,最近なら毎月韓国と日本の間をワッタカッタ(行ったり来たり)していたわけで,別に「感無量」という思いはありません。すでに次の韓国出張の予定もあるし。
近くて遠い国
日韓の関係を譬えて,よくこのように言われたものですが,今では昔話。韓流ブームと,最近のウォン高円安による韓国人の日本旅行ブームで,日韓両国は名実共に「近い国」になりました。
しかし,日韓間には「過去史」という宿痾が横たわっているのも事実。そんなものには知らん振りを決め込んで,グルメだ,ドラマだ,カラオケだと楽しむことも可能です。でも私はこの問題に対し,かなり真っ正面から取り組んだつもりです。それは,犬鍋ブログをざっと読んでいただければ,おわかりいただけると思います。
さて,この11年はなんだったのか。
帰国を機に,あらためて考えてみたいと思います。この長大な期間をひと言で表現するのは難しいのですが,
「大いなる通りすがり」
とでもいいましょうか。11年いて「通りすがり」もないもんだけど,意識の上では,私の韓国滞在はどこか傍観者的というか,主体性が欠けているというか,ちょっと冷めた感覚がありました。
それは,「社命による駐在」という滞在形式に由来するところが大きいと思います。私は自らの意志で韓国に住んだわけではない。住んでみたら,とても刺激的で,楽しくて,深く深くはまりこんだものですが,始まりが自分の主体的な選択によるものではなかったことは,大きいように思います。
私も今では市井のコリアンウォッチャーの端くれですが,ジャーナリズムやアカデミズムの世界のコリアンウォッチャーたち,たとえば田中明,古田博司,黒田勝弘,関川夏央,最近では小倉紀蔵といった人々は,明らかに自らの意志でコリア的世界に飛び込んでいった人たちです。
田中氏は,植民地朝鮮の生まれでありながらコリアの人々に無関心なまま成人し,ある日,自責の念にかられて勤めていた朝日新聞社を辞し,韓国に留学した。
古田氏は若いころから韓国に魅せられ,自分の意志で韓国を専攻し,延世大語学堂の語学教師になった。
共同通信の黒田記者は,本社から帰任を命ぜられたときに拒否,他社(サンケイ)に転じてまでも韓国に居すわった。
関川氏はいろいろな理由はありましょうが,作家としての初期,自分の文筆活動の対象として自らの意志でコリアを選び,小倉氏は広告マンとして活躍していた電通を辞めてソウル大に留学した。
これらの人々の文章には,主体性に裏打ちされた迫力というものが感じられます。別に,これら錚々たるコリアンウォッチャーの方々に張り合うつもりはありませんが,犬鍋ブログの文章が薄っぺらなのは,根本の所において主体的・当事者的でなく,傍観者的立場に立ち続けていたことにあるような気がします。
もちろん11年です。滞韓生活は私の人生に,多大なる影響を与えました。
それまで関心の外にあった韓国という国を知ることができただけじゃなく,韓国を通して日本を知り,近代史を知り,それまでの欧米中心の物の見方を脱するきっかけとすることができました。
日本と韓国は,いい意味でも悪い意味でも「似た者同士」。韓国を知れば知るほど,日本のことがわかってくるという構造にあります。まさに,「鏡としての韓国」です。
もちろん,似ているようでおおいに違う生活習慣,ものの考え方,行動様式に接して,とまどい,憤り,あるいは感銘を受けたことも多々あります。しかしそれらは,私自身の視野を確実に広げてくれたという点で,実にありがたい経験でした。
日本に比べれば治安が悪いと言われていたけれど,11年間,強盗にも,空き巣にも,スリにも,交通事故にも一度もあわず,深刻な病気をしたこともなく,酒場で日本語をしゃべっていたからといってビール瓶が飛んできたことも,日本人だからという理由で嫌がらせをされたこともありません。
そして,多情な韓国の人々。
自身は「情オムヌンサラム(情のない人)」と評されることが多かったものの,親しくなった少なからぬ韓国人からあふれんばかりの「情」をかけてもらいました。
その結果としての,送別会の嵐。
名前をすべてあげきれませんが,今までお世話になった30人ぐらいの金さん,20人ぐらいの李さん,15人ぐらいの朴さん,7~8人のチョン(鄭+丁+全+田)さん,崔さん,シン(辛+申)さん,ソン(孫,成,宋)さん,呉さん,安さん,沈さん,張さん,南さん,車さん,片さん,玄さん…。
そして韓国で出会った素晴らしい日本の友人たち。
帰国の挨拶ができなかった方々も多かったけれども
本当にありがとうございました。
テーダニ カムサハムニダ。
赴任したのが1996年3月25日でしたから,韓国生活は11年4カ月の長きに及んだことになります。とはいっても,その間一度も日本に帰れず,11年ぶりの故国帰還ならともかく,2~3カ月に一回,最近なら毎月韓国と日本の間をワッタカッタ(行ったり来たり)していたわけで,別に「感無量」という思いはありません。すでに次の韓国出張の予定もあるし。
近くて遠い国
日韓の関係を譬えて,よくこのように言われたものですが,今では昔話。韓流ブームと,最近のウォン高円安による韓国人の日本旅行ブームで,日韓両国は名実共に「近い国」になりました。
しかし,日韓間には「過去史」という宿痾が横たわっているのも事実。そんなものには知らん振りを決め込んで,グルメだ,ドラマだ,カラオケだと楽しむことも可能です。でも私はこの問題に対し,かなり真っ正面から取り組んだつもりです。それは,犬鍋ブログをざっと読んでいただければ,おわかりいただけると思います。
さて,この11年はなんだったのか。
帰国を機に,あらためて考えてみたいと思います。この長大な期間をひと言で表現するのは難しいのですが,
「大いなる通りすがり」
とでもいいましょうか。11年いて「通りすがり」もないもんだけど,意識の上では,私の韓国滞在はどこか傍観者的というか,主体性が欠けているというか,ちょっと冷めた感覚がありました。
それは,「社命による駐在」という滞在形式に由来するところが大きいと思います。私は自らの意志で韓国に住んだわけではない。住んでみたら,とても刺激的で,楽しくて,深く深くはまりこんだものですが,始まりが自分の主体的な選択によるものではなかったことは,大きいように思います。
私も今では市井のコリアンウォッチャーの端くれですが,ジャーナリズムやアカデミズムの世界のコリアンウォッチャーたち,たとえば田中明,古田博司,黒田勝弘,関川夏央,最近では小倉紀蔵といった人々は,明らかに自らの意志でコリア的世界に飛び込んでいった人たちです。
田中氏は,植民地朝鮮の生まれでありながらコリアの人々に無関心なまま成人し,ある日,自責の念にかられて勤めていた朝日新聞社を辞し,韓国に留学した。
古田氏は若いころから韓国に魅せられ,自分の意志で韓国を専攻し,延世大語学堂の語学教師になった。
共同通信の黒田記者は,本社から帰任を命ぜられたときに拒否,他社(サンケイ)に転じてまでも韓国に居すわった。
関川氏はいろいろな理由はありましょうが,作家としての初期,自分の文筆活動の対象として自らの意志でコリアを選び,小倉氏は広告マンとして活躍していた電通を辞めてソウル大に留学した。
これらの人々の文章には,主体性に裏打ちされた迫力というものが感じられます。別に,これら錚々たるコリアンウォッチャーの方々に張り合うつもりはありませんが,犬鍋ブログの文章が薄っぺらなのは,根本の所において主体的・当事者的でなく,傍観者的立場に立ち続けていたことにあるような気がします。
もちろん11年です。滞韓生活は私の人生に,多大なる影響を与えました。
それまで関心の外にあった韓国という国を知ることができただけじゃなく,韓国を通して日本を知り,近代史を知り,それまでの欧米中心の物の見方を脱するきっかけとすることができました。
日本と韓国は,いい意味でも悪い意味でも「似た者同士」。韓国を知れば知るほど,日本のことがわかってくるという構造にあります。まさに,「鏡としての韓国」です。
もちろん,似ているようでおおいに違う生活習慣,ものの考え方,行動様式に接して,とまどい,憤り,あるいは感銘を受けたことも多々あります。しかしそれらは,私自身の視野を確実に広げてくれたという点で,実にありがたい経験でした。
日本に比べれば治安が悪いと言われていたけれど,11年間,強盗にも,空き巣にも,スリにも,交通事故にも一度もあわず,深刻な病気をしたこともなく,酒場で日本語をしゃべっていたからといってビール瓶が飛んできたことも,日本人だからという理由で嫌がらせをされたこともありません。
そして,多情な韓国の人々。
自身は「情オムヌンサラム(情のない人)」と評されることが多かったものの,親しくなった少なからぬ韓国人からあふれんばかりの「情」をかけてもらいました。
その結果としての,送別会の嵐。
名前をすべてあげきれませんが,今までお世話になった30人ぐらいの金さん,20人ぐらいの李さん,15人ぐらいの朴さん,7~8人のチョン(鄭+丁+全+田)さん,崔さん,シン(辛+申)さん,ソン(孫,成,宋)さん,呉さん,安さん,沈さん,張さん,南さん,車さん,片さん,玄さん…。
そして韓国で出会った素晴らしい日本の友人たち。
帰国の挨拶ができなかった方々も多かったけれども
本当にありがとうございました。
テーダニ カムサハムニダ。
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