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Brugge Style
word on the street paris
日本は非常に安全で礼儀正しく正直で親切な人々の住む国である。
その通りだと思う。
今週初めのニュースで「英BBC放送が読売新聞社などと22か国で共同実施した世論調査によると、日本が「世界に良い影響を与えている」という評価は58%で(中略)世界一位」(Yomiuri Onlineの記事)と流れたばかりでもある。
治安面だけを取りあげても、未就学児が表でひとりで遊び、小学生がひとりで学校へ通い、たとえ繁華街でうら若き女性が泥酔していても、サラリーマンが道に転がっていても、おそらく彼らは無事だ。
自動販売機が破壊されずに機能しているのは外国人にとっては驚きらしい。
荷物を置きっぱなしにして用事を足しに行ったとしてもなくならないらしいし、置き忘れたとしても返って来る。
逆に日本から一歩外では安全と水はタダではない、物がなくなったら決して返っては来ない、奴らは1円でもぼったくろうと企んでいる、人がよくてお人好しな日本人は「自己責任」をキモに命じなくてはならない、とよく言われる。
わたし自身、トータル20年の外国生活で、幸い置き引きやスリなどの軽犯罪にも身の危険を感じるようなアクシデントにも遭遇したことはないが、周りの空気が変わったら察知できるようにぼんやりはしていないつもりではある。まあナンパすらされないんですからね...
わたしの防犯の心構えなんか犯罪のプロにしたら御簾に鍵をかけるような幼稚さなんでしょうけど。
そして先日、パリで事件は起こった(笑)。
と言ってもわたしじゃないんですが。
パリ初日の夜8時前、レストランThoumieuxへタクシーで向かっていた。
昼間お天気がよかったせいか、アンバリッド上空は真っ黒で照明が赤々と映え、カーラジオからはベートーベンの交響曲4番が流れ、わたしは前回の同レストランでの食事を思い出したり、パリの朝約束されているおいしいコーヒーのことを考えたりしてうきうきしていた。
が、レストランへ着いたとたん、雰囲気が一変する。
レセプションでコートを預けようとした夫が「タクシーの中に電話を忘れた!」と言ったのだ。受付のお姉さんにタクシーを手配したホテルに電話をかけてくれたまえなど指示を出すのは早かったが。
お店のスタッフはとても感じが良く協力的でおまけに楽観的でさえあった。
パリのタクシーの中に忘れたロックのかかっていない最新のiPhoneが返って来るか...
返って来なかったとしてもそれは忘れる方が悪い。早くあきらめろ。
そんな感じか。
一昨日、米国でスマートフォンやタブレット狙いの犯罪が急増しているという記事を読んだばかりだ。
運転手さんがいい人だったとしても、次の乗客が見つけて持って行ってしまうこともあるだろう。
最良のケースでも運転手さんが道を戻るのを嫌い、翌日にでも会社に取りに行かねばならないのではないか、とか...
あるいはわれわれがよく聞く、外国の恐るべき「治安の悪さ」や「人々の不正直さ」というものはただ単なる大げさな都市伝説、過度の思い込みに過ぎないのかもしれない。第一わたしも事件に遭ったこともないし...いやいや、単に今までラッキーだっただけだ、やっぱり日本が特殊なんだよ...
米国からの電話を受けなければならなかった夫は落ち着かず、前菜は結構などとガラにもないことを言ってわたしを不機嫌にさせたが、45分ほどしてウエイター氏がタクシーの運転手さんが戻って来ました、と耳打ちしてくれたときは顔色が変わった。
わたしは夫にチップをはずみなさいと声をかけ、彼は喜々として外へ。
果たして運転手さんは「これもサービスの一環ですから」と、がんとしてチップを受け取ってくれなかったそうだ。ササ、サービスの一環? うむ、なかなかこっちでは聞けないセリフだ(高級店などですでに高額の売買契約がされている時以外では!)。
夫は翌日タクシー会社に電話してお宅の社員はすばらしい、と絶賛した。それくらいしかできないじゃないですか。
パリでも置き忘れたiPhoneが返って来た、という体験談はぜひ広めたいと思ってここに記す。
正直で親切で正しいことをする人はどこにでもいるものなのだ。
(もちろん、気をつけて!)
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世界で一番かわいいボンボン
ベルギーの駄菓子。
さくらんぼの飴。
これを両手に一杯買うたび、ダンスを踊りたくなるほど幸福感に満ちるのである。
お土産にもいかが?袋に6つくらい入っていて1ユーロ30セント程度。便利なところではブルージュの商店街 Geldmuntstraat のスーパーProxi Delhaize で買えます。
さくらんぼは色も味も香りも形も大好きだー。
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duane michals - madame schrodinger's cat
デュアン・マイケル、大好きだった。
大学に入ったばかりの頃、美大へ進学した仲良しがわたしをモデルにデュアン・マイケル風の作品を制作した。
クラシックバレエの経験があるのと、「首が長い」ことを理由にモデルに抜擢され(と言うか、当時彼女がそんな変なことを頼めるのはわたしくらいしかいなかったと思う)白っぽい服を着せられ、一日中「京都市街の屋根の上を踊るように歩く」テーマに沿ってポーズをとらされた。
完成作品は見せてもらえなかったが、一枚だけ引きのばしてくれた写真、あれはどこへ行ったろう。
美大卒業後、関東へ引っ越した彼女とはすっかり交流も途絶えてしまった。
どうしているだろうか。彼女は常に2匹の猫(思い出すのはミー子とラビ)と暮らしていて、今もそうだろうか。
観測者としてのわたしが結果に積極的な役割を果たした場合、彼らは今も元気なのだが。
写真集も。
もっと大判のが欲しくなってきた。
素敵だ。
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sous le ciel de paris
ブルージュへ立寄って娘を義理両親家に預けてから、夫とわたしは大人のパリへ。
と言っても何が大人のパリなのかは分かりませんが。
Bonpointのマダムに「今日はお嬢さんはご一緒じゃないんですの?」と柔らかいところをつかれた夫は寂寥の餌食となり、娘のための買い物に幸せを見いだし、わたしは建物の装飾の光と影や看板に踊る文字の色や形を追い、つまりいつものようにただただぶらぶらして過ごした。
来月早々ファッション・ウィーク中にもまた行くつもり。
「パリに行くつもり」がわたしの人生からなくなったらきっとつまらない時間だけが残るのだろう。
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