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Brugge Style
ハロウィンという知恵
何を食らったのか...
夜の一人歩きはお気をつけて...
英国では10月最後の週末に冬時間に変わる。
いよいよ冬枯れの季節である。
10月31日はハロウィン。
11月1日は諸聖人の日(All Saints' Day)。
11月5日はガイ・フォークスの日。
「冬という『自然の死』が日常に浸み出してくる」のに対して人間は覚悟を決め、災害を最小に抑えるためにお祭りをする。
お祭りは芸術などと同様に、人間界には存在しないもの、人間界と重なるように存在しているもの、一瞬にして消え去るはかないもの、かつてここにも存在していたかもしれないがもう存在しないもの、あるいは人間が「こう在れかし」と願うもの...などを隠に陽にありありと描き出す。
この世には存在しないはずのそれらのものは、時に、災害や疫病や戦争などの形をとって荒々しくこの世に現れ、日常を破壊し、愛するものを奪い、土地を荒廃させる。現実として。
人間はそれらのもの(「魔」などと呼んだりする)といかに折り合いをつけ、やりすごし、あちらの世界に機嫌よくお帰りいただくかという知恵を育んできた。
具体的にはそれらをうやうやしく歓待し、プレゼントやご馳走を与えてご機嫌を取り、次の季節が巡るまであちらの世界に押し戻すのである(以上、レヴィ=ストロースの『サンタクロースの秘密』から得た)。
子供は古来、この世よりもあの世や聖に近い生きものであると考えられてきたから、彼らを仮に「魔」に仕立て、無礼講を許すのである。
ハロウィンはそう考えると仮装をして馬鹿騒ぎをするだけのお祭りではない。
まあそうなんだけど。
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イングランドの深まる秋を求めて
10月も終わりなのに、昨日は気温19度、今日は21度のイングランド南部サリー州、前々回載せた近所の風景があまりにも青々とし秋らしくないと友が言うので、深まる秋を探しに行った。
今年はこの時点でこれが精一杯の秋らしさだろうか。
中心から左り側の、赤く染まった楓と他のコントラストが、血を一滴落としたようで美しく、とても気に入っている一枚だ。
この先には私有地ゆえ入れないが、雁が集まる湖が...
英国サリー州の「カントリーサイド」は単なる田舎ではなく、郷紳(ジェントルマン階級)のひとびとの領地とその生活のことといって過言ではない。
郷紳のカントリーサイドの生活スタイル(カントリーサイドに土地を持ち、その「あがり」で生活し、地域に名士として政治的・文化的に貢献する)が、英国人の理想なのだそうである。
昨今の政治経済の大混乱で、英国の威信が地に落ちても、という感じ...
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みどり色のオートグラフ
前回、「みどり」という記事を書きながら、はて、最近とても心躍るみどり色をどこかで見たぞ...と思っていた。
そうそう、これだった!
ミーハー万歳! サイン入り!
この夏、アムステルダムのコンツェルトヘボウで観覧するはずだったのに、前日になってキャンセルされてしまったKrystian Zimermanのリサイタル、その同じ演目のレコードが届いたのだった。
完璧主義の彼が、完璧と絶賛する日本のスタジオで去年録音されたそうだ。
こういう「サイン」って、どのように保存するのがお作法なんでしょう?
額装して飾る?
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みどり
近頃、こちらのブログサイトへの写真アップ失敗が続き(テキストエディタを使っているからか?)、何度か文章を書き始めたものの、放棄...を繰り返した。そしてもう10月も下旬。次回までにまた間が空いたら、「ああ写真がアップできないのね...」と思って頂戴。
イングランドの四季もまた美しい。
昨日は久しぶりに10月のサリー州の森を散策した。
まだまだ見渡せばこんなに緑色。
ただ、足元は栗のイガと樫の葉で茶系の織物のよう。
丘を降りてきたとき、秋らしい時雨になった。
羊の数を数えながら緑の葉影で雨宿りをした。
みどり...
抹茶のロールケーキ、いつものレシピなのになぜかいつもよりもおいしかった。
違いは乳糖除去の生クリームを使ったことだけだ(この2、3日どのスーパーにも普通の生クリームが補給されていなかったから)。
あずきの甘納豆入り。
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チェシャ猫のいる教会
ハロウィンにはまだ早い...
ロンドンから南方にある村の、ずっとずっと気になっていた小さな教会に行ってきた。
サリー州のクランレイという村の聖ニコラ教会には、「チェシャ猫」のような「笑う猫」の彫像があるというのである。
英国にはもともと「チェシャ猫のような」という慣用句はあったものの(文献には18世紀初出)、この猫を有名にしたのは、ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』!
あの最高のナンセンス・ストーリー中に、「チェシャ猫が姿を消した後、ニヤニヤ笑いだけがそこに残」る、不気味で不可思議、魅力的なキャラクターである。
わくわくしながら訪れた村の教会は、封建領主が領民のために建てた1170年のロマネスク様式のものだった。
1000年の間に増改築が進み、12世紀当時のものはほとんど残っていないが、北袖廊、目線の高さにある「チェシャ猫」は当時のもの。これにどんなアフォーダンスが...
たしかにニヤニヤと笑う猫に見えないこともない。
しかしこの訪問を機に再読したとても興味深い本、尾形希和子著『教会の怪物たち ロマネスクの図像学 』(講談社選書メチエ 2013) の詳しい説明や写真などによると、これを「猫」と断定する要素は多くはないように思えるのだ...
まあ、「人間と関わりの深い動物である猫は、世界各地で神や化け物としての伝承、動物寓話などが数多くある」(Wikipediaより)。
バケモノ、妖怪としての猫に似たもの...
「貪る口のシンボリズムは、まさに死と再生に結びつくものとして大いに機能した」そうです。おもしろいなあ!(以下、引用はすべて上掲書より)。
エジプトでは猫は神格化されていたし、たとえばケルトの古民話にはケット・シー (Cait Sith)という愉快な妖精猫が登場する。
中世ヨーロッパ、黒猫は魔女の使いであった。
あるいは代表的にはベルギーのイーペルに残る「猫祭り」に代表される、季節の変り目に催された元は残酷な「猫焼き」祭りなど、彼らは人間にとって最も身近で、かつミステリアスな生き物だったのであろう。
「ロマネスクではまだ「恐怖」や「アイロニー」などと深く結びついていた「口」のグロテスク性も、同時に「滑稽さ」や「セクシャリティ」「笑い」に容易に結びついた」
「不安を克服するために人は恐ろしいものに名前を付け、目に見えないものを図像化するが、さらには恐怖を打ち消そうとするためにそれを笑い飛ばす。バフチンは恐ろしいものを笑い飛ばすことによってそこから逃れようとするのも「グロテスク」の機能の一つであると言う」(「笑いを誘うガーゴイル」の章より)
「笑いを誘うグロテスクなものはしばしば辟邪(へきじゃ)の機能を帯びていた」
「ロマネスクの怪物たちは、「不安」「恐怖」の直接の投影でもあり、あるいは「不安の克服」の結果でもあるかもしれないが、同時に「脅威的存在」として「喜び」や「笑い」をも喚起しただろう」
「ロマネスクの世界では、同じ動物や怪物が、場合によっては悪徳の寓意にも美徳の寓意にも、そしてまた聖なるものの表象にもなり、恐怖や喜びや笑いなどのさまざまな感情を呼び起こすものだった」(以上「ロマネスク聖堂内の笑い」の章より)
「怪物たちは「物質世界」と「精神世界」との間、あるいは「内」と「外」の閾にあり、「終わり」と「始まり」と「その先にあるもの」を指し示し、その二つの世界をつなぐものなのだ」(「辺境は最も神に近い場所」の章より)
まさにチェシャ猫のことか。
ルイス・キャロルはクランレイから程近いギルフォード(車で20分ほど)に住まい、そこで亡くなった。
『不思議な国のアリス』を書き上げたのは、ギルフォードに転居する3年前ではあったらしいが、彼がこのニヤニヤ笑う猫の彫像を見ていたかもしれない、と...
「ハートの女王は不埒な猫の首を刎ねるよう死刑執行人に命じたが、中空に頭だけで現れたチャシャ猫には切るべき首が見当たらなった」のシーン。
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