犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

朴賛浩の大記録

2012-12-06 23:47:55 | 韓国雑学

 米大リーグで長らく活躍した朴賛浩が引退しました。それを伝える中央日報の記事です(→リンク

 これを読むと、アジアが生んだ最高の米大リーグ投手のように思えます。しかしそこは韓国の新聞記事、じっくり読むと「?」という記述も多い。

 朴賛浩は1994年4月8日のアトランタ戦(1イニング2失点)からスタートし、2010年10月2日のフロリダ戦までメジャーリーグで17年間投げ、計8714人の打者と対戦した。 その間、いくつかのアジア投手の記録をつくり、歴史を塗り替えた。

 ◇17年
  朴賛浩はメジャーで最も長い間プレーしたアジア選手だ。 朴賛浩を除いて10年以上メジャーでプレーした東洋人投手は2人(野茂英雄12年と大家友和10年)だけだ。

 朴賛浩は野球人生をほぼMLBで送りましたから、17年の長きにわたってメジャーでプレーしました(ほかに日本で1年、韓国で1年)。
 一方、野茂は日本で5年ですから通算すれば17年、大家は日本で6年、通算16年です。

476試合
 アジア投手では初めて先発で200試合以上(287試合)、救援で100試合以上(189試合)の登板という記録を残した。 日本の長谷川が517試合に出場し、最多登板記録を持つが、長谷川は先発がわずか8試合のブルペン専門投手だった。 通算123勝をすべて先発でマークした野茂英雄の記録と比較すると価値が落ちるという評価もあるが、先発と救援の役割にこだわらず歳月の流れを受け入れた結果だった。

 先発287試合、救援で189試合、通算476試合は、日本の長谷川の517試合よりも下ですが、先発で200試合、救援で100試合に達したのがアジアで初だったということのようです。「ブルペン専門投手」というのは、ブルペンにいて試合に出られなかったという意味ではなく、「リリーフ専門」という意味のようです。

 上の記事を読むと、リリーフ専門の長谷川には負けるが先発試合ではアジアで一番だというようなニュアンスですね。しかし、すべて先発の
野茂はMLBで323試合で朴賛浩の287試合(先発)を上回っています。

124勝
 朴賛浩が米国でマークした通算124勝は、リーグ歴代382位の記録だが、今後破られるのが難しいアジア投手最高記録だ。

 野茂が全て先発で123勝を上げているのは記事にある通り。それ以外に、日本で78勝、通算201勝です。忘れてはならないのは、野茂の大リーグ123勝の中の2勝は、ノーヒット・ノーランだったということ。

1993イニング死球138個 
  アジア投手初の2000イニング投球は達成できなかったが、歴代1000イニングを投げた東洋人投手はわずか3人(朴賛浩・野茂・大家)にすぎない。

 野茂がMLBで1976.1イニング、日本で1051.1、計3027.2イニング。大家がMLB1070、日本311.2、計1381.2イニング。野茂の記録に言及しないのは、大リーグ在籍期間が5年も違うのに、登板数がわずかしか違わないことを知らせたくないからでしょう。

 通算1715個(アジア2位、野茂1918個)の三振をマークした朴賛浩は死球も最も多かった。

 三振は朴賛浩が1715個、野茂はMLB1918、日本1204、計3122個

 01年と02年に死球の数がリーグ最多となった朴賛浩は、通算で138個の死球を許した。金炳賢(キム・ビョンヒョン、841イニング)の80個を大きく上回る東洋人最多だ。

 朴賛浩の与死球が138となっていますが、日本のウィキペディアによれば208のはずなんですけどね。不名誉な記録なので改竄したんでしょうか。
(この記事を書いたあと、ウィキペディアにあった表を計算してみたところ、合計の数字が間違っていました。記事の138が正しいようです。)

 なお、野茂の与死球はMLB38、日本19、計57。いかに朴賛浩の与えた死球が多かったかがわかります。これだけは圧倒的大差をつけて朴賛浩がアジア最高です。


 記事にはない朴賛浩の記録としては、

 1999年4月23日のカージナルス戦でフェルナンド・タティスに1イニングで2度の満塁本塁打を打たれるメジャー唯一の記録を達成。

 2001年はサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でバリー・ボンズにシーズン最多本塁打の記録を更新する71号、72号(二打席連続)を献上

 2006年の開幕時にはFOX SPORTSの選定する「年俸面で過大評価されすぎている選手」の1位に選ばれ、「メジャー史上最悪の契約」などとコメントされた。
(以上、日本版ウィキペディア)

 いずれにしても、朴賛浩は、アジア最高じゃないけれど、一流の投手だったことは確かです。上の記事を書いた中央日報の記者は三流ですね。


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