韓国は飲食店の盛衰が激しく,すぐにつぶれては別の店ができる。
それはバンコクも似たようなものです。私がマッカラン10年カスクストレングスに出会った,日本人経営のバー(→リンク)は少し前に閉店。
(キリマンジャロ登山をめざしてトレーニングを積んでいたあの日本人アジュンマはどうしたんだろう。昨年の夏に登るといっていたが…)
今の駐在員のお気に入りで,私にはちょっと迷惑だったスナック式カラオケ(カウンター式で日本の歌が歌い放題で安い)もつぶれて久しい。
そして,今回,ホテルから遠くない所にある,馴染みの日本人クラブ(カラオケクラブ)がつぶれたことを知りました。残っていた私のボトルは,閉店前に駐在員とその仲間たちが責任をもって始末してくれた由。なんでも,閉店二日前に行って,別の客の飲み残しのボトルも手当たり次第に空けたらしい…。
それで今回は,以前にも行ったことのあるフィリピンクラブ(→リンク)に行きました。
英語は疲れるので,日本語のできるアガシをお願いすると,出てきたのは,やや年齢が高めでしたがとても明るいアガシ。流暢な日本語を話します。
聞けば新潟と千葉県小原にそれぞれ6カ月ずつ住んだことがあるそうです。
「新潟はどの季節に行ったの」
「8月から半年。初めて雪を見たよ。フィリピンは雪降らないからね」
「たくさん積もったでしょう」
「そうそう,ある日は夜から雪が降り始めて,明け方窓の外を見ると,雪が屋根まで積もっていた。死ぬかと思ったよ。でも生まれて初めてスキーもしたし,楽しかった」
「地震は?」
「あった,あった。一度は家具が全部倒れたよ。でも,あんまり人が死ななかったのが驚き。フィリピンであんな大きな地震があったらもっとたくさん死ぬよ」
(…)
「千葉はどうだったの」
「ディズニーランド!! 3回行った。楽しかった」
「そんなに楽しかったならずっと日本にいればよかったのに」
「本当は日本にいたかったけど,ビザがおりないからね。タイにも日本人相手のバーがあるっていうんで,こっちに来てみたの。まだ二カ月ぐらい」
聞けば4人兄弟のいちばん上で,下に弟が3人。いちばん下の子(5歳)を産んだときお母さんが亡くなったそうだ。それで長女の彼女が稼いで本国に送金する。
「日本にいたときは月5万円くらい貯金ができた。弟たちにもいろいろ買ってやった。でもここはダメ。お客さんが少ないし,月200ドルしかもらえない。フィリピンで働くのとあんまり変わらないよ」
「日本語,うまいね」
「フィリピンでも少し勉強していったけれど,日本で覚えたね。新潟にいたときの社長が厳しかった。毎日,今日覚えた日本語を言わされそれが少ないと給料を下げると言われた。でも今考えるとあの社長のおかげで日本語ができるようになった」
ここにいるフィリピンの女性は1カ月のビザで来ていて,ビザが切れるとカンボジヤかラオスに出国してから再入国を繰り返すという。
「日本で好きな人ができた。結婚したかったけど,既婚者であることがわかったのであきらめた。愛人なんて嫌だから…」
なんかしんみりした話になってきたところで,
「歌,歌おうよ。私,松田聖子が大好きなの」
とマイクを持って立ち上がる。日本仕込みの松田聖子は完璧。声量があって,松田聖子よりうまいぐらい。
韓国,タイ,フィリピンを比べると,フィリピンのアガシが圧倒的に歌がうまい気がします。
それはバンコクも似たようなものです。私がマッカラン10年カスクストレングスに出会った,日本人経営のバー(→リンク)は少し前に閉店。
(キリマンジャロ登山をめざしてトレーニングを積んでいたあの日本人アジュンマはどうしたんだろう。昨年の夏に登るといっていたが…)
今の駐在員のお気に入りで,私にはちょっと迷惑だったスナック式カラオケ(カウンター式で日本の歌が歌い放題で安い)もつぶれて久しい。
そして,今回,ホテルから遠くない所にある,馴染みの日本人クラブ(カラオケクラブ)がつぶれたことを知りました。残っていた私のボトルは,閉店前に駐在員とその仲間たちが責任をもって始末してくれた由。なんでも,閉店二日前に行って,別の客の飲み残しのボトルも手当たり次第に空けたらしい…。
それで今回は,以前にも行ったことのあるフィリピンクラブ(→リンク)に行きました。
英語は疲れるので,日本語のできるアガシをお願いすると,出てきたのは,やや年齢が高めでしたがとても明るいアガシ。流暢な日本語を話します。
聞けば新潟と千葉県小原にそれぞれ6カ月ずつ住んだことがあるそうです。
「新潟はどの季節に行ったの」
「8月から半年。初めて雪を見たよ。フィリピンは雪降らないからね」
「たくさん積もったでしょう」
「そうそう,ある日は夜から雪が降り始めて,明け方窓の外を見ると,雪が屋根まで積もっていた。死ぬかと思ったよ。でも生まれて初めてスキーもしたし,楽しかった」
「地震は?」
「あった,あった。一度は家具が全部倒れたよ。でも,あんまり人が死ななかったのが驚き。フィリピンであんな大きな地震があったらもっとたくさん死ぬよ」
(…)
「千葉はどうだったの」
「ディズニーランド!! 3回行った。楽しかった」
「そんなに楽しかったならずっと日本にいればよかったのに」
「本当は日本にいたかったけど,ビザがおりないからね。タイにも日本人相手のバーがあるっていうんで,こっちに来てみたの。まだ二カ月ぐらい」
聞けば4人兄弟のいちばん上で,下に弟が3人。いちばん下の子(5歳)を産んだときお母さんが亡くなったそうだ。それで長女の彼女が稼いで本国に送金する。
「日本にいたときは月5万円くらい貯金ができた。弟たちにもいろいろ買ってやった。でもここはダメ。お客さんが少ないし,月200ドルしかもらえない。フィリピンで働くのとあんまり変わらないよ」
「日本語,うまいね」
「フィリピンでも少し勉強していったけれど,日本で覚えたね。新潟にいたときの社長が厳しかった。毎日,今日覚えた日本語を言わされそれが少ないと給料を下げると言われた。でも今考えるとあの社長のおかげで日本語ができるようになった」
ここにいるフィリピンの女性は1カ月のビザで来ていて,ビザが切れるとカンボジヤかラオスに出国してから再入国を繰り返すという。
「日本で好きな人ができた。結婚したかったけど,既婚者であることがわかったのであきらめた。愛人なんて嫌だから…」
なんかしんみりした話になってきたところで,
「歌,歌おうよ。私,松田聖子が大好きなの」
とマイクを持って立ち上がる。日本仕込みの松田聖子は完璧。声量があって,松田聖子よりうまいぐらい。
韓国,タイ,フィリピンを比べると,フィリピンのアガシが圧倒的に歌がうまい気がします。
日本人だとそれでも結構上手かったりする。
でもアジアでは本当に下手だったりする。
歌った後、次の曲は勧めないこともよくある。
彼女の身の上話は,あまり嘘っぽくありませんでした。
でもみんな家族のために頑張ってるなぁ~と感心します。
歌や踊りの上手い子は日本人みたいに遠慮しないで人前でどんどんやるので、みんな上手いみたいに見えます。下手な人がガンガンやるのは迷惑ですが。