犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

大陸進出の野望

2008-12-08 06:32:45 | 近現代史
 張炳楠氏の論考は,日本人として決まりが悪くなるほど,日本の植民地統治を肯定的に評価しています。

 これが個人の特殊なケースでないことは,台湾国定教科書記述を見てもわかります。韓国日本対する言説と,著しく対照的です。

 日本の台湾統治は,韓国統治に比べ,特別に「善政」だったわけではない(張氏によれば,台湾統治は韓国に比べ差別されていた)のに,この対日評価の差はなんなのか。

 よく言われるのが,台湾は太平洋戦争終結後,大陸で内戦に敗れた国民政府(外省人)が渡ってきて,日本統治以上に過酷な圧政を敷いたこと。論文の著者,張炳楠氏は,22歳まで台湾で教育を受けたという経歴を見れば,もともと台湾に住んでいた「本省人」でしょう。国民政府に対して,複雑な思いがあるはずですが,この論文には言及されておらず,むしろ経済発展への貢献を褒めたたえています。これは当時の国民政府の眼を意識したものと思われます。

 日本による統治の功績について,「物資的」なもの以上に,精神的な部分を強調しているのは,と共通するところ。こうした点は,あの時代の生きた人々が少なくなっていくにつれ,後世に伝わりにくくなることでしょう。

 ところで,日本統治の肯定的評価という点では「右派寄り」ですが,『日本は侵略国家ではなかった』という本に収録される論文としては,そぐわない内容もあります。

 たとえば,

「日本は明治初めより隣国朝鮮を侵略あるいは併合したいという野望を抱いていた。」

「日本の大陸進出の野望と巧みな謀略」

などの表現です。

 「島国日本は昔から大陸進出の欲望をもっていた」というのは,韓国人の日本人観の定番ですが,本当にそうなんでしょうかね。そんな野望を持っていた国が「鎖国」なんかするだろうか。あるいは明治時代になってから,急に気が変わったんでしょうか。

 明治以降の朝鮮半島に対する思いは,「進出の野望」というようなものではなく,「日本の国土防衛のため」という思いが強かったように思います。日清戦争の目的は,下関条約を見ればわかるように,「朝鮮の独立の確保」であって,支配ではなかった。「台湾の領有」はそれこそ棚からぼた餅で,思いもよらなかったもの。

 また,日露戦争は,文字通り日本を防衛できるかどうかという背水の戦い。東郷平八郎将軍の,日本海海戦の言葉,「皇国の興廃この一戦にあり」は,率直な気持ちだったでしょう。

 「大陸進出の野望」という表現がふさわしいとすれば,日露戦争にも勝ってしまい,日韓併合を経て,神国日本などという妄想が出てきたあたり,満州で「謀略」をおこす1930年代以降のことじゃないでしょうか。

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4 コメント

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1926年刊 (犬鍋)
2014-02-10 00:34:18
面白そうな本ですね。今度、本屋で見てみます。
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『THE NEW KOREA 朝鮮が劇的に豊かになった時代』 (スンドゥブ)
2014-02-07 09:41:09
こんにちは。

タイトルにある本が昨年出版されたそうです。
当時のイギリス人が日本統治について書いたものだそうです。
ちょっと値段が高いですね。
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ぷよぷよさん (犬鍋)
2008-12-13 17:09:07
コメントありがとうございます。

創氏改名が改姓名でなかったというのは,ご指摘の通りですね。

http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/b0fd7f69ab2824bd6d65b808432f0e50

麻生発言の主旨が「創氏改名は申請制だった」ということならばその通り,「もともと朝鮮人が望んでいたものに応えた」という意味ならば,ちょっと違うのではないかと思います。

http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/6e33de900a974276e143193bc82d481c
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交隣と属国、自主と独立 (ぷよぷよ)
2008-12-12 02:19:52
明治大学の研究員まで務めながら張さんの論考には事実誤認が多いですね。犬鍋さんが指摘されている点のほかにも朝鮮の創氏改名と台湾の改姓名とを混同しているのもなんだかなあと思いました。「名前まで奪われた悪政」とされている創氏改名ですが、朝鮮では本貫と姓と名であったところへ氏という概念を移植し、内地同様の家族制度を持ち込んだだけなんです。朝鮮人が大切にしていた姓には手を付けていないんですよ。任意の氏を創設することを認め、その届出がなかった場合についてのみ姓を氏とすることとしたのでした。そして朝鮮風の名を日本風に改めたい人には、それを認めるとしたのでした。ですから朝鮮風の名前を変えたくない人は、変えずに済んでいたのですね。たとえば陸軍中将にまで登りつめた洪 思翊さんの場合ですと、任意の創氏を行わなかったので姓の洪を氏とし、思翊という名を使い続けたというわけです。「創氏改名は朝鮮人の求めに応じて行われた」と麻生首相が自民党政調会長時代でしたか発言したことがありましたけど、「妄言」でも何でもありません。彼は事実を口にしていただけの話なんですね。

東アジアの近現代史は、政治宣伝が激しくて学びにくいものでありますが、たとえば岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立』<講談社選書メチエ>、講談社、2008年 あたりを読んでみると良いと思います。歴史をネタにした中韓の強請りタカリに多少は免疫ができるかもしれません。
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