創氏改名については,1992年に出た宮田節子/金英達/梁泰昊共著『創氏改名』(明石書店1992)が唯一の一般向け解説書でした。私も刊行直後に読み,それまで漠然ともっていた「創氏改名」のイメージがずいぶん変わったことを覚えています。
父系の血統を表す「姓」を大切にする韓国では,「姓を変える奴」というのは最大級の罵倒語です。
以前は,「創氏改名」は儒教的世界では許しがたい「改姓」を朝鮮の人々に「強制」したのだと思っていました。
しかし,先の本で次のようなことを知りました。
「創氏改名」は「改姓」ではないこと。
「創氏」と「改名」は別の制度だったこと。
「創氏」は義務で,「改名」は任意だったこと。
義務である「創氏」にも2種類あったこと(届け出により「日本風」の氏を作る設定創氏と,期間内に届け出を行わずに自動的に従来の姓が「氏」とされた法定創氏)。
創氏に応じなくても(届け出なくても)罰則はなかったこと。
創氏改名の目的は,将来の「徴兵制」にあったらしいこと。
「創氏」の届け出(設定創氏)を強要するために当局がさまざまな圧力を加えたという話が伝わっているが,裏付けがとれているものはほとんどないこと。
などです。
最近,出た岩波新書『創氏改名』の著者,水野直樹氏についてはこのブログでも,人口問題を検討したときに言及したことがあります(→リンク)。日本の植民地支配断罪の先頭に立っている「良心的学者」です。
さて,本書のまえがきによれば,本書の目的は
「創氏改名の実態を明らかにすること」,とりわけ「実態としての創氏の強制がどのようになされたか,批判的言動に対する取締りがどのようなものであったかなどの問題を,当時の朝鮮総督府など日本当局側資料にもとづいて明らかにすること」。
本書はまず,1993年日韓首脳会談での細川発言を高く評価します。
「過去の我が国の植民地支配により,朝鮮半島の方々が学校における母国語教育の機会を奪われ,自分の姓名を日本式に改名させられるなど,誠に様ざまな形で耐え難い悲しみと苦しみを経験させられたことについて,そのような行為を深く反省をし,心より陳謝を申し上げる。」
そして,それ以前の日本当局の見解を批判します。たとえば,1948年大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史的調査』の
「氏制度の施行は半島統治上一時代を画する重大な制度であり,朝鮮人の要望に応えると共に,内鮮一体の具現化に資せんとしたのである。然しながら飽くまで自発的なるべき創氏が地方官庁により,自己の成績の尺度と考えられ,形式的皇民化運動に利用せられ,強制的なものとなり,創氏戸数7割以上という成績にもかかわらず,多くの反感を買った」
について,
「強制が末端の地方官庁によるものであったとしているのは,敗戦直前の朝鮮総督府見解とまったく変わりのないものであった。」
そして国交樹立の交渉過程での日本側の発言に続き,82年の教科書問題で韓国政府などからの抗議に対し文部省がまとめた見解を紹介します。
「法令上強制ではなく,任意の届け出によるという建前」であり,届出が8割に上ったことから「かなり無理があったことは確か」だが,2割が応じなかったことは「やはり法令上の強制ではなかったことを示している」というものであった。つまり「強制」ではなかったということである。
以上のように,細川発言にいたるまで日本政府は,創氏改名の歴史を直視しようとせず,「法令上は強制でなかった」「強制は末端の機関が行なったこと」という姿勢をとり続けたのである。
そして「細川発言にもかかわらず,創氏改名を合理化しようとする考え方がいまだに根強く残っている」として,インターネット上の言説を次のように整理します。
(1)朝鮮名を維持した者がいたので,必ずしも強制ではなかった。
(2)創氏は義務だったが,改名は任意だったので,全体として強制ではなかった。
(3)満州や日本「内地」に居住していた朝鮮人をはじめ多くが,日本名を望んでいた。
(4)戸籍に姓の記載は残ったので,朝鮮人の名前を奪ったとはいえない。
このような強制性否定論の論拠をここでいちいち検討することは控えることにする。本書全体を通じて,これらが一面的な議論にすぎないものであることを明らかにしていきたい。
ここまで読んでくると,「創氏改名が強制であったこと」が,本書を読めばスッキリとわかるんだろうなあという期待がかきたてられます。
また,水野氏がこの本を書くことになったきっかけの一つは,氏が韓国のある新資料を発見したことなのだそうです。その内容は日本の毎日新聞に報道され,それを引用する形で韓国でも報道されたようです。
どんな「大発見」なのかと期待しつつ読むと…
釜山地方法院の指示文書-釜山地方法院長から管内府尹邑面長宛文書
氏の設定届がまだ総戸数の一割程度(ひどいところは三分以下)で,届出期間が残り少ない。期限間際に殺到すると処理しきれなくなるおそれがあるため,7月20日までに全戸が氏の届出を完了するよう,特段の配意をしてほしい。まず氏の設定届を提出させ,名の変更は後日行なうよう取り扱ってほしい
釜山地方法院独自の判断によるものであったのか,あるいは法務局からの指示にもとづいてなされたものであったのかは明らかではない。(中略)上部から何らかの指示がなされた可能性が高い。
うーん,私にはこれが,「強制が末端の地方官庁によるものであった」という日本当局の見解の証拠としか思えないのですが…。
結局,水野氏は「届出の強制」を示す明らかな証拠が見いだせなかったため「自発性の強要」という概念を持ち出して,「実態としては強制であった」と結論づけています。
また,「差異化の側面」として,日本当局は「同化」のために創氏を強制したが,日本風の名前をつけることには「実は反対であった」。それは,「朝鮮に出自をもつ者を差別するためであった」というような,ユニークな主張をしています。
このあたりは,「日本風の名前にさせたかったが,いろいろ妥協するうちに一族そろって本貫を流用したり,従来の姓を一字入れたりするなど,「骨抜き」になった」とする宮田氏,金英達氏の見解とは対照的です。
結局,「ネットの言説」のどこがおかしいか,明確にはわかりませんでした。
(1)朝鮮名を維持した者がいたので,必ずしも強制ではなかった。
従来の姓名がそのまま「氏名」になった人がいたのは事実です(全体の約2割)。届出をしなければ,自動的に従来の姓名が「氏名」になったわけですから。このケースを含めれば,例外なく「創氏」が行われたので,「創氏は強制された」といえるかもしれませんが,「届出」は強制ではありませんでした。「強制だった」の主語が「創氏」であれば「強制だった」。「創氏の届出」であれば「強制ではなかった」ことになります。
(2)創氏は義務だったが,改名は任意だったので,全体として強制ではなかった。
この表現には何の問題もないと思います。
(3)満州や日本「内地」に居住していた朝鮮人をはじめ多くが,日本名を望んでいた。
日本名を望んでいた人がいたのは事実のようです。それが多かったか,多くはなかったかは主観によるものでしょう。法務局には年に10通ほど,日本式の氏を望む投書があったそうです。
総督府は届出を始める前に,朝鮮と,内地(日本),満州にわけて,届出の数値を予測していますが,「内地」と「満州」のほうの届出率が,朝鮮を上回ると予想していました。しかし,実際には朝鮮が8割だったのに対し,内地は14.3%,満州は18.8%と低かった。
その理由は本書にもあるとおり,手続きが朝鮮でしかできなかったこと,満州などにはそもそも戸籍のない人が多かったことなどが理由です。したがって,「日本名を望んでいた人」が満州や内地に多かったかどうかの根拠にはならないようです。
(4)戸籍に姓の記載は残ったので,朝鮮人の名前を奪ったとはいえない。
戸籍に姓の記載が残ったのは事実です。ですから,日本人風の「創氏」をし,「改名」(任意)を行った場合でも,従来の「姓氏」が消滅したわけではありません。しかし,1940年から終戦までの5年間,公的な場面では「氏名」を使わされたことを考えれば,朝鮮の人々が「名前を奪われた」と感じたのは否定できないでしょう。
以上,宮田他『創氏改名』を読んだ人にとっては,目新しい内容はほとんどありませんが,宮田他『創氏改名』は共著で,独立した論文のアンソロジー+3者の対談という構成でしたので,この岩波版のほうが読みやすいかもしれません。
みんなに覚えてもらいたくて付けると聞きましたが、良く気持ちが分かりません。
先日、契約社員の名前を見たらハングルで「シャロン」書いてあった。でも両親とも韓国人だそうです。
あっ、話の腰を折るようですみません^^;
韓国と日本の間では、一日まえの韓国漁船の不法操業でさえ、解釈が別々なのに、何十年も前の創氏改名がどうだかって、今更議論しても仕方がないことです。韓国に高いレベルのアカデミズムが築かれればいいのですが、歴史や政治関係においては、それは全く望み薄ですね。(不法操業においては刑法でしょうか。やっぱ、それも無理か)
>アジアの人でよくディックとかジョンとか自分で付けてそう呼ばせている人たちがいますね。
私の知っている限りでは、台湾人が、教会でつけてもらう(洗礼名なのかどうかわかりませんが)、英語を学び始めた時につけてもらうという話を聞きました。韓国人もそうなのかな。「アジアの人」てのは、ちょっと一般化しすぎ。
知り合いに「ピオラ」さんがいますが,これは「咲け」。
10年ぐらい前,誘拐殺人の被害者の女の子が,
朴チョロンチョロンピンナリちゃん
異常に長かったので記憶に残っています。
チョロンチョロンは,満開の様子。「満開に咲いたユリ」
話は違いますが,ハングルのローマ字表記は決まった規則がなく,みな思い思いにつけますね。
李をLeeとするのはなぜだろう。
朴もParkさんが多い。
ヨンもYoungにしたがる。
韓国の歴史学は,「望ましき歴史の創造」ですから…。
タイ人は,全員ニックネームを持っていて,仕事もそれで行う。
ただパスポートは本名なので,ニックネームでホテルの予約をしておいてあげたら,混乱したことがありました。
不思議に思って尋ねたところ、中国語の発音が
難しい、つまり四声や子音が中国語を話せない外国人
には正確に発音できない、従って外人から電話が
かかってきて名前を言われても混乱する可能性が
高いので、分かりやすく「ジャック」やら「キャシー」など
を名乗っているそうです。
確かに「yin」と「ying」の違いを正確に!
と要求されても難しい・・・。
香港の人たちが英語名で仕事をする場合が多いのは,ご説明いただいた理由以外に,事実上,香港の公用語が普通話というよりは英語だからという理由があるのかもしれません。
多分、手続きが朝鮮でしか出来なかったというのは間違いだと思います。
それと、金英達は3ヶ月以降に急に創氏が増えたことが強制の証拠みたいなことを書いていましたが、上記のように、それまで届けでをするのが大変だったのが主な理由だと思われます。
すごくレアな資料ですね。
私は自前の資料をもっているわけでもなく,確かなことは何も言えないのですが,創氏改名は戸籍の更新をともないますので,外地で行うのは難しい気がします。外地で受け付けて,郵送などで本籍地に送り,書き換えたのでしょうか。
もしかして,朝鮮で,最寄りの役所で手続きができるようになったことが,日本の新聞に報道されたとか?
こちらでも在日朝鮮人が日本人に成りすまして飲食店や風俗店を営業しています。
昔の事より、今そういう事をしながらいざとなれば日本人と日本国を貶すという彼らが問題かと思います。
また韓国人が屋台で日本人だと成りすまして飲み食いしていたのを見たこともあります。
彼らはマナーが悪いのであまり良い気持ちはしません。
バンコクで意に反して日本料理屋に連れて行かれることがときどきあります。いつも感じるのは、料理のレベルの高さ。味は日本と変わりません(値段も)。
在日経営の店があるかどうかは知りませんが、質が高ければ何の問題もないと思います。
ニューヨークで韓国人や中国人がまがいものの日本料理を出している(それがけっこう人気)ほうが気になります。
屋台で日本人に成りすます韓国人客は、意図がよくわかりませんが。