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オイスター・バルと三つ星レストラン




バスク旅行に際して、夫の知り合い(在ビルバオのドイツ人)が、「ビルバオに来るならぜひ!」と教えてくれたお店のリストがあった。

が、リスト中、1軒目にうかがったオイスター・バアが超絶好みで3日連続で通い、ベラサテギの店等にも予約をしていたため、他には行けなかった(笑)。
絶対に行ってほしい! と二回駄目押しされたバルがあったのにもかかわらず。次回だな!


ビルバオは夜が意外に早く、バルでも23時になると軒並み店じまいを始める。
最後の夜、やっと23時以降もやっている店を見つけた。そしてその店には23時以降追い出された人たちが続々と集まって来る...

オイスター・バルは、一夜目に22時過ぎに入っていくと、カウンターの中の方が「閉店しましたー」とつれなくおっしゃる。

カウンターで飲んでいた地元の男性3人組が「まだ他にお客さんは残っているし、せっかく来ているのだからサービスしないとビルバオの沽券にかかわるよ(大意)」と渾身で説得してくれ、賞味にあずかれた。

遠慮して三つだけの牡蠣をチャコリ(白ワイン)で流し込む。それはそれはおいしくて...


Comiendo las ostras con su fuerte sabor a mar deje atrás la sensación de vacío y empece a ser feliz
「海の味が濃い牡蠣を食べると、空虚感を忘れ幸せになった。」ヘミングウェイ(たぶん『移動祝祭日』だったと思う)

他のお客さんも残っているうちにと、滞在時間10分で食べた。チップははずんだ。

「明日も必ず来ます! 早い時間に!」とバーテンダー氏に誓う。
「お昼の12時からやってますからよろしく!」




凝った料理もいいけれど、レモンを添えただけの新鮮な牡蠣とキリキリに冷えたチャコリ、これもいい。
惚れたら一途、3日連続で通った。最後の夜はチャコリをご馳走してくれた。

そういえば他のお店でも「閉店前だから僕のおごりです」とピンチョスをご馳走になったし、わたしはいったい飲み食いさせなければ暴れそうな凶悪な顔でもしているのだろうか。




凝った料理の方は...

Arzakサン・セバスティアン郊外(中心から車で20分ほど)にあるバスク料理レストランArzakは、「バスク」文化の名を世間に改めて知らしめた功績がある。

2008年には、「バスク地方でもっとも重要な伝統であるガストロノミーを新時代に適応させたこと、さらに、世界でもっとも革新的なレストランを作り上げたこと」が評価され、ユニバーサル・バスク賞を受賞したそうだ(Wikipediaより)。

シェフのArzak氏とお嬢さんのエレーナ氏に率いられるメゾンは、ミシュラン三つ星、しかもお手頃。
シェフの「署名入りの」料理、というにふさわしい。




ミシュランの星には、これで一つ星しかもらってないの? とか、これで2つは大袈裟じゃない? など、国によってずいぶん基準が違うのではと感じることもある。
西欧中心の格付け主義にはナンセンスさや、抵抗を感じることも大いにある。

が、わたしはミーハーで無芸大食、ちやほやされるのが好きで胃腸も丈夫、旅先に星付きレストランがあると必ずチェックする。


今回、心底驚いたのは、最初から最後まで、どの料理も、「最初の一口と、咀嚼している間の味、食後の口から鼻へ抜ける味」がどれも違う、ということだった。

例えが悪いかもしれないが、よくできた香水のトップノートがトルコの薔薇の香り、ミドルがサンダルウッド(白檀)とフランキンセンス(乳香)とパチョリ、最後にはクローヴとブラックカラントとフランボワーズの香りが筆跡のように残る...と変化していくのと似ている。

「このレストランで食べるために出かける価値あり」という三つ星の基準を完全に充足してあまりあるお店であった。





小心者なので食事中の写真がほとんどない(上の写真は全部アミューズと前菜)。

建物も、料理人だった祖父母の代から使われているという素敵なものだったのに...
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女王陛下のプラチナム・ジュビリーまであと一週間




来月、6月5日の日曜日とその前後は、英国では空前絶後になるであろうお祝いごとがある。

エリザベス女王陛下の在位70周年記念式典Platinum Jubilee of Elizabeth II

これまでも、今後も、在位70年を超える君主が英国で出る可能性は低いであろう。

1952年、父親の国王ジョージ6世が崩御。
王位継承法に基づいて、25歳でエリザベス2世(Elizabeth II)として英国連邦王国君主に即位して以来、70年。

例えば、連邦に属するカリブ海の国々で独立への動きが起きなどしてはいるものの、王室が今も多くの支持を集めていられるのは、いわば彼女個人の功績と言っても過言ではないほど、絶大な人気を誇る。


わたしが英国に住むようになってからも、2012年には在位60周年記念式典が執り行われた。
2015年には、在位期間が63年216日を数え、ヴィクトリア女王をぬいてイギリス史上最長在位の君主となった。




来週は6月2日木曜日から祝日になり、王室主催のパーティーから庶民のストリート・パーティーやホーム・パーティー、とにかくこれを口実にあちこちでパーティーが開催される。
「プラチナム・ジュビリー・ビスケット」や「プラチナム・ジュビリー・マグカップ」が販売され、セールが行われ、メディアもこれ一色になる。


写真のリージェント通りも歩行者天国になるようで、人混みは苦手だが、ロイヤル・オペラ・ハウスに行く予定もあるので、ロンドンがどんなお祭り騒ぎか見学に行こうかとは思っている。

話のネタにプラチナム・ジュビリー茶くらい買ってみようかなあ! 




昨日は久しぶりに大都会ロンドンに出て、和・イタリアンのランチを食べて、娘の買い物などにつきあっておそろいのスカートを買ったり、化粧品の色を物色したり...丸一日歩き回ったらもう今日はクタクタ。万歩計では1.3万しか歩いていない。

先日、バスクで毎日観光で毎日2万歩近く歩き回ったのとは全然疲れ方が違った。人混み疲れだろうか。


...


これとそれでは話が別...なのかもしれないが、英国は女王様の在位70年などと浮かれている場合では全然ないのである。

英国のインフレは今年に入って9%まで上昇。今月中には10%と報道されている。
はい、欧州で最悪です。(最良は先週の時点でフランスだった。フランスに引っ越したい)

つまり今まで100ポンド(約16100円)だったものが110ポンド(約17700円)になっている計算だ。
これはかなり大きい。しかもこれ、全国平均ですからね。

中でも目を疑うのは光熱費で、53.5パーセント上昇。5%じゃないのよ。
例えば今まで光熱費の支払いが5万円だったなら、7万7千円になっているということです。

ガソリンは1リッターが1ポンド62ペンス(約260円)に(去年は1ポンド25ペンス)。
わたしが住んでいる物価のバカ高いエリアでは、1ポンド62ペンスで買えるスタンドなんか見たことがない。安いところで1ポンド80ペンス(約289円)くらいはする。

食料品は平均6.7パーセント上昇(いや、もっとだろ)。今年中に15%まで上がるという人もいる。
一番安い類のパスタは50パーセント、パンは一斤16パーセント値上がりしているもの...
揚げ物に使う油は値段がちょうど倍になっているのを見かけた。

原料、日用品、家具、レストラン、ホテルも全体的に値段が上がっている。

例えば昨日、百貨店で見た某ブランドのハンドバッグは先月まで900ポンドだったものが1100ポンドになっていた。便乗値上げ?

レストラン(上の写真)は、娘と二人で和食ひねりの入ったイタリアンのランチを軽く食べて、お酒も飲んでいないのに180ポンドだった。なんと、驚きの3万円である。うどん屋さんで天ぷらうどん(一人前3000円くらい)を食べればよかったよ...


このインフレに対抗するため金利が上昇(来年には2・5パーセントになる)、賃金も上がらなければならないはずなのに4.2パーセントしか上がっていない。しかもインフレ率を勘定に入れると1.2パーセントしか上がっていないことになるそうな。

この結果、今年から来年にかけて、英国の絶対貧困数は130万人になるという(うち子供50万人)。英国の人口はざっと6600万人なので驚きの数字である。6人に1人。

フード・バンク(無料で食料品がもらえる施設)を利用する人が増えているのはこのような状況で当然としても、「ガスや電気が使えないから調理する必要のないものを」と希望する人が少なくないそうで、とても先進国とは思えない状況なのである。


ロシアのウクライナ侵攻、新型コロナのパンデミック、そしてEU離脱などの影響で...だけでなく、完全に政府の失策だと思うのだがいかがか。

わたしは英国の永住権を持っているが、選挙権はない。
庶民は、パンとサーカスを与えられ、奴隷のように好きにされている場合ではないと思う。

プラチナム・ジュビリー、在位70周年記念式典の予算は13億ポンド(約2000億円)。

英国の将来が心配だ。

(数字はBBCニュースを参考にしました)
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ゲタリア出身者は世界の夢を見る




フランス国境にほど近い、スペイン・バスク地方サン・セバスティアンから西へ。

ビルバオへと車で向かう途中、2ヶ所立ち寄りたいところがあった。
車でなければとても行きにくい場所だ。

一ヶ所目はサン・セバスティアン郊外にある、バスク料理の名を高らしめた、ミシュラン3星レストランArzak。新バスク料理を出す。

二ヶ所目はゲタリアという漁村にあるバレンシアガ美術館。

「2011年、スペイン王妃ソフィアによって出身地のゲタリアにバレンシアガ博物館が開館し、バレンシアガ財団名誉館長であるユベール・ド・ジバンシーが出席した。バレンシアガのデザインによる1200点以上のコレクションを持ち、その一部はジバンシーのような弟子や、ベルギー王妃ファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴン、モナコ大公妃グレース・ケリーなどのような顧客からの寄贈による」(Wikipediaより)


バレンシアガの母親がお針子を務めていた貴族の邸宅が美術館の一部になっている。なんという下剋上。
小高い丘に立つクラシックな建物と、左右の現代建築がなんともいえない粋なハーモニーを醸し出す。



ゲタリア出身のデザイナー「バレンシアガ」といえば、あのディオール御大をして、

「オートクチュール界は、バレンシアガが指揮者のオーケストラのようなものだ。われわれデザイナーはミュージシャンで、バレンシアガの指示に従っている」と言わしめた、ファッション界では最重要人物のひとりである。




ファッション・ハウスもコングロマリット化した昨今、1998年にグッチ・グループが買収するまで、バレンシアガはほとんど忘れられたブランドではあった。

19世紀末にゲタリアで生まれたクリストバル・バレンシアガは、12才の時からファッションに携わり、マドリッドで修行、20代初めにはサン・セバスティアンに自分の店を持った。
その後はパリに進出、戦争などの影響で浮き沈みを繰り返しながら、1972年に77歳で没するまで終生「オートクチュール」にこだわったという。

そのことは、裁縫の知識のないわたしにでも分かるほど、展示物から滲み出ていた。




切り替えや繋ぎ目のない(ように見える)レースのドレス。この膨らみは、ではいったいどうやって作っているのだろう。想像を絶するような分量の布を使ってサーキュラーで取るとしても、熱をあてでもして生地(糸)を伸ばしているのか? こんなに伸びるものなのか? 

服正面に比べて、背中のデザインのドラマティックな「意外さ」よ。
平らなテーブルに置いても花びらのように立体的に立ち上がる袖と背中の丸み。
既成概念ではありえない場所に切り替えが入り、背中から腰へと続く流麗なライン。コルセットから女性を解放したその誇りが現れているようだ。
   



おもしろいのは、近頃はSNS時代に映えるアイコンとしてのBalenciagaロゴ入りの服飾品が若い人たちの間で大人気だ。

「オートクチュールブランド? だから何?」というような感じの脱構築。


ひと昔(わたしの時代)は、ブランドは子供が持つものではない、ブランドの名に恥ない大人になってから、などと言われたものだった。

今は、バレンシアガもユニクロも「クールさ」という基準で同じ土俵上に置いてしまう。ブランドという「会員クラブ」の壁を破壊し、全部同じ平面に置きなおす。
ブランドとは何か、優れたデザインとは何か、という問いに一種の解答を提示してはいると思う。

まあ、「会員クラブ」のメンバーシップは「お金」で買えるようになった、のでもあるわけだが。


先日も、22万円だかのボロボロのスニーカー(スニーカーにマジックでバレンシアガと書いて、土の中に何年か埋めてブルーチーズみたいなったスニーカー!)がニュースを賑わしていたのは記憶に新しい。




2017年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開催されたバレンシアガ展のところでも書いたが、バレンシアガ氏がSNS時代のバレンシアガを見たら何と言うだろうか。

オートクチュールという、アウラのあるオリジナルが、ブランドの名前が、別の価値に置き換えられた複製の時代...インタビューしてみたいなあ。




そしてゲタリアは、マゼランに同行して史上初の世界一周を果たしたエルカーノの出身地でもある。

商船主であったエルカーノは、船を差し押さえられた際に皇帝カルロス一世に恩赦を求め、その引き換えにマゼランの航海に協力させられた。
1521年、フィリピンでマゼランが死亡すると、エルカーノは船団指揮を引き継ぎ、1522年にスペインのサンルーカル・デ・バラメーダに帰還、史上初の世界周航を達した。

出航時点で5隻237名いたメンバーは、帰還時にはエルカーノを含め1隻18名にまで減っていたという。


この成果は単なる冒険譚ではない。

「大航海時代の口火を切ったのはポルトガルであったが、スペインはそれにすぐにおいついたのである。そして世界を一体化したのはカルロス1世時代のスペインであった。海路開拓によるグローバルな交易ネットワークの構築こそ、その後のヨーロッパ経済の根幹」

「ヨーロッパによる世界支配の要因として、しばしば産業革命による生産力の向上が挙げられる。それは決して間違いではないが、そもそも販路がなければいくら生産力を上げても仕方がない。この交易ネットワークは、その後、オランダ、イギリスと主導権が移っていくが、ヨーロッパの世界支配の軸でありつづける」(玉木俊明著『16世紀「世界史のはじまり」より)




ゲタリアの、魚介加工工場のある小さな漁港を眺めていると、その先に広がる「世界」は想像しにくい。

が、いつの時代も、「存在すらも知らないものが存在する、ということをなぜか経験に先立って知る能力のある人」が出てきて、パラダイムを塗り替えるものだなあと思った。
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バスク・チーズケーキ発祥の店ラ・ヴィーニャ




前記事はショックのあまり(Zimermanがアムステルダムのリサイタルを4日前にキャンセルした)バスク旅の与太話から逸れてしまったが、友人との2人旅の続きを。


すばらしきかなバル文化! 

バル(充実したおつまみを出す酒場)をハシゴしながら、好きなものを好きなだけ食べる...
チキテオ (txikiteo) とはバルのピンチョスを食べつつ何軒もハシゴする意であるそうだ。

上の写真はバスク地方はサン・セバスティアンの「バスク・チーズケーキ発祥のお店」La Vinaラ・ヴィーニャのバスク・チーズケーキ。
こちらもレストランの一部がバル(ピンチョスを出す酒場)なのである。
昨日、わたしが呆然としながらやけ食いしていたのもチーズケーキです(笑)。

朝11時の開店前で準備中だったにもかかわらず、カウンターの隅で今日一番のを切り分けて食べさせてくれた。

よく見かける自立するタイプのバスク・チーズケーキとは違い、かなり柔らかくクリーム、という食感。
プリンとも全然違うし、ベイクドチーズケーキでもなく、ましてやスフレタイプではない。
甘さ控えめ、粉はほとんどなし、濃厚でしかも癖の少ないとろとろなクリーム。コーヒーから、チャコリにまで、何にでも合うだろう。美味っ。

鷹揚にもレシピは一般公開されているそう。

再現してみます!




準備中のラ・ヴィーニャ店内。バスクチーズ・ケーキ、スタンバイ完了!

みなさん超忙しそう(当たり前だ)にしていたので、邪魔になってはいけないと小さくなって速攻で食べた(笑)。
毎日何個くらい焼くのか、チーズは何なのか、世界中で有名になってどう思うかなど、質問してみたかったな...




ほど近いこの広場の、クリームチーズ色の建物の美しいこと。
広場のサイズも雰囲気も全部たまらなく大好き。




こういうタイプの「バスク・チーズケーキ」も...
プレゼンテーションがかわいすぎる!!




おまけでこちらはバスクのカスタードのタルト。
中のカスタードとタルト生地が融合して、タルト好きにはたまらない味!
バスクの旗もかわいい。
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zimerman@amsterdam




か、悲しい。

呆然として、チーズケーキのやけ食いをする以外、何をする気にもなれない...今日は。

今週末の日曜日、オランダ・アムステルダムのコンツエルトヘボウでリサイタル(バッハ・パルティータとシマノフスキ・プレリュード、マズルカなど)の予定だったKrystian Zimermanの運営が、今朝、4日前になって突然のキャンセルを連絡してきた。


理由としては、運営側の問題とのことだが、4日前って突然すぎやしませんか。
いったい何があったのだろう(またピアノが壊されたとか、持病がとか、会場のコンディションが、とか?)

彼ほどのピアニストとなれば、地元アムステルダムだけでなく、欧州諸国から飛行機に乗って鑑賞に来る人(わたしと夫だ)も多いだろうに。

チケットは自動的に一年後2023年の同じ日のリサイタルに振り替え。ええええ、一年後...

このキャンセルで2022年の欧州での彼のコンサートはゼロに。またどこかで突然開催されたりするだろうか。


同じ週末にアムステルダムでお誕生日のサプライズを祝うはずだった友人一家からも、主役側が行けなくなったと連絡を受けたばかりだった。
わたしたちも国立美術館見学のためだけには行かないかなあ...2週間後にもSokolovのリサイタルのために行くし...


その困惑を弄ぶかのように、夫がオークションで競り落としたファースト・エディションのレコードが届いた。
今はこれを聞くのもなんだか。

東京の、趣味を同じくする友達Yさんに涙の訴えをしたら、彼女はZimermanに当日キャンセルの憂き目にあったことがあると! きょ、巨匠...そりゃないぜ。

再来週、同じ会場でのGrigory Sokolovのリサイタルは、大丈夫なのか。

アムステルダム、遠い(ロンドンのヒースローからオランダのスキポールまで飛行機で1時間ですけど)。


Zimermanの予定されていたプログラムは
J.S. Bach
Partita nr. 1, BWV 825
J.S. Bach
Partita nr. 2 in c, BWV 826
Szymanowski
Andante ma non troppo, nr. 1 (uit '9 preludes', op 1)
Szymanowski
Andante con moto, nr. 2 (uit '9 preludes', op 1)
Szymanowski
Moderato, nr. 7 (uit '9 preludes', op 1)
Szymanowski
Andante ma non troppo, nr. 8 (uit '9 preludes', op 1)
Szymanowski
Moderato, nr. 13 (uit '20 mazurkas', op 50)
Szymanowski
Animato z elegancją i grandezzą, nr. 14 (uit '20 mazurkas', op 50)
Szymanowski
Allegretto dolce. Naiwnie i sentymentalnie, nr. 15 (uit '20 mazurkas', op 50)
Szymanowski
Allegramente. Vigoroso, nr. 16 (uit '20 mazurkas', op 50)
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