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ある百貨店








百貨店という日本語が好きだ。
英語の「部門店」仏語の「大きい店」蘭語「倉庫」などよりも
博覧強記、博物学的、驚異の部屋風で。


百貨店としてはロンドンのナイツブリッジにあるハロッズが世界初かと思っていたら、

もちろん定義にもよるが、パリのボン・マルシェ
がその最古と定義されているのだそうだ。
(写真下、クリスマス明けのセールで買い物したら、
こんな飛び出す絵本箱に入れてくれた。
わたしが将来開館予定の「箱博物館」収蔵予定品が増えた)






そういえば19世紀フランス文学には百貨店に勤める人や
買い物中毒で素寒貧になる人の話が出てきたりして、
ワクワクさせられたものだった。

ゾラの「ボヌール・デ・ダム百貨店」とか、
バルザックの「人間喜劇」とか


ハロッズの盛況(主に観光客による?)を見ていると百貨店という形態は
今後しばらくもなくなりそうにないが
神戸大丸を見ていると...
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awaji








贈り物とカードを買いに走ったリバティの Astier de Villatteコーナーで

AWAJIを発見

淡路...兵庫県民としては買わないわけにはいかないでしょう
(時間がなかったので買わなかったが)

KOBEの横に置くのだ


イザナギとイザナミが最初に作った島

絶対買う
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living with gods







Living with gods
people, places and world beyond


大英博物館で文化人類学的展覧会があるというので見に行く。

「共に生きる 神々、人々、場所、あの世」というタイトル。


精神世界と超自然界への関心は人間に特徴的であり、

日常的に使用される信仰のための道具を通して
人間がどのように信仰するのか、
またそれが人間にとっていかに肝要かということを知る趣旨。

「金枝篇」で取り上げられている
類感呪術、感染呪術に使う道具が多く集められており、

南ドイツで発見された4万年前のライオンの顔をした男の像や、
日本の神棚やお遍路さんの衣装、お守りの展示もあった。

内容的にはちょっと(いや、だいぶ)物足らないと感じる一方

大英博物館は間違いなくパワースポットだということを思い知った。

わたしは「パワースポット」という言葉が好きではないのだが
大英博物館に集められているもののことを思ったら
ここがなんらかのパワーを帯びるのは当然か...

世界中の様々な宗教、思想が、「頂上」に向けて
いろいろな登山ルートを示しているんだもの。
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ロンドンあさごはん








素晴らしい冬晴れの予報だったので、出勤する夫と同じ時間にロンドンへ出た。

午前9時。

まだお店が開く前、ホテルで朝ごはんをいただくのがいい。

朝からご機嫌なウエイトレスさんにサービスされ

隣でビジネス・ミーティングをしていたイタリア人が
コーヒーを注意深く注文している様子が愉快で

夜までよい1日になった。


リージェント・ストリートのカフェ・ロワイヤル
ポワロが出てきそうでよい。
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「ジュリアス・シーザー」




ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「ジュリアス・シーザー」を見た。

「王殺し」、つまり「父親(あるいは父親に代わる人)殺し」に直接的・間接的に加担した主人公が、死んだはずの「父」がいつまでも及ぼしてくる影響に悩む話。

シェイクスピアにはそういう話が多いなあ。


主役のブルータス役の役者にあまり存在感がなかったのは(カシアスの方に食われていた)、ブルータスが高潔ではあるがリーダー・シップやカリスマのないそういう人物だったから彼がそう演じているだけなのか、それとも単に役者自身の力不足か。

マーク・アンソニーは長身で浅黒いハンサムで、ひときわ目立つ華のある存在でなければならないと思う...いちいち、あ、このひとがたしかアンソニー? と確認しなければ混乱するというのはどうなのか、と思った。


......


先日から友達と話題になっていた。

「ロンドンにはおそらく世界でも最多に近い数の劇場があり、毎夜それなりに多くのパフォーマンスが行われていて、しかもどこも満員御礼が多いようだ。
しかしクラシック音楽を聴きに行っても、バレエを見に行っても、美術館に行っても、観客の平均年齢層が高い。70代か。この世代がクラシックを鑑賞しに出かけなくなったら、それが観客がごっそり減るという分岐点なのか、それとも人は70に近くなったらクラシックを見に行くようになるのか」

「ロックを聴く人が隠居したという理由でいきなりクラシックを聴き始めたりはしないだろうし、もしかしたらクラシックの観客は高齢化社会の高齢者数と反比例して減っていくのかもしれない」

「そうなったらパフォーマス全体の質が落ちるのではないか」

恐ろしいなあ。


ところが「ジュリアス・シーザー」の客層はかなり若く、30代40代くらいが多かった。いるところにはいるのね、若い人も! と思って妙に安心。やはりクラシックはクラシックでも分野や演目が違えば様子は違うのだ。

年末に同じカンパニーのシェイクスピアもの「タイタス・アンドロニカス」を見たときは年齢層はかなり高かったので、「シェイクスピア劇よ、お前もか」と心配だったの(笑)。
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