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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

『パチンコ』

2020-12-12 23:46:27 | 
 知り合いに勧められて、『パチンコ』という小説を読みました。

 ミン・ジン・リー著『パチンコ 上・下』(池田真紀子訳、2020年、文藝春秋刊)

 日本統治下の朝鮮半島から日本に渡ってきた朝鮮人家族の、4代に渡る生活(1910年~89年)を描いた歴史大河小説です。

 アマゾンの内容紹介を引用すると…

 日本に併合された朝鮮半島、釜山沖の影島。下宿屋を営む夫婦の娘として生まれたキム・ソンジャが出会ったのは、日本との貿易を生業とするハンスという男だった。見知らぬ都会の匂いのするハンスと恋に落ち、やがて身ごもったソンジャは、ハンスには日本に妻子がいることを知らされる。許されぬ妊娠を恥じ、苦悩するソンジャに手を差し伸べたのは若き牧師イサク。彼はソンジャの子を自分の子として育てると誓い、ソンジャとともに兄が住む大阪の鶴橋に渡ることになった…一九一〇年の朝鮮半島で幕を開け、大阪へ、そして横浜へ―。小説というものの圧倒的な力をあらためて悟らせてくれる壮大な物語。構想から三十年、世界中の読者を感動させ、アメリカ最大の文学賞・全米図書賞最終候補作となった韓国系アメリカ人作家の渾身の大作。(上巻)

 劣悪な環境のなかで兄嫁とともに戦中の大阪を生き抜き、二人の息子を育てあげたソンジャ。そこへハンスが姿をあらわした。日本の裏社会で大きな存在感をもつハンスは、いまもソンジャへの恋慕の念を抱いており、これまでもひそかにソンジャ一家を助けていたという。だが、早稲田大学の学生となったソンジャの長男ノアが、自分の実の父親がハンスだったと知ったとき、悲劇は起きる―戦争から復興してゆく日本社会で、まるでパチンコの玉のように運命に翻弄されるソンジャと息子たち、そして孫たち。東京、横浜、長野、ニューヨーク―変転する物語は、さまざまな愛と憎しみと悲しみをはらみつつ、読む者を万感こもるフィナーレへと運んでゆく。巻措くあたわざる物語の力を駆使して、国家と歴史に押し流されまいとする人間の尊厳を謳う大作、ここに完結。(下巻)

 上下巻合わせて700ページに及ぶ大作ですが、息もつかせぬストーリー展開で、一気に読み切りました。往年のベストセラー作家、シドニー・シェルダンの作品を彷彿とさせます。

 原著は英語で書かれており、2017年にアメリカで出版されてベストセラー。翌年には韓国でも翻訳されているそうです。

 読み終わった後、著者のミン・ジン・リーがいったいどんな人なのか、興味を惹かれました。

 著者名は、英語風にミン・ジン・リーとなっていますが、韓国風にすれば、イ・ミンジンになるはずですので、以下、イ・ミンジンと表記します。

 イ・ミンジンは在米コリアン。1968年にソウルで生まれ。1976年、8歳のときに一家で米国のニューヨークに移民したそうです。

 当時、韓国はベトナム戦争に派兵し米軍ととも戦ったことが評価され、米国への移民枠が拡大されていました。朝鮮戦争からの復興途上で、朴正熙大統領の「開発独裁」政策の下、韓国の富裕層の中には、家族で米国に渡る人々が増えつつありました。イ・ミンジン一家もそうした恵まれた家庭の一つだったのでしょう。

 イ・ミンジンは、アメリカの大学で法律を学び、いったんは弁護士となりますが、その後、作家としてデビューします。

 巻末の「謝辞」によれば、物語の着想を得たのは彼女がイェール大学の3年生の特別講義で、日本で活動するアメリカ人宣教師の「在日」に関する話を聞いたとき。講義の中で次のような話にショックを受けたそうです。「在日コリアンであるために卒業アルバムに差別的なメッセージを書かれた男子中学生が、ビルの高層階から身を投げて死んだ」

「人生の大半をさげすまれ、否定され、忘れられてきた在日コリアンの物語を何らかの形で世に伝えるべきだ」という信念のもと、96年に在日コリアンをテーマにした物語を書き始め、2002年「指紋押捺」を扱った小説を発表して作家デビュー。その後も膨大なリサーチをして、在日コリアンのコミュニティをテーマに長編の草稿を書き上げます。

 2007年、夫の東京転勤にともない、家族で日本に転居。日本で数十人の在日コリアンを取材した結果、「自分が書くべき物語を誤解していた」ことに気づく。「在日コリアンは歴史の犠牲者であるかもしれないが、一人ひとりからじっくり話を聞いてみると、そういう単純な話ではないとわかったのだ。日本で会った人々の寛容さと複雑な心理を目の当たりにして自分がいかに間違っていたかを知り、それまでの草稿をすべてくず入れに投げ込んで、2008年、同じ物語を一から書き直し始めた。そこからひたすら書いて書いて書き直したあげく、ようやく出版にこぎつけた」

 つまり、着想を得てから実に30年におよぶ歳月をかけた作品ということになります。ライフワークと言ってもいいでしょう。

 彼女がくず入れに投げ込んだ初稿がどんな内容だったのかはわかりませんが、上記の記述から推察するに、在日コリアンを犠牲者、日本人を加害者とした、日本人・日本社会批判の「単純な話」だったのでしょう。

 「小説」とはいえ、舞台も時代も特定されているので、歴史的な事実と大きく外れるようなことを書くと、読者の共感を得られない。アメリカの読者は予備知識がないからばれなくとも、日本の読者の中にはけっこう詳しい人がいる。日本人のなかでも、日韓の歴史に関してはそれなりに詳しい私が読んでも、細かいことで「?」がつく部分はあるにしろ、重大な事実誤認は見当たりませんでした。ただ、私は在日コミュニティーとか戦後の大阪(猪飼野)とかパチンコ業界などに関してはよく知らないので、その部分のリアリティーについて評価できませんが。

 時代考証については、翻訳者の池田真紀子と発行元文藝春秋の担当編集者も苦労したことが、インタビュー記事からもわかります(リアルサウンド ブック)。きっと、細かい事実誤認は、著者の了解のもと、翻訳版で修正されたのかもしれません。

 池田さんが指摘しているように、この小説がアメリカで好評を得たのは、移民国家アメリカで、日本に移民したコリアンという特殊な話としてではなく、異国で暮らす移民の苦労という、普遍的な物語として読まれたからでしょう。

 書き直された作品は、依然として「日本社会で差別されるコリアン」を基調としつつも、「日本人は全員悪い人、コリアンは全員善い人」という白黒論理ではなく、日本人の中にも善い人はいる、コリアンの中にも悪い人はいるという、是々非々の描き方をしています。

 実際、この小説は、差別のショールームといえるほど、朝鮮と日本におけるさまざまな「差別」がちりばめられています。

 身体障害者、知的障害者、未婚の母、売春婦、同性愛者への差別、さらに男女差別、学歴差別、宗教弾圧、差別…。韓国ではあまり顧みられることのない、被爆コリアン、日本の組織暴力団とコリアンの関係なども出てきます。

 この小説の韓国語翻訳版が韓国でも広く読まれ、たんなる日本批判ではなく、いまなお様々な差別が渦巻く韓国社会に対する問題提起としても読まれることを期待します。

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