犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

創氏改名⑤~「親日派」の主張

2008-10-25 00:14:44 | 近現代史
 朝鮮人の中にも,少数でしたが日本の皇民化政策に賛成する人がいました。現在の韓国では親日派として断罪されていますが,当時の情勢においては,「独立をあきらめ,日本の一部として自治を拡大していく」というのは,現実的な選択肢の一つだったわけです。

『毎日新報』(朝鮮語版、昭和十五年二月二十日)


「創氏と私」(李光洙・香山光郎)

 私が香山という氏を創設したことに対して、ある人は面と向かって、ある人は手紙で、私の創氏の動機を尋ねてきた。大多数は私の香山という創氏について非難したが、中には賛成する人もあり、創氏についての意見を尋ねる人もいた。今日受け取った匿名の手紙では、私の創氏を激しく非難し、その動機と理由を発表することを要求している。必ずしもその匿名の手紙に答えるというわけではないが、私自身も自分の創氏に対する態度について、一言しておく必要を痛感している。

〈創氏の動機〉
 私が香山という氏を創設し、光郎という日本的な名前に改めた動機は、畏れおおくも天皇の御名と読み方を同じくする氏名を持とうとするところからである。
 私は深く深くわが子孫と朝鮮民族の将来を考えた末に、こうすることが当然だという堅い信念に到達したためである。
 私は天皇の臣民である。私の子孫も天皇の臣民として生きるだろう。
 李光洙という氏名でも、天皇の臣民になれないことはない。しかし香山光郎の方が、より天皇の臣民たるにふさわしいと私は信ずるためである。

〈内鮮一体〉
 内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、朝鮮人自身である。
 朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか。したがって差別を除去するためにあらゆる努力をすることの他に、何の重大でかつ緊急なことがあるだろうか。
 姓名三字をなおすのも、その努力の中のひとつならば、なんの未練もない。喜ぶべきことではないか。
 私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。

〈便宜〉
 これからは徐々にわが朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。そのようなときに李光洙よりも香山光郎のほうがはるかに便利だ。
 又満州や東京大阪等に住んでいる同胞が、日本式の名をもつことは、実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。

〈決心〉
 われわれの在来の姓名は、支那を崇拝した先祖の遺物である。永郎、述郎、官昌郎、初郎、所回(巖)、伊宗、居夫、黒歯、このようなものがわれわれ先祖の名前だった。
 徐羅伐、達久火、斉次巴衣、ホルゴ、オンネ、こういったものが、昔の地名だった。そのような地名と人名を支那式に統一したのは、わずか六、七百年前のことだ。
すでにわれわれは日本帝国の臣民である。支那人と混同される姓名をもつよりも、日本人と混同される氏名を持つ方が、より自然なことだと信ずる。
 そこで私は日本人になる決心で、氏を香山とし、名を光郎としたのである。私の妻子もこぞって日本式名に改めた。
 これも忠誠の一端であると信ずるためである。

〈政治的影響〉
 今年の八月一〇日までに、朝鮮人の創氏の期限が終わる。
 その日の結果は、政治的に大きな影響があると私は信ずる。すなわち日本式氏を朝鮮人全部が名乗ったならば、それは朝鮮人二千四百万が真に皇民化する覚悟に徹したという重大な推定資料となるだろう。
 万一、それに反して日本式氏を創設する者が少数にすぎなかったならば、それは不幸な方の推定資料にならざるを得ないだろう。なぜならば、国家が朝鮮人を信ずるか否かが、朝鮮人自身の幸不幸に大きく関係していることは自明だからである。
それ故に日本的な氏を創設することは、一種の政治運動であると私は信ずる。

宮田節子,金英達,梁泰昊『創氏改名』明石書店1992年より引用


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最後授業ドーデ李光洙

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