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Brugge Style
楽園を追放される日
夏休み、モロッコ、マラケシュ。
当初、往復の直行便の英国航空がキャンセルになったので、イベリア航空でマドリッド経由となり、ついでに往復マドリッドに2泊ずつ、マラケシュ14泊の予定で来た。
マラケシュ滞在1週間を過ぎたあたりから、カウントダウンのクロックが聞こえるようになった。
善悪の知識の実を食べたわけでもないのに、この砂漠の薔薇のような楽園を追放される日の虚しい気持ちを先取りしてしまい、没薬の香りのするうたた寝中に、帰宅後イングランドの灰色の空の下で薔薇色の楽園の「夢を見ている夢」を見るまでになっていった。
水がせんせんと流れ、緑が豊かで高い壁に囲われた園はイスラムの楽園のイメージであり、ペルシャまで起源がたどれる。
ホテルから出るのは他のホテルに食事に行くときくらい、毎日、単にぶらぶらしているだけなのに、あっという間に時間が経つ。
そうか、楽園には時間がないのだ。
楽園は失って初めてそれが楽園だったと知るという。
青春は失って初めてそれが青春だったと、ルネサンスはそれを失って初めてルネサンスだったと、民主主義はそれを失って初めて民主主義だったと、恋愛は失って初めてそれが恋愛だったと...知るのである。
ああ重症だ。
夫も同じ気持ちだったが、彼は感傷は弄ぶよりも解決を選ぶ。
姿が見えなくなったと思ったら、ホテル側に延泊を交渉して戻ってきた。
これでバカンスは3週間以上に。
わたしたちは急いで帰る必要は全然ない。
大学が始まる娘(彼女は9月から4年生になる! 早い、早すぎる)は先に帰せばいいし、モエは失楽園を先延ばして、しばらくここにとどまりたい。英国島に帰国したら、またしばらく脱出できなくなりそうで怖い...
一年くらい、イングランドには帰らずに、逃げていく夏を追いかけてぶらぶらしていたいなあ。
欧州の年金生活者(老後の年金生者だけでなく、遺産の)は、20世紀初頭くらいまでは、十分年金でそういう生活ができていたそうだ。
そういう連中が、探検に行ったり、探偵小説を書いたり、若いアーティストを応援していたりしたのだ。
当然、植民地的搾取など、負の面もあったと思うが、その時代にできた英国の小説などは嫌いじゃない。
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