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Brugge Style
『コリント人への第三の手紙』
第一章第一節。
「コリントのみなさま、ギリシャはどこで食べてもおいしい...なかでも、コリントで食べたご飯がいまのところ一番おいしかったです!」
『コリント人への第三の手紙』は偽典...というのはもちろん真っ赤な嘘で、わたしならこう書くかなあ、と(笑)。
パウロが第一と第二の手紙をコリントの信者あてに書いたため、コリントは現代でもキリスト教徒の聖地になっている。
古代コリント遺跡には、パウロが演説を打ったという舞台が残されており、わたしが訪れた日も、巡礼の方々の讃美歌が響き渡っていた。
なぜ特においしいのかしらん。
塩とレモンとオリーブオイルで味付けしたタコやイカ、とれたての魚、旬のスイカやアプリコット、トマトやきゅうり、蜂蜜やワインが最高!
豚肉が美味しいのは、豚肉を食すると、イスラム教徒である隣のトルコ民族が手出ししてこなかったからとか。
コリントはギリシャの首都アテネからなら西の方向に、ボトルネックのようなペロポネソス海峡をペロポネソス半島側に渡ったところにある。
このすぐ上の写真は、コリントのアクロポリス(ポリスの聖域)、アクロコリントスの頂上575メートルの美の女神アフロディーテ神殿跡から望んだもの。
左はコリントス湾、右はサロニコス湾...この海峡の先がアテネだ。
コリントはこの地の利を活かし、古来、交易や造船などを産業として力をつけ、繁栄した古代ギリシャ都市国家だった。
湾が左右にあり、長い歴史があり、文化文明の交差点であったことなど、食事がおいしい理由はいくらでも考えられる。
頂上のアクロコリントスには、わたし大好きヴェネツィア共和国時代の城壁が残っている...
ヴェネツィア共和国は、地中海全域で絶大な影響力を持つ海洋国家として、自らの交易既得権を守るため、ギリシャに多くの城壁を建てた。
戦略的に重要な地域には、交易と商業の拠点としての軍事的、経済的な支配を確立し、維持することが不可欠だったのだ。
アフロディーテ神殿跡まで上りつめる物好きはわたしたちの他にはいなかった。
まずはキリスト教徒が来て、美の女神の神殿の上に教会を建て、次にイスラム教徒が来てモスクを建て、今は石が転がるばかりだが、最も見晴らしのいいこの場所に聖域として美の女神に捧げた神殿があったというのは非常に感慨深い。
早起きし、暑くなる前に登ったのだ。途中までは車で、その先はヒーヒー言いながら。
こんなところ、なかなか参拝しづらっかったろうに...
「到達するのが容易ではない、人間が住むには適していないところ」
「認識できる世界と五感を超越した世界との境目を越えるというか、境界領域を通り抜けるような感じ」
「危険を承知でたどらなければ見ることができないような場所に置かれていることからして、そこは神聖な場所」(レザー・アスラン『人類はなぜ<神>を生み出したのか?』より)
鬼神(きしん)を敬して之(これ)を遠ざくるは、知と謂(い)うべし、ですな。
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太陽は天空を翔けるアポローン神の4頭立て馬車
太陽は天空を翔けるアポローン神の4頭立て馬車。
(アポローン神は、太陽神ヘーリオス神と習合、同一視された)
夏休み第一弾、今年はギリシャのペロポネソス半島へ来ている。
今日も暑い。
アポローンと馬車、黄金に燃えすぎ。
上の写真は、古代ギリシャ都市国家(ポリス)アテネやスパルタと並んで繁栄を極めたコリントスのアポローン神殿と、背景の山はそのアクロポリス(都市国家の神聖なエリア。コリントスではアクロコリントスと呼ばれる)。
しかも575メートルの頂上には17世紀のヴェネチア共和国時代の要塞が残る...ご覧いただけるだろうか。
この山頂の要塞の壁は、朝光とともに銀色の姿を表し、刻々と色を変えていく。
夕焼けに染まり、月明かりに照らされ、闇が訪れ、ただ受け身で、孤高を主張するかのようにそこにある。
まるで一種の日時計を見ているような気がする。
アポローンが朝、東の空から馬車を出し、西の空へと駆け抜ける、その単位の無限の繰りかえしを、要塞が犠牲的に受け入れているかのようだ。
人間界の時間の流れとは全く別に、これまでも、これからも、永遠の神の時間の流れの中に存在しているようで、去ることは決して許されない...見放されてしまったこの感じ...
どこか悲しみを誘う。見飽きない。
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les rendezvous
https://www.youtube.com/watch?v=S3jaSD2VHY8
こちら、Vodka Gorillaさんのチャンネル、ぜひっぜひっご覧ください!
わたしが崇拝する女神、Marianela Nunez...
今シーズンもコヴェント・ガーデンに通いに通い、鑑賞後は恍惚として、彼女の神々しさを讃えるため、あれこれ拙い言葉を駆使したものの、まった追いつけず...
が、素晴らしき解説番組を見つけた。
Vodka Gorillaさん、ご自身もダンサーとして活躍なさっている。さすがプロ。
わたしが抽象的な言葉で(ぎゃーと叫んだり、「我執を去る」とはすなわちこれか! とか、場の摂理にかなった動きとはこういうことか! とか)しか言い表せなかった神髄を見事に表現しておられる。
わたしは英国高級紙のダンス・レヴューなどもチェックするが、Marianelaの芸術をここまでシロウトにもわかるように解説した媒体は他にない。
これをご覧になったら、わたしがなぜ常に恍惚(ほとんど法悦)としているのかお分かりいただけるはず...
11:10あたりからどうぞ。
......
ロイヤル・バレエの今シーズンは『ドン・キホーテ』で始まり『白鳥の湖』で終わる贅沢なシーズンだった。
昨夜はわたしの今シーズン最後の鑑賞で、ザ・イングランド! と言ってよい Frederick Ashton 祭、Les Rendezvous, The Dream, Rhapsody の三本立て。
なかでも1933年の作品を改訂したLes Rendezvousは、ボウ・ブランメルのようにスマートでシックな服装をした男性ダンサーと、優美な色彩のドレスをまとった女性ダンサーが眼福。
イングランドやフランスで流行った「プロムナード」を絵巻にしたかのよう。
「プロムナード」というのは、18世紀から19世紀にかけて、富裕な男女がファッションや馬車を顕示し(まさにヴェブレンの言うところの「顕示的消費」)、社交を楽しむために公園や大通りをただただ練り歩くことを指す。
Marianelaが、非常に複雑な動きをしながらも、お目目キラキラ、瞳をぐるぐる回したり、花のように笑ったり、とってもお茶目な表情をしていて、こちらも風船のように舞い上がってしまいそう、客席から舞台に飛んでいってプロムナードに加わってしまいそうになった。
Vodka Gorillaさんがおっしゃる「テクニックを見せるためのバレエではなく、バレエを見せるためのテクニック」「現代バレエにおけるひとつの到達点」、それ、それですよ!
昨夜は19:00開演だったため、終演後の22:00はまだ空はが明るかった。
昨日は国王の「誕生日」を祝うパレードが行われ、悪天候にもかかわらず、ロンドンは激混み。
誕生日パレードもいいが、路上で眠るホームレスの方々を見て、非常に複雑な気持ちになった。
東京都庁が2年間で48億円だかのプロジェクション・マッピングをしている足元で、食料無料配布に行列ができている現状を知った時と同じような。
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世界は薔薇と芍薬
薔薇と芍薬とまりません
姿も香りもすばらしい
花屋さんや園芸家は毎日こんな経験をしているのだろうか...
美しいものにふれると、「世界」を感じるのはなぜだろう?
美しい薔薇のむこうに、理想的な真理や存在の本質があることが垣間見れるからか。
日常的な経験が一旦停止し、より広い視点へと導きかれたような気がするからだろうか。
今まで知らなかった存在のありかたが目の前に開示され、世界の豊かさを知るからか。
究極的な美は、脳よりも身体的に感じる...と、世界との直接的関係を体験するからだろうか。
なぜこんなに美しいと感じるんでしょうね?
知りたいわ...
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ハンプシャー州の6月
「6月の花嫁」と言いますわな。
あれは、一年のうち、6月が最も美しい季節だからなのだが、今年は冴えない天気が続いている英国南部地方である。
最高気温20度以上にならない日々...ヨーロッパのカラッとした夏はいつになったら...
この週末は久しぶりに快晴だった。
晴れ女のわたしが、ハンプシャー州のフォーシーズンズ・ホテルへ行くと決めていたかもしれない。
娯楽は料理のクラス、エステ三昧、ハイキング、乗馬、魚釣り、運河のボート...
運河?!
そういえば前からパンフレットにそんな写真が載っていたのには気がついていた...
英国南部のハンプシャー州から、ほぼロンドンまで50キロ以上に渡り、18世紀に建築された運河が残っている。
18世紀当初は、ハンプシャー州の農業振興のために造られたそうだが、現在はさまざまな形のボートやカヤックに乗って川遊びをする人や、わたしたちのように川沿いをひたすらハイキングをする人たちで賑わう。
いや、賑わってはいないか。
とても静かでいいところだ。
運河は、英国の産業革命で重要な役割を果たした。
当時、輸送システムとしては、すでに「馬車鉄道」が存在した。
「馬が線路の上を走る車両を引く鉄道」ですよ、えええーっ、それ鉄道の上を? と思いませんか?
「荷台は馬が引く」、というパラダイムはなかなか拭えなかったのだ。車輪が引く、という発想の転換をするまで時間がかかったのだ。おもしろいなあ。
まあそれはおくとして、大量かつ迅速に運べる道路や手段は、運河利用が一番だった。
運河を航行する船は、陸路よりも早く安全に大量の荷物を運べたのだ。
思えば、世界中どこへ行っても重要な街は必ず川のそばに興った。
産業の中心地を結ぶ運河網が整備されると、資源や製品の輸送に大きな利益をもたらし、それはまた商品の価格の下落をももたらした。
19世紀初めには運河システムはさらに発展、技術的な進歩も著しかったものの、19世紀半ばからは急激に鉄道が優位となり、運河は衰退していった。
鉄道会社による、運河の戦略的な買収や統合が複合的に作用した結果だという。
次回、誰かが遊びに来てくれたら、このハンプシャーの運河遊びとフォーシーズンスをセットにして楽しんでもらいたいなあ、と思った。
ウンチクは言いませんから安心して来て頂戴。
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