『帝国の慰安婦』が韓国で刊行されたのが2013年7月。
その約1年後、著者朴裕河教授はナヌムの家の元慰安婦から三つの裁判で訴えられました。
日本では、2014年の夏に日本語版の刊行が予告されていましたが、裁判の影響か、出版元の朝日新聞社のお家の事情かわかりませんが、なかなか出なかった。
2014年8月には、朝日新聞が「吉田証言」関連記事の取り消しを発表。
日本語版が出たのはそのあと、2014年11月のことでした。日本語版は韓国語版の翻訳ではなく、全体の構成、細部の表現に異同があります。
2015年2月、販売差し止めの仮処分を求めた裁判の判決が出て、一部内容の削除が命じられました。朴教授は、初版本を絶版にしましたが、この問題に対する公の議論を続けてもらうために、削除の指示のあった34か所を伏せ字処理した「削除版」を、2015年6月に刊行。
結局、『帝国の慰安婦』は、2013年7月、14年11月、15年6月と、3つのバージョンが出たことになります。それぞれのバージョンにそれぞれの序文があり、そのときの状況を反映した内容になっています。
日本語版の序文は本で読んでいただくとして、韓国語版の2種類の序文を翻訳・紹介します。
まず、2013年7月刊行の韓国語初版の序文から。
序文 再び「生産的な議論」のために
「慰安婦問題はなぜ10年以上も解決されないのか」。私は8年前、このように書き始めたことがある。『和解のために-教科書、慰安婦、独島』(2005年プリワイパリ刊)でのことだ。私はまた、「日本が近隣諸国から批判されても変わらない(ように見える)ことの原因の一つは、これまでの批判のやり方や内容に問題があったからだ」とも書いた。そして、韓日間の諸問題は韓国が思う以上に「複雑」な問題であり、そうした「複雑さ」を見るための「本格的な議論が必要」であり、そのプロセスを通じて「諸問題をより深く見れば、怒りと非難から自由になる」だろうし、「生産的な議論」ができるようになるだろう。「そのとき初めて、和解のための議論を始められるだろう」とも。
しかしその後8年経っても、そのとき望んでいた「生産的な議論」は、真にそれが必要な所においては、ほとんどなされなかった。そして当然ながら、韓日関係をめぐる状況はその間基本的にはほとんど変わらなかった。しかし「われわれの中の強固な記憶」に、「和解を指向する亀裂」を入れようとした8年前の私の試みは、失敗に終わった。
『和解のために』や、韓日関係に関する他の本(『反日民族主義を越えて』、共編著『韓日歴史認識のメタヒストリー』など)で私が重点を置いたのは、民族主義批判だった。しかし時が経つにつれ、私は「民族主義」批判だけでは韓日間の対立を解消することはできないと思うようになった。なので、『和解のために』の試みが失敗したのは当然なことだったかもしれない。韓日間の対立は、思ったよりもずっと複雑にからみあっていた。本書は、歳月が流れ、いまや「なぜ20年以上も解決されないのか」と問わなければならなくなった、そのような「複雑な構造」について、あらためて考えた本だ。
慰安婦問題をめぐる状況は当時よりずっと悪化した。そうなったいちばん大きい理由は、何よりも「慰安婦」とは誰かについての理解が不十分だったからだ。「慰安婦」は、実は決して一通りに説明されうる存在ではない。だが、これまでわれわれ韓国人は、「慰安婦」について一つのイメージだけを思い浮かべてきた。
「解決」すべき問題があるとき、それについてできるだけ多くの情報が必要だということはあらためて言うまでもない。そうしてこそ、状況について正しい判断を下すことができるのではないだろうか。しかし、その情報の中には、時として聞きたくない話まで混じっているかもしれない。しかし、この20年は、その中から聞きたい話だけを取捨選択して聞き、それに基づいて慰安婦についての新しい「記憶」を作ってきた歳月でもあった。
そうして韓国人の中の「慰安婦」は、ひたすらかよわい「少女」か、そうでなければだれかを率い、戦う「闘士」だっだ。しかしそれは、実は彼女たち自身の姿というよりは、「韓国人が望む慰安婦」の姿にすぎない。そうした意味では、本書は、こうしたやり方でわれわれが暴力的に消去させてきた彼女たちの記憶に、再び出会おうという試みでも有る。
しかしその試みは、私自身がそうだったように、心穏やかな仕事ではなく、痛みを伴う仕事でもある。にもかかわらず、こうした気まずさと痛みを共有しようとする理由は、ただ一つ、そのような気まずさと痛みを経ることなしに、「慰安婦問題」は解決できないからだ。たとえば「私たちも完全な軍人よ」(『強制的に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち3』246ページ)と語る慰安婦の声を聞き、その言葉が象徴する「植民地の矛盾」を直視しなければならない、痛みさえもともなう気まずさを。
気まずいことをあえてしなければならないもう一つの理由は、われわれがその姿を見ないでいた間に、「植民支配は悪くなかった」と考える日本人たちが、その姿の歪曲に積極的に乗り出しつつあるからだ。
そのような日本人のほとんどは、極度の「嫌韓」感情をもっており、彼らの嫌韓感情は、特にここ10数年の間、少しずつ大きくなってきた。そして彼らの嫌韓は、1990年代初め以後の歴史問題に関する対立において、韓国人がそれらを許さず、いつまでも批判ばかりしているという考えから来る部分が大きい。そして問題は、彼らの言うことに同意はしないまでも、そのような彼らの「感情」を共有する人々が、日本社会に急激に増えつつあるという点だ。いまや嫌韓派だけでなく、韓国をよく知り好きだった人々さえ次のように言う。「これ以上韓国と話し合うのは難しいと感じる」(知韓派教授)、「これまで日本にとって韓国は特別な存在だった。しかし韓国は日本のそうした気持ちをわかってくれず、気がつけば片思いをしていたわけだ。今後は、これまでのような感情を捨て、韓国に普通の国として対応するほうがよい」(外交官)、「私は韓国が好きだが、韓国人は嘘までついて日本の悪口を言い、いつまでも日本を許そうとしない。もう韓国が嫌いになりそうなのだが、どうしたらいいのだろうか」(大学生)
韓日両国は、20年間の歴史問題に関する対立で、深刻な対話不在の状況に陥ってしまった。ここ1年の間、外交チャンネルさえも機能しなくなってしまい、いまや、両国の国民は相手をとても理解できないと思っている。その対立の中心に慰安婦問題があり、日本人たちは韓国が世界に向かって嘘までついて日本の名誉を毀損しよとしていると思っている。
それで私はもう一度原点に立ち戻り、慰安婦問題を考えてみることにした。すでに8年前の本で私は、日本が「慰安婦問題」についてそれなりに「謝罪と補償」をしたという事実、そして一部の慰安婦たちがその「謝罪と補償」を受け入れたという事実について書いた。しかし支援団体はその「謝罪と補償」を受け入れなかったのだが、今韓国人が日本の謝罪と補償がまったくなされていないと考えるようになったのは、そのためでもある。その判断の正否はともかく、慰安婦問題がここまで深刻な国家間問題になった以上、この問題についての判断を支援団体や少数の研究者たちだけにまかせておくことはできない。とはいえ、これまでの20年間、ひとえに少数の関係者たちの考えが慰安婦問題に関する韓国の態度を決定し、結果的に彼らの意見が韓日関係を操る状況につながった。
もちろん、「少数」ということそのものが問題ではない。だが、本文で見ることになるが、彼らの判断がすべて正しいとか、真実であるというわけではない。それにもかかわらず、今まで慰安婦問題について、特定の支援団体の意見に誰も異議申し立てをできなかった。しかし断言していいが、現在のやり方では慰安婦問題は解決されない。
慰安婦問題が解決されなければ、おそらく韓国の教科書は、「結局日本は慰安婦問題について、いかなる謝罪も補償もしなかった」と書く可能性が高い。しかし、それは真実ではありえない。そうである以上、私は再び書かないわけにはいかなかった。これは、たんに良い韓日関係を目指すためだけではない。今まで両国の利害のために、ひいては東アジアの相互信頼回復のために、目立たない所で努力してきた人々が築き上げてきた信頼の塔が、敵対と対立の言葉ばかり乱舞する中で倒れていくのを、ただ眺めているわけにはいかなかったからだ。何よりも、対立を生む応酬が気持ちの弱い人々を傷つけ、心を閉じてしまうのを見ることができないからだ。
「慰安婦問題」について書くもう一つの理由は、この問題がただ「解決」を待つ過去の問題ではなく、今日の問題でもあるからだ。慰安婦問題は、日本と韓国に存在する「米軍基地」の問題でもある。しかし、慰安婦問題を「日本」だけの特殊なことだとする考え方は、そのような構造を見えなくさせる。「平和」を指向する現在の運動が、平和を実現できない理由でもある。
本書は、こうした考え方を整理したものだが、結果的に「世界の常識」に異議申し立てをすることになった本書がどのように受け入れられるか、やや不安だ。しかし、当面どんな運命が待っていようと、いつかは本書が植民地時代が作ったわれわれの中の分裂、東アジアの分裂を克服するための踏み石になりうると信じる。そして私は、本書を、誰よりもまず歴史が作りだした対立と分裂によって傷ついた人々に、今なお傷を踏み越えて平和と信頼を作ろうとする人々に送りたい。
(本書の一部は、2012年12月から5か月間日本のインターネットメディアに連載した文である。重複を避けるため少し整理したが、内容はほとんどかわらない。『WEBRONZA』2011.12~2012.5)
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これまで、無断でたくさんの文章(フェイスブックの記事、韓国の新聞、ハフィントンポストなど)を翻訳・紹介してきたこと、申し訳ありません。
もし支障があれば、過去記事を削除しますので、気になる記事はご指摘ください。
私はフェイスブックはあまりやっていないのですが、ずいぶん前に朴先生に友達申請を承認いただき、現在もフォローしています。ただ、コメントしたことはありませんでした。
フェイスブックのほうにもあらためてメッセージをお送りします。
なお、上の記事には本の出版年月に誤りがあったので修正しました。
この翻訳をわたしの Facebook友達がリンクしていたので知りました。ありがとうございます。
Facebook IDはparkyuhaです。
もしお使いになっていたら、友達申請させていただきたいのですが。