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うさぎ






水曜日の午後。
バレエのレッスンがキャンセルになり
体力を持て余す娘が焼いてくれたホットケーキ。

うさぎは空を見つめているようである。
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またクリスマスか.../天使




タイトルの最初のパートは関西弁のイントネーションで読んでね(笑)。


一年間の集大成とでもいうように、マルクト広場にはクリスマスマーケットとスケートリンクが出た。マーケットは一昨日の週末から営業しているようである。



わたしもクリスマスカードに付けてはどうかとこんな飾りを買った。
薄い木でできた大小の天使。
よくある美しすぎる天使ではなく、顔なしでどこか禍々しいところがいい。本物の天使は善悪の彼岸に住む(あるいは善悪両面を備えている)ものたちであり、どちらかといえばこういう姿をしているのではないだろうか。

この木製の天使のことはセラフィムと呼ぶことにしよう。







こんなイメージと比較してみる。







中近東へ留学中、あるユダヤ人に影響されてカバラ哲学の本をずいぶん読んだ(宗教のカバラとは無関係にテツガクの体系として)。
天使学はカバラに多くを負っているので、芋づる式に天使関係の本にも親しんだものである。

ところがあれほど興味があったのに、今日この木製の天使の記事を書くまでメタトロンやハ=サタンのことはすっかり忘れていた。
思い出すと気になるもので、今夜はカルトなMoetと化し、遅くまで「カタログ化し、一覧的に位置づけられた」(byフーコー)天使の階位を読みなおすことになりそうだ。



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今年のコート




この辺りに住んでいると、コートは3シーズン必要である。


だから特に今年の”比較的軽めで7部袖”のジャケットやコートの流行は喜ばしい。
短い袖に長手袋を合わせるの、かわいい~。
極寒のヨーロッパにおいてこういう服装はまさに伊達の薄着であるが、伊達なくして何の文化があるか(笑)。


今年わたしが最初に買ったのはセリーヌの子豚色コート。
コレクションの一番最初に登場して一目惚れしたのである(そういえば最近英国の新聞に載っていた。一目惚れとは完全なるエゴとセックスの産物であるそうだ。対象が服の場合は関係ないか~)。


しかしどんな服装にも合うコートではない。今日はこのコートを着るから中はこの服、と考えなくてはならない唯我独尊コートである。
そこで、袖が甲まで長い黒か黒に近い灰色か茶色のワンピースを合わせたいと思いつつ、まだ気に入るものは見つかっていない。つまりこのコートもまだ着ていない。例えるならばものすごくいい帯を買ったために新しい着物が欲しくなるような心持ちで...



それからケープを探しているのだが見つからない。
子どもの頃、濃い茶色のウサギのケープ(ウエストまでの長さ)を姉妹おそろいで着ていたが、あれと同じようなモノが欲しいと思っている。姉妹おそろいに捧げるオマージュと題して、娘とおそろいで着たい。



というわけで、わたしの場合はまだ新しいコートで迎える今年の冬は始まっていないのだ。
明日のブラッセルの朝は零下2度らしいのだがなあ。


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ポチ(マルチリンガルの頭の中)




8歳になったばかりの娘が、彼女の頭の中の働きを説明してくれた(下に図解)。


0歳から4歳までー
オランダ語、英語、日本語が、脳の言語を司る部分を3分割。
正確に切り分けたケーキのような状態で、それぞれ断絶されており、3カ国語は相互関係を持たない。いわゆるサラダボウル的状態か。


4歳から現在までー
3カ国語が混在するメルティングポット状態。


つまり4歳になるまでは、全体が毛に覆われていて4本脚で歩くモノに「犬」「hond」「dog」という音が当てられているのは知っていたが、それぞれの音が同じモノを指す言葉だという概念はなかったのだ。

それが4歳くらいのある時点で「犬」は「hond」であり、かつ「dog」とも言う、同じモノなのだということを一気に理解したというのである。事実、4歳頃彼女の言語能力は飛躍的な進歩をしたし、徐々に同時通訳ができるようになった。

(わたしが感心したのは、バイリンガル以上の人の頭の中の発達は、娘のこの説明の逆ではないかとなんとなく感じていたからだ。つまり、メルティングポット状態からサラダボウル状態へ発達するという方向。ゆえに何か国語も使い分けることができるというのが可能なのだと思っていた)


彼女が絵に描いて説明してくれた脳の働きの様子は、モノの名前は言語共同体ごとに人間が適当につけた単なるルールであって、モノとその名前は分ちがたく結びついているのではない、ということを示している(犬のかわりに”ポチ”でもいいわけだ)。モノの性質や意味は、モノ自体に本質的に内在しているわけではないのだ。

そして4歳以降の彼女の経験(これが社会化するということである)はまさに、われわれが差異化を押し進める価値体系(=つまり言語)の中にすでに投げ込まれているということを示しているのではないだろうか。


って、だから何なの?という感じだ。が、わたしは「うわ~、ソシュール入ってる?」と喜んだ(笑)。だからそれがソシュールだとしたら何なの?と娘が突っ込むようになる前にまたもう少し勉強しておこうかな~と(<かけ声をかけるのは得意よ)...生兵法は大怪我のもとだから。







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おりぼるん




季節の風物詩。


Jan VanEyck広場の屋台で食べる『おりぼるん』(oliebollen。oliebolの複数形)。
あんの入らない揚げドーナツ?もっとふわふわもちもち、外はかりっと軽い。ベニエやハワイのマラサダ(ポルトガルの、が正確か?)に近い食感。
寒い時に揚げたてをはふはふしながら食べるのがいい。








下校時に娘と買い食い。
ベンチに腰掛けて湯気を立てながら食べていると、地元の人は必ず「ああ、こっちまで食べたくなっちゃうねえ」という顔をして通り過ぎて行く。

午後4時。もう日は暮れそうである。早くおうちに帰ろう。








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