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ヴェネツィアを 夜明けの逍遥




塩野七生さんは『海の都の物語』を執筆中、黒いマントを引っ掛けて夜中からヴェネツィアの街を歩き始め、夜が明けると、営業を始めたばかりのサンマルコ広場のカフェでエスプレッソを飲むのだ、

と、とても彼女らしいドラマティックなことをどこかで書いておられた。




わたしも夜中から歩き始めたい気持ちはあるものの、なんせ小人ゆえ、夜明け前から彷徨い始める。

星のかけらのような街灯が灯る細い道をふらふらと。

橋を渡るたびに、見え隠れする大運河の水先案内の灯りや、出勤前の人の黒い影とすれ違う。ひょっとしたら共和国時代の人の亡霊だったりして...




無人の広場の建物の無数の窓はしっかりと閉ざされ、猫すらも歩いていない。

教会も、こういう時刻にこそ立ち寄りたいが、芸術作品が本来の場所に多く残されているヴェネツィアの教会は意外と開くのが遅く、ホテルに戻って朝ご飯をゆっくりいただいてからになる。




アカデミア橋から東の方に向かい、空の色が刻一刻変化するのを眺めるのはすばらしい。

サンマルコ広場は噂通りの揺らぐ薔薇色に染まる。




前回、わたしのこのおかしいほどのヴェネツィア憧憬はいったい何なのか、と書いて、その後もいろいろ考えたみた。

縁もゆかりもないのに、説明できない愛着があり、それは単に「前世で」とか、「島全体が美術館だから」とかに帰すことにできない感情で、

強いて言うならば、わたしの夢や憧れは決して幻想ではなく、「ヴェネツィア」という実態としてそこにある、とヴェネツィアは提示してくるものの、実態すれどもそれは決してわたしのものにはならない。胸が裂けるような気持ち...

もっと簡単に、書けるはずだったのに書けなかった小説、みたいな感じかな!




Aman Veniceの名GM、L氏(二週間島に滞在しては、数日間北イタリアの自宅に戻るという生活を続けておられるので)に、「(ヴェネツィアはインフラなどが現代にそぐわないなどの理由から、住民は激減している)ヴェネツィアに住むチャレンジは何か?」と質問したら、ウインクしていた...

わたしは今後も一年に一度、観光客が少ないこの時期に訪れ続けるだろう。

東西の文化の接点で、いまはもう亡き歴史の厚みを残し、沈みつつあり、海に浮かぶマドンナの宝石のような、常にベールの向こうにある、海の都。

龍が吐いた息がつくったような街。


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凍星の海の国 ヴェネツィア




2月とはいえ、今年のヴェネツィアは暖かい。

17度、晴れ、コートが必要ではない日もあり、凍星は凍星でも、時間に凍りついた星のような国...


わたしがヴェネツィアを世界一好きだというのは、死んだらここの海に散骨してほしいと頼んでいるくらい。

なぜだかはわからない。
縁もないのに。

触れたらボロボロと崩れて消える夢のようだからか。
この世とあの世の間にある龍宮城のようだからか。

ダンテ『神曲』「地獄篇 Inferno」の辺獄のようだからか。




わたしの夢は、空想や作りごとなどではなく、実際ここに存在する...とヴェネツィアは提示しつつも、決してわたしのものにはならないもの、手の届かないものだからだと思う。

そこから引き離されるのは胸が破れそうにつらい。

変かなあ。


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kissin for alexei navalny




毎年この時期に開催されるEvgeny Kissin のピアノ・リサイタル@ロンドンのバービカン。

プログラム(下に載せました)の演奏も、まるで建築!(「建築は凍れる音楽」byシュレーゲル)で、文句なく素晴らしかったのだが、観客のこころがざわつき、涙したのはなんといってもアンコールだった。


'I dedicate this encore to the memory of Alexei Navalny, who died yesterday in the concentration camp…'

「このアンコールは昨日(16日)、強制収容所で亡くなった、アレクセイ・ナワリヌイに捧げます」

決然とした表情で彼は言った。
一瞬の間の後、会場は再び大喝采に包まれた。

わたしの座席の周りはロシア人でいっぱいだった。
それまで大喝采を送っていたロシア人の中には、アンコールでは立ち上がらない人もいた。

わたしは彼の勇気を称賛する。
彼は音楽界の中にいて、この発言が世間ではいかに危険か見当もつかないのだろう、と言っている人もいたが、わたしは全然違うと思う。


去年のリサイタルでは、「現在の全ての活動をウクライナに捧げる」と旗幟鮮明にし、わたしは彼の演奏をRebel(カミュ『反抗的人間』の反抗)的リサイタルだった、とここに書いた。

カミュの『反抗的人間』は、もちろん反乱と革命を扱ったものであるが、

「極限の状態に置かれ、判断基準に正誤のマニュアルがなときでも、なおそれでも人間は最適解を下すことができるのか」

という最高に厳しい問いをわれわれに投げかけるのである。


今年のアンコールの3曲は、ショパン、プロコフィエフの行進曲、ブラームスのワルツで、肯定的で楽観的で、陽気で、勇敢で、美しく、それらが指の間からこぼれゆく取り返しのつかなさ...

それはナワリヌイのドキュメンタリーでの発言を思い起こさせた。

彼は「もし投獄され 殺されるなら、ロシア国民にどんなメッセージを残すか」と質問されている。

彼はこう答える。
「彼らが私の殺害を決めたということは、私たちの力が巨大だからだ。迫害を受けている私たちこそ巨大な力なのだと覚えておいてほしい。私のメッセージはいたってシンプル。『あきらめないで』なのです」

最後のブラームスの最も美しいワルツで、わたしの涙腺も崩壊...
https://www.youtube.com/watch?v=oy6uV-eMOEs(<昔の録画)


とは言いつつも、彼はイスラエルのガザ攻撃についてはどのように思っているのか、(著名人が発言できない状況下、わたしの知るところではDaniel Barenboimがパレスチナを支持している)ぜひ聞いてみたいとも思った。




ベートヴェンのソナタは、折れるのではないかと思うほど巨大でドライな調べで驚いた。
ショパンのノクターンは1番がわたしが最も好きなノクターンで、2番はメランコリックに優しげ(に演奏されることが多いと感じていた)なため、1番の陰に隠れてしまっていたのだが...それがまあ、蒙を開かれた感じ。威風堂々、直球的に演奏され...感動した。
ファンタジーも同じくすばらしかった。

ブラームスは非常に悲劇的に感じられ、何年か前に出版された彼の自伝では「ブラームスは弾きたいと思わない」という趣旨のことをおっしゃっていたのを思い出した。

プロコフィエフのソナタは、アルゲリッチの演奏が一番だと思っていたものの(今もそう思うけど)、何か全く別物を聞いたような気がした。
まるで生のリズムそのもの。すばらしい、キュビズム(のような)。
このソナタがあまり好きではない夫も、好きになった、と言っていました...


2024年冬に予定されている日本のリサイタルにも行きたいと思っている。追っかけで(笑)


Programme

Ludwig van Beethoven
Piano Sonata No 27 in E minor
1. Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck [Vivaciously and with feeling and expression throughout]
2. Nicht zu geschwind und sehr singbar vorzutragen [Not too quickly and very songfully

Frédéric Chopin
Nocturne in F sharp minor, Op 48 No 2
Fantasy in F minor, Op 49

Johannes Brahms
Four Ballades, Op 10 No 1 in D minor
No 2 in D major
No 3 in B minor
No 4 in B major

Sergei Prokofiev
Piano Sonata No 2 in D minor 1. Allegro, ma non troppo
2. Scherzo: Allegro marcato
3. Andante
4. Vivace – Moderato – Vivace
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「資本主義の」美しき宮殿@アントワープ




アントワープの中心街、路地の奥の扉をくぐると、まるで聖遺物箱の中に入り込んでしまったかのような輝きに目が眩む。

ここは宮殿?
劇場?

この建物をフラマン語でHandelsbeursと呼ぶ。




アントワープ証券取引所だ。

確かに、資本主義の宮殿に違いない。

便宜上、アントワープの「証券取引所」と呼ばれているが、世界初のそれとして建築された1531年にはまだ株式や債権は発明されていなかったため、正確には商品取引所、となる。


16世紀アントワープの繁栄は、のちにオランダのアムステルダムに移り、オランダは歴史上初の「覇権国家」になる(16世紀)のだが、その前段階から始めよう。

アントワープが繁栄のバトンを受け取ったのは...

ブルージュからである。





今となっては意外に思われる方も多いのかもしれないが、12世紀から15世紀あたりのヨーロッパにおいて、ブルージュは欧州一と謳われるほどの栄華を誇っていたという。

このフレーズ、このブログ上で何度も繰り返している。
わたしは、昔大いに栄え、今はそうでもない都市が大好きなのだ。
盛者必衰のことわり。


遠隔地からの商品輸送には、陸路ではなく水路を介した海のルートが不可欠であり、ブルージュは北海を港湾とすることで国際商業センターへと成長した。
在地商業の成功や、比較的平和だったことも、背景として無視できない要因だという。

次第にブルージュに外国商人が増え、商品だけでなく、商習慣や情報をももたらすようになる。

北と南の貿易ルートに戦略的な位置を占めたブルージュの取引所は、1309年(おそらく世界初。為替手形(約束手形)や信用状を扱う)にオープン。

イングランドの毛織物や、ポルトガルのもたらす砂糖、東方のスパイスなどを商うだけでなく(どのような商品が扱われていたかのリストは眺めているだけで楽しい。非常に豊富な商品が世界のあちこちから!)、14世紀には最も洗練された金融市場に発展したのである。
当然、芸術も花開く。

しかし、15世紀末にブルージュの水路に砂が堆積し、航行不可能になると、アントワープが重要性を増し、ブルージュの黄金時代は終焉を迎えた。

じょじょに商人はブルージュを捨て、アントワープへ移動する。




アントワープはブルージュから貿易センターの役割を引き継ぐにつれて、1万人の外国人商人(主にスペインとイタリア)を含む、10万人以上の住民を抱える大都市になった。

そして1531年にこのアントワープ証券取引所がオープンする。
当初は屋根なしの長方形の広場であり、ブラバント・ゴシック様式で建てられた。

取引は毎日行われ、取引をスムースにするための商業情報と商業慣行が均質化され(情報を印刷した印刷物の発行も)、アントワープに莫大な富をもたらした。


しかし、八十年戦争中の「アントワープの崩壊(16世紀末)」がきっかけで衰退し、17世紀ごろには使用されなくなったという。もったいない。

ここでもまた商人の大移動が起きる。
彼らが目指したのはアムステルダムだった。




19世紀には火災が起き、建物はネオ・ゴシックと、時代の流行であった金属とガラスを組み合わせて再建され、再び証券取引所を収容する目的を果たした。
が、再び放棄され...

大規模な修復の後、現在ではアントワープ見本市として知られる多目的イベント会場の一部である。




わたしは自分が神戸出身だというのではないが、網野善彦のいう「無縁」の人、一ヶ所に定住しない、この世の秩序にからめとられていないマーチャント・アドヴェンチャラーズや、貿易商人たち、スパイや植民地官僚などに強い興味がある。

壁に一面に描かれた、航路の記された世界地図を眺めて、人の移動を想像しているだけで何時間も時が過ぎていく。

ヨーロッパの隅々から集まってきた商人たちが、珍しい文物を持ち込み、あるいは購入し、それぞれの服装で、それぞれの言語を話し...想像しただけでクラクラする。
ロマンだなあ。





証券取引所の一部はレストランに改装されていて、こちらがまた素敵だった。
滞在中に3回も利用した。

アントワープ証券取引所は一般公開(無料)されているが、不定期なので調べてからお越しください...
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黄金の アントワープ街歩き


Museum Eugeen van Mieghem Museum


月曜日。
アントワープの美術館や博物館はどこも休業、ルーベンス・ハウスは改装中...

上の写真、陽が落ちる寸前、まるでルーベンスの筆跡のように、建物の輪郭が黄金の光の中に揺れていた。

冬晴れ(晴れ女参上)を大いに楽しむため、ランチの後は18時に商店街のお店が閉まるまで、ぶらぶらと歩いて楽しんだ。




先日、在英国の友達経由で、復活祭の休暇にお子さん三人連れでブルージュを訪問する予定という家族から相談を受け、ブルージュ以外にもう一ヶ所選ぶなら、ゲントがいいだろうか、ブリュッセルがいいだろうか、というものだった。

ゲントはブルージュから車で30分ほど、ブリュッセルは1時間だ。

それぞれの街にそれぞれの魅力があるとはいえ、わたし的にはアントワープかな、と思いながら返信をしたのだが...

今回、久しぶりにアントワープに滞在して、以前よりもさらに勢いがあるのではと感じるこの街が、今の一番おすすめかもしれないなあ、と思った。




アントワープは規模的にはゲントやブルージュと首都ブリュッセルの間くらいだろうか。
ブリュッセルに次ぐ、ベルギー第二の都市である。

基本的にヨーロッパの街は子供向けには作られていない大人の街なので、どなたでも楽しめるかどうかはわたしには判断がし難い。

しかし、アントワープが、ブルージュの繁栄を引き継いで交易、取引、金融のセンターになった時代、あるいはそれ以前、以後の美しい建物が多く、建物の装飾を眺めながら街歩きをするのは楽しい。
ましてや、インテリア好きにはたまらなく欲望をそそるお店がたくさん...

美しいだけでなく、おいしいレストランやバアも多い。

近隣の街から買い物や食事に来る人や、国境を超えてオランダからの買い物客でもにぎわう。




ファッションの都として有名なこのオランダに程近い街は、MoMuモード美術館はもちろん

「普段美術館に馴染みがない人でも楽しめるように」とのコンセプトで改装オープンした王立美術館

プランタン=モレトゥス博物館(印刷博物館。15世紀以降、国内外の商人同士がスムースにビジネスできるように工夫を重ねた都市としてこの街と印刷物とは切っても切り離せない)

16世紀まで個人コレクションを邸宅に展示した、わたしの大好きなMuseum Mayer van den Bergh(ブリューゲルの「狂女フリート」収蔵)、
17世紀までの蒐集でSnijders&Rockox House

黄金期を追体験できる、肉屋のギルドハウス

フランダースの黄金時代を象徴するルーベンスの、その邸宅

一番上の写真のMuseum Eugeen van Mieghem Museum

モダン美術館のMAS




スヘルデ川岸に立ち、街を守る中世の砦Het Steen(すぐ上の写真)

そうそう、『フランダースの犬』のなかで、ネロが圧倒されるルーベンスがある聖母大聖堂も(この辺りはレストラン街)

他にイリュージョン体験型博物館もあると聞く。


次回は美術館ではないが、絶対におすすめしたい建物があり、そちらを紹介したい...
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