性奴隷という日本語が使われ始めたのは、1990年代で、いうまでもなく、いわゆる従軍慰安婦問題が提起されてからです。
軍慰安婦問題については、日本政府の責任を問う立場と責任はないという立場が対立し、慰安婦を「性奴隷」とみなすかどうかも、両者の論争点の一つになっています。
日本糾弾派の吉見教授は、軍慰安婦が性奴隷制度であったということが国際的には定着している、と述べており、それは1996年のクマラスワミ報告と1998年のマクドゥーガル報告で、日本の軍慰安婦が性奴隷と呼ばれたことを指しているのでしょう。
クマラスワミ報告は、韓国の済州島で奴隷狩りのようにして軍慰安婦を集めたという吉田清治の証言を根拠としていますが、吉田証言が虚偽であったことが、今では明らかになっています。マクドゥーガル報告書のほうは、「慰安婦20万人のうち14万人以上の朝鮮人が死んだ」なんていう根拠不明の話が載っているそうです。
日本のマスコミなどに「性奴隷」の言葉が踊るようになったのは、この二つの報告書が報道されてからでしょう。
でも、普通の日本人にとって、性奴隷と言われても、ぴんとこないのではないでしょうか。第一、日本人には「奴隷」そのものがなじみがない。昔、歴史の勉強の中に出てきたなあという程度。アフリカの奴隷狩りとか、リンカーンの奴隷解放とか。
私の「奴隷」のイメージは、黒人であること、もともとはアフリカから無理やり連れて来られたこと、主人の所有物として物のように売買されたこと、農場などで酷使されたこと、主人から暴力を加えられても逆らえないこと、生まれてくる子供も奴隷にされたこと、などです。
調べてみると古代日本にも奴隷はいたようですが、江戸時代以降は日本には奴隷はなかった。それが、日本人に奴隷が馴染みのない存在になっている理由でしょう。
このへんの感覚は、もしかしたら韓国人とは違うかもしれません。韓国では、それほど遠くない朝鮮時代に奴婢という名前の奴隷階級が存在していました。奴婢がどんなものかというと…
人間家畜の奴婢制度
奴 婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。
それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑 女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑 女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。
外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑 女たちは、売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。
(『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』林鍾国、平凡社1987)
奴 婢制度は、日本が後押しした甲午改革(1894年)で廃止しましたが、実際には1920年ごろまで、多くの家庭に奴 婢がいたそうですから、私と同年配の韓国人でも、もしかしたら祖父母から奴 婢がいたころの話を聞かされている人がいるかもしれません。
韓国人は日本人よりも奴隷、奴隷制というものになじみがあるのかもしれません。
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