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Brugge Style
matisse in the studio
ロイヤル・アカデミーで開催中の「スタジオのマチス展」Matisse in the Studioへ。
展示物自体は多くなく、巨匠マチスが絵画の対象物をどのように選び扱い、どのように捉えて描こうとしたかを考える試み。
マチスのスタジオに置かれて愛でられ、しばしば彼の芸術の対象になったもの-花瓶、ポット、仮面、椅子など-が作品と合わせて展示されている。
なるほどマチスは対象物に優劣をつけず、どの存在も平面上でイコールになるように(壁や人物でさえも)描いたのだということが、この展示方式でわたしにもはっきりわかった。
そうだ、切り絵に没頭した晩年は「体力がなくなったから」と説明されているのを何度か読んだことがある。
しかし老いばかりが理由ではなく、ものの存在を平面上でイコールにするのには、輪郭を強く描くこと以上に切り絵がふさわしい手法だったのではないか。
今までマチスの切り絵にはあまり興味がなかったが、断然おもしろくなってきた。
ものの詳細と意味を引き剥がし、先入観に囚われることなく、本質のみを光(すなわち色)で表したような芸術。
例えばわたしがいちばん気に入ったのは彼が恋い焦がれて買ったというヴェネチアの椅子のポートレイトだ。
ああ、この絵をうちに飾って毎日眺めたいなあ!
オーディオガイドも、これは椅子の静物画ではなく、肖像画である、と表現していたのが深く印象に残った。
オーディオガイドにはマチスの名言がたくさんちりばめてあり(それをフランス語なまりの英語を話す老人としてアテレコしてるのには閉口したが)、どれもかなり現象学的、構造主義的で理解の助けになった。
マチスほどの芸術家でも、パラダイムには逆らえなかったんだな。
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alice's adventures in wonderland 2017
ロイヤルバレエ2017/2018年シーズンのオープニング・ナイトはクリストファー・ウィールドン/Christopher Wheeldon版「不思議な国のアリス」Alice's Adventures in Wonderland。
敬意を表するために家族で特別おしゃれして行って参りました!
タキシードで装った紳士方も気のせいか普段より多く、観客が特別な雰囲気を盛り上げるのに一役かうのはものすごくいい習慣だと思う(特にいい席に座る人たちには頑張ってほしい)。
始めから終わりまで、一瞬一秒を楽しんだ素晴らしいオープニングの夜だった。
初演と一部キャストは変わってしまっているが、メインのキャラクターは多くがそのまま、特にこの作品を捧げられた英国出身のプリンシパル、ローレン・カスバートソン/Lauren Cuthbertsonはさすがに「彼女のために作られたアリス」だけあって輝いていた。
リハーサルと大きく違ったのは、何はさておきその勢い。
「勢い」という名詞を辞書で引いたら「運動によって生じる他を圧するような力」「はずみ、なりゆき」とあり、副詞だと「事の成り行きで必然的にそうなるさま。自然の結果として」となっている。
そうそう、そういうこと! 舞台を構成する少なくないすべての要素がぴったり一体となって流れるような強さから起きる勢いだ。
舞台全体を引っ張っていく狂った時計のような調子っぱずれの音楽(Joby Talbot作曲)の不思議なハーモニーには舌を巻き、どこから思いついたのかと舞台デザイン(Bob Crowley)には目を丸くする。天才的。
左の写真は娘が額装して部屋に飾るつもりのカード、舞台衣装を含めデザインしたBob Crowleyのデッサンだ。
もうこれを見るだけでアリスの夢の中に入っていけるようなマジックが...
心残りだったのは昨日の記事にした、赤の女王・母親役のゼナイダ・ヤノウスキー/Zenaida Yanowskyが怪我で降板したことだった!
しかしラウラ・モレア/Laura Moreraもリハーサル時以上によかった。
余計なお世話だが、機会がおありなら、バレエが好きな方はもちろん、そうでない方にもぜひご覧になっていただきたいです。
10月には2回(たしか23日と29日)映画館で上演されます。
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不思議な国のアリス・リハーサル
いよいよロイヤル・バレエのシーズンが始まる。
昨日は長い間待ち焦がれたクリストファー・ウィールドン/Christopher Wheeldon版
「不思議な国のアリス」Alice's Adventures in Wonderlandのリハーサルを見てきた。
アリスは高田茜さん。
この役は彼女の美しさの中の少女っぽい面がものすごく引き立ち、
高い技術をお持ちのこともあって、
とてもマッチしていた。
ただプロダクション全体的には「毒」が少々足りなかったかな...
この演目が上演されなかった2年の間に、
この人をおいて他に赤の女王・アリスの母親役はありえないだろうと言わしめた
ザ・女王ゼナイダ・ヤノウスキー/Zenaida Yanowskyが退団してしまい、
いったいどういう人事なら満足なのだ? と自問自答の毎日だったのだが、
今シーズンはヤノウスキーが赤の女王として特別出演するそうです! ぅやっほー!
今夜はローレン・カスバートソン(アリス)/Lauren Cuthbertsonとともに一緒に出演!
もちろん今夜見に行きますとも!
しかもハウス内でいちばんいい席のひとつを取ってあるのでわくわくが止まらない。
大学受験準備中につき、最近は勉強以外ほとんど何もする時間がない娘も万難を排して。
(写真はZenaida Yanowsky as the Red Queen in Alice’s Adventures in Wonderland
© Johan Persson/ROH 2011)
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途方に暮れたまま
そういえば「そして僕は途方に暮れる」の歌詞について書いたら、ずいぶんメールをいただいた。
この歌の歌詞には、愛だの恋だのをはじめ、さみしいとか会いたいとか、信じているとか、別れ、孤独、悲しみ、涙、元気、幸せ、希望、癒し...そういう便利な言葉はひとつも出てこない。
曖昧でどうとでも取れるような言葉や句が重なり合わさっている。
しかし、その効果は絶大で、若い男女の別れのせつなさと愛情が溢れていると感じられる。
歌というのは本来こういう機能があるものだと思う。
端的に、「愛」だの「さみしい」だのという便利で大きい言葉を使わずにそれを表現するものだ。
そして聴く人の人生にあったことも、なかったことも、想起させる機能。
シンプルにしないほうがいい感情や状態もある。
というか、シンプルにできない方が人間にとっての普通じゃないか?
片付かない気分、どこにもやり場のない不安、消化できない感情、うまく表現できない気持ち、一度も経験したことのない喜びや悲しみを、誰か他の人が作った、あいらぶゆーあいみすゆーなどとそういう歌詞にのせてしまうのはもったいないと思うこともある。
まあ、人間は楽になりたくて便利な言葉を使った歌を歌うのかもしれない。
あるいは手軽に愛を味わいたくてそういう歌を歌うのかも。
でも便利な歌詞にばかり触れていたらそういう恋愛しかできなくなる。感情はその人の属する文化のコピーだからだ。
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10時のおやつです
タルト・タタン焼けました。
もちろん庭で採れた林檎!
小さいので20個も使いました。
これに自家製バニラアイスクリームをですね...
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