張炳楠氏の論考は,日本人として決まりが悪くなるほど,日本の植民地統治を肯定的に評価しています。
これが個人の特殊なケースでないことは,台湾国定教科書の記述を見てもわかります。韓国の日本に対する言説と,著しく対照的です。
日本の台湾統治は,韓国統治に比べ,特別に「善政」だったわけではない(張氏によれば,台湾統治は韓国に比べ差別されていた)のに,この対日評価の差はなんなのか。
よく言われるのが,台湾は太平洋戦争終結後,大陸で内戦に敗れた国民政府(外省人)が渡ってきて,日本統治以上に過酷な圧政を敷いたこと。論文の著者,張炳楠氏は,22歳まで台湾で教育を受けたという経歴を見れば,もともと台湾に住んでいた「本省人」でしょう。国民政府に対して,複雑な思いがあるはずですが,この論文には言及されておらず,むしろ経済発展への貢献を褒めたたえています。これは当時の国民政府の眼を意識したものと思われます。
日本による統治の功績について,「物資的」なもの以上に,精神的な部分を強調しているのは,任文桓と共通するところ。こうした点は,あの時代の生きた人々が少なくなっていくにつれ,後世に伝わりにくくなることでしょう。
ところで,日本統治の肯定的評価という点では「右派寄り」ですが,『日本は侵略国家ではなかった』という本に収録される論文としては,そぐわない内容もあります。
たとえば,
「日本は明治初めより隣国朝鮮を侵略あるいは併合したいという野望を抱いていた。」
「日本の大陸進出の野望と巧みな謀略」
などの表現です。
「島国日本は昔から大陸進出の欲望をもっていた」というのは,韓国人の日本人観の定番ですが,本当にそうなんでしょうかね。そんな野望を持っていた国が「鎖国」なんかするだろうか。あるいは明治時代になってから,急に気が変わったんでしょうか。
明治以降の朝鮮半島に対する思いは,「進出の野望」というようなものではなく,「日本の国土防衛のため」という思いが強かったように思います。日清戦争の目的は,下関条約を見ればわかるように,「朝鮮の独立の確保」であって,支配ではなかった。「台湾の領有」はそれこそ棚からぼた餅で,思いもよらなかったもの。
また,日露戦争は,文字通り日本を防衛できるかどうかという背水の戦い。東郷平八郎将軍の,日本海海戦の言葉,「皇国の興廃この一戦にあり」は,率直な気持ちだったでしょう。
「大陸進出の野望」という表現がふさわしいとすれば,日露戦争にも勝ってしまい,日韓併合を経て,神国日本などという妄想が出てきたあたり,満州で「謀略」をおこす1930年代以降のことじゃないでしょうか。
これが個人の特殊なケースでないことは,台湾国定教科書の記述を見てもわかります。韓国の日本に対する言説と,著しく対照的です。
日本の台湾統治は,韓国統治に比べ,特別に「善政」だったわけではない(張氏によれば,台湾統治は韓国に比べ差別されていた)のに,この対日評価の差はなんなのか。
よく言われるのが,台湾は太平洋戦争終結後,大陸で内戦に敗れた国民政府(外省人)が渡ってきて,日本統治以上に過酷な圧政を敷いたこと。論文の著者,張炳楠氏は,22歳まで台湾で教育を受けたという経歴を見れば,もともと台湾に住んでいた「本省人」でしょう。国民政府に対して,複雑な思いがあるはずですが,この論文には言及されておらず,むしろ経済発展への貢献を褒めたたえています。これは当時の国民政府の眼を意識したものと思われます。
日本による統治の功績について,「物資的」なもの以上に,精神的な部分を強調しているのは,任文桓と共通するところ。こうした点は,あの時代の生きた人々が少なくなっていくにつれ,後世に伝わりにくくなることでしょう。
ところで,日本統治の肯定的評価という点では「右派寄り」ですが,『日本は侵略国家ではなかった』という本に収録される論文としては,そぐわない内容もあります。
たとえば,
「日本は明治初めより隣国朝鮮を侵略あるいは併合したいという野望を抱いていた。」
「日本の大陸進出の野望と巧みな謀略」
などの表現です。
「島国日本は昔から大陸進出の欲望をもっていた」というのは,韓国人の日本人観の定番ですが,本当にそうなんでしょうかね。そんな野望を持っていた国が「鎖国」なんかするだろうか。あるいは明治時代になってから,急に気が変わったんでしょうか。
明治以降の朝鮮半島に対する思いは,「進出の野望」というようなものではなく,「日本の国土防衛のため」という思いが強かったように思います。日清戦争の目的は,下関条約を見ればわかるように,「朝鮮の独立の確保」であって,支配ではなかった。「台湾の領有」はそれこそ棚からぼた餅で,思いもよらなかったもの。
また,日露戦争は,文字通り日本を防衛できるかどうかという背水の戦い。東郷平八郎将軍の,日本海海戦の言葉,「皇国の興廃この一戦にあり」は,率直な気持ちだったでしょう。
「大陸進出の野望」という表現がふさわしいとすれば,日露戦争にも勝ってしまい,日韓併合を経て,神国日本などという妄想が出てきたあたり,満州で「謀略」をおこす1930年代以降のことじゃないでしょうか。
タイトルにある本が昨年出版されたそうです。
当時のイギリス人が日本統治について書いたものだそうです。
ちょっと値段が高いですね。
創氏改名が改姓名でなかったというのは,ご指摘の通りですね。
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/b0fd7f69ab2824bd6d65b808432f0e50
麻生発言の主旨が「創氏改名は申請制だった」ということならばその通り,「もともと朝鮮人が望んでいたものに応えた」という意味ならば,ちょっと違うのではないかと思います。
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/6e33de900a974276e143193bc82d481c
東アジアの近現代史は、政治宣伝が激しくて学びにくいものでありますが、たとえば岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立』<講談社選書メチエ>、講談社、2008年 あたりを読んでみると良いと思います。歴史をネタにした中韓の強請りタカリに多少は免疫ができるかもしれません。