犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

アウンサンスーチーと朴槿恵

2016-11-12 22:19:03 | 韓国雑学

 私が韓国に出張していた間、ちょうどミャンマーのアウンサンスーチー国家最高顧問が日本に来ていました。安倍首相と会談し、今後の国家間協力について話し合ったようです。

 同じ時期、韓国では、朴槿恵大統領に対する退陣要求デモが盛り上がりを見せていました。

 女性の国家最高権力者である二人には、これまでの経歴の中にも共通点がある。

 それは、父親がともに国家最高権力者であり、その父親がともに政敵によって暗殺されたことです。

 アウンサンスーチーの父、アウンサン将軍はビルマ建国の父といわれます。その伝記は以前このブログでも紹介しました。

ボージョー・アウンサン伝(1) 出生から学生時代
ボージョー・アウンサン伝(2) 政界進出
ボージョー・アウンサン伝(3) 独立義勇軍
ボージョー・アウンサン伝(4) 対日武装蜂起
ボージョー・アウンサン伝(5) 独立、そして暗殺

 アウンサンは、太平洋戦争中の1940年、日本の謀略機関に捕えられて渡日。日本で独立義勇軍を結成することを説得され、仲間とともに軍事訓練を受け、日本のビルマ進出に協力。日本の傀儡政権での役割を果たしていましたが、日本の敗色が濃くなると、抗日に転じて英国に協力。戦後は英国と粘り強い交渉を繰り返して、ビルマ独立の約束を取り付けました。

 しかし32歳の時、独立の目前にして、政敵ウソオによって暗殺されました。このとき、娘のアウンサンスーチーは、まだ2歳。

 一方、朴槿恵の父親は言わずと知れた朴正煕大統領。彼は、日本が韓国を植民地支配していた時、1940年に満州軍官学校、42年には日本の陸軍士官学校に入って、軍人としての教育を受けていたことは有名です。これはちょうどアウンサン将軍が軍事訓練を受けていた時代に重なります。

 韓国の解放後は韓国の軍人でしたが、1961年、44歳の時に軍事クーデターにより実権を掌握、63年には大統領につきました。その後、日本との間で基本条約を成立させ、そのときに得た請求権資金で「開発独裁」を推進、朝鮮戦争後、世界の最貧国の一つに転落していた韓国を急速に発展させ、「漢江の奇跡」を達成しました。

 そして1979年、朴正煕はKCIA部長によって暗殺されました。ときに、娘の朴槿恵は27歳でした。

 父親を暗殺された後の二人の歩みをみると…

 アウンサンスーチーの母親は看護婦でしたが、アウンサン暗殺後に外交に関与するようになりました。1960年にインド・ネパール大使に赴任したのにともない、アウンサンスーチーは母とともにインドに転居、デリーで大学を卒業後、英国オックスフォード大学に学び、英国人と結婚、専業主婦として二児をもうけました。その後、幼くして亡くした父の足跡を調べるために日本の京都大学に留学したこともあります。

 1988年、母危篤の知らせを受けてビルマに戻った時、ビルマはネ・ウィン独裁政権に反発する学生たちの民主化運動の最中でした。建国の父の娘、アウンサンスーチー女史は反政府運動に担ぎ出され、一躍民主化運動の闘士に躍り出ました。その後の反政府運動とノーベル平和賞受賞、昨年の選挙での圧勝などの流れはご存じのとおり。現在は、「外国人が親戚にいる人は大統領になれない」という憲法の規定のため、国家最高顧問と言う肩書ではありますが、実質的には国家元首です。


 朴槿恵のほうは、ある意味でもっと悲劇的な前半生を送ったといえるかもしれません。実は父親だけでなく、母親も暗殺されていたのですから。朴正煕が暗殺される5年前、母親の陸英修は在日韓国人文世光が夫を狙ったとき、流れ弾に当たって亡くなりました。その後、朴槿恵は母親に代わって大統領のファーストレディーの役割を務めていました。父親暗殺後は、各種団体の名誉職を務めていましたが、父親の支持者の後援を受け、1998年に国会議員に当選して政界入り。ハンナラ党の主力議員として活躍後、2012年の選挙で大統領に当選しました。

 このように、アウンサンスーチーと朴槿恵の経歴には、共通点が多い。しかし、決定的な違いは、アウンサン将軍が、国民のだれからも敬愛される「建国に父」であったのに対し、朴正煕は業績を礼賛する支持者がいる一方で、独裁者として嫌う国民も多い。また、アウンサンスーチーは民主化運動の闘士でしたが、朴槿恵のほうは、80年代の民主化運動を弾圧した側の軍事政権を源流に持つ保守派の政治家であること。

 また、アウンサンスーチーが結婚し、自分の家族を持つのに対し、朴槿恵は独身を貫いていること。

 今回の騒動で、崔順実やその父親の崔太敏という得体のしれない宗教家に付け込まれることになったことの背景には、朴槿恵に家族や親しい友人がいなかったことが大きいと言われています。

 米国の大統領選でクリントンが勝って、米国、韓国、ミャンマー間の女性大統領会談が実現したら面白いなと思っていましたが、クリントンはトランプに負けちゃうし、朴槿恵もそれどころじゃない。

 ちょっと残念な気がします。


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