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復活祭のマグダラのマリア




イースター・サンデー!
復活祭おめでとう。


4つの福音書は共通して伝える。

イエスの処刑後三日目、すなわち日曜日の早朝、女たちがイエスの墓を参拝すると、墓が空になっていた。

そこにいた青年(実は天使)が彼女たちにキリストの復活を告げる。

女たちの中でも、キリストの愛弟子にして磔刑と復活の証人であり、イエスの復活を告げ知らせるように託された人物がマグダラのマリアである。

彼女のアトリビュート(持物)は豪華な油壺と長い髪。

聖母マリアにはマリア・ブルーと呼ばれる青の衣を着用させるのに対し、マグダラのマリアは緑色や朱赤の衣を身につけ、長く豊かな髪をたらし、絶世の美女として描かれる。




写真は、オランダ国立美術館(パリの次にアムステルダムに来た)所蔵、カルロ・クリヴェッリの『マグダラのマリア』である。
国際ゴシック様式の祭壇画。テンペラ。


15世紀に活躍したカルロ・クリヴェッリは、後期ゴシック様式の装飾性を特色とする、イタリアのルネサンス画家である。
ヴィヴァリーニ、スクアルチョーネ、マンテーニャの影響を吸収、同時代のヴェネツィアのジョヴァンニ・ベッリーニとは対照的なスタイルを開発した。

わたしはベッリーニをほとんど崇拝しているのだが、クリヴェッリも同じくらい大好きだ。
最初は「魔夜峰央やん!」と思ったことは以前も書いた。見れば見るほど好きになる...それが「キャンプ」である。


敬愛するスーザン・ソンタグはNotes on "Camp"『「キャンプ」に関するメモ』の中で、「キャンプ」という彼女の概念を説明するのにクリヴェッリを引き合いに出している。

"Camp is the paintings of Carlo Crivelli, with their real jewels and trompe-l'œil insects and cracks in the masonry."
「『キャンプ』とは、カルロ・クリヴェッリの絵画である。本物の宝石、騙し絵の昆虫や石積みのひび割れなどが。」

この愉快なエッセイの中で、ソンタグは何がキャンプで、何がキャンプでないかを説明する。

悪趣味で、過剰で、誇張され、ナルシスティックで、真顔では直視できないにもかかわらず、その皮肉な価値のために非常に魅力的である美的スタイルや感性...

例えばバレエ(特に白鳥の湖)、バロック芸術、モーツァルト(ベートヴェンはキャンプではない)、エル・グレコ(レンブラントはキャンプではない)、ドストエフスキー(フロベールはキャンプではない)...と。





High Camp is the whole emotional basis for ballet, for example, and of course of baroque art … High Camp always has an underlying seriousness. You can't camp about something you don't take seriously. You're not making fun of it, you're making fun out of it. You're expressing what’s basically serious to you in terms of fun and artifice and elegance. Baroque art is basically camp about religion. The ballet is camp about love

ハイキャンプは、例えばバレエの叙情性の基盤であり、バロック芸術です...ハイキャンプは常に根底に真剣さを伴っています。真剣さぬきにキャンプすることはできないのです。揶揄せずに揶揄するのです。愉悦、技巧、優雅さを用いて、基本的には深刻なことを表現するのです。バロック芸術は基本的に宗教についてのキャンプです。バレエは愛についてのキャンプです...


わたしはキャンプ芸術が大好物なのである。
そうじゃないものも大好物なのである。
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今日は聖金曜日 パリを3万歩




今年、2024年の夏、パリではオリンピックが開催される。

2019年に焼け落ちたノートルダム寺院はいまだに再建築が進行中で、完成は2024年の冬だとか。

当局はさぞやオリンピックに間に合わせたかったろうが。

この夏はパリはさらに激混みなのだろう...わたしは近寄らないよ。




さすがというか、なんというか、開会式はセーヌ川沿いで行われる。

川沿いに観客席が設置され、選手団は船で川を下るのである。

マクロン大統領は、水泳競技もセーヌ川でと提案したらしいが、水質の関係などで実現は難しいそう...
そういえば日本でも大阪の道頓堀で、という案がありましたな。

セーヌ川が開会式場になるほか、ヴェルサイユ宮殿で馬術、エッフェル塔下の広場ではフェンシング...さすがフランス、やるな! という感じのギミック。

わたしは東京オリンピックの時に、この話を聞き、「日本だって馬術やフェンシングを寺院でやればいいのに...」と思ったのだった。


しかし、このワンダフルなイベント開催のために割を食う人々もいる。
セーヌ川沿いに店を出す、名物ブキニスト(16世紀ごろから存在する古本屋。 世界遺産)たちが立退を強いられている、というのもそのひとつ。

ええっ、これがなくなったらパリの魅力が激減じゃないか...




この日も3万歩歩いた。
6区で買い物を済ませて。




セーヌ川を渡り、3、4区にわたるヴォージュ広場で、いつも行きたくなるヴィクトル・ユゴー記念館...
秘密(?)のカフェもかわいい。


そして日本の食パンを販売するお店でパンを一斤買って...
これは家でバタートーストにして食べるのです!




マレをうろうろ。




改装後初めてカルナヴァレ美術館・パリ市歴史博物館へ来た。
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核の落とし子





ゴジラ!?

子供時代に『ゴジラ対メカゴジラ』を見ただけだが、最後で泣いたのはよく覚えている。

「身長50メートルの怪獣ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であると同時に、煽り文句などで「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれたほか、人間が生み出した核兵器によって現れた怪獣が人間の手で葬られるという、人間の身勝手さを表現した作品」(Wikipedia、「ゴジラ」より)

こちらの作品は、Niki de Saint Phalle による、Le Monstre de Soisy『ソワシーの怪物』。
(1930, France - 2002, États-Unis) vers 1966

アーティストは、作品を作成することは「自分の中のドラゴンを飼いならす手段」だという。
ローランド・プティ・バレエのセットの一部であるこの「怪物」は、廃棄物を体からたらしている。




『ショパンのワーテルロー(ウォータールー)』
ショパン好き、ピアノ好きとしては耐えられないなあ、こういうのは。

Arman (Armand Fernandez, dit)
(1928, France - 2005, États-Unis)1962


両方とも「ニュー・レアリズム」の作品である。
社会背景なしには成立しえないのである。

パリのポンピドゥー・センターにて。
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パリの『外見を架け橋する』展




パリでは、ポンピドゥー・センターで、La traverse des apparences(Bridging appearance、(外見を架け橋する)展を見るのも目的の一つだった。

ファッションとアートの強い社会性...


一番最初の展示は、デザイナーVictor&Rolf の不思議な作品で始まる。
これ、スカートです...2015年秋のオートクチュールコレクション。

デザイナー自身、このスカートを「着られるアート」と呼んでいる。
デザイナーが型紙から仮縫いの試作品をおこすトワレ生地は、アーティストが作品を描くキャンバスと同じ単語であることから、まあ、掛け言葉ですな。

この作品が、おそらくこの展覧会のテーマの一つである。

展示場は40に分かれており、モダン・アートとペアリングされた印象的な洋服のシルエットを発見していく。

かなり社会性のある試みだと思った。




ピカビア(<大好き)と川久保玲コムデギャルソン。

踊るキュビズム??

いや、アポリネールがこの時期のピカビアのオルフィスム(ギリシャ神話の竪琴の名人オルフェウスから)の持つ、カラフルさ、色の豊かさを、「音楽」に喩えたところから...たぶん。

しかしこの服では踊りにくかろう。
服を着て踊ると言うよりも、服が踊っている、と。




マルセル・ブロイヤーの黒い革とスチール製の家具と、アゼディン・アライアのドレスの形と機能の組み合わせ。
これは文句なしの組み合わせ。




クリスチャン・シャドのドイツ・ダダとシャネル。
両者ともナチスとの関係というのはわたし個人のつっこみ。




キリコの不気味さにはマルジェラの不気味さで。ビスチェ。
こういう衣装を着用してマドンナあたりが踊り狂っていた時代があった。




Marine Serre(わたしもこの柄違いのトップ持ってる)にはデュシャン。ダダ。






マチスの裸体とサンローランの裸体。
どれかひとつ実際に着て、自分自身が架け橋になってみるとしたらわたしはこれがいいな!!




マルシャル・レイス (Martial Raysse)にアルベール・エルバスのランヴァン。
アルベール・エルバスのランヴァン、好きだった。しかしこういうデザインではなく、超ロマンティックなシリーズ...




白髪一雄に山本耀司。
かっこいいなあ!




ハンス・アルトゥング (Hans Hartung)と三宅一生。




ケリーにディオールのバー・スーツ! 平面を立体に。
永遠のモダン。


アートとファッション、時事の関係を学びに、だろうか、学校から子どもたちがたくさん団体で見に来ており、フランスのいいところはアートを通じて社会性を学ぶ、こういうところだなあと思ったのだっだ。
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本を開いて、インクと紙、想像力の世界へ!




パリの百貨店ボン・マルシェでは、本や編集をテーマにしたイベントを、Jean Jullienのイラストで飾って開催していた。

洋服やインテリア雑貨を見るつもりで行ったのが、Jean Jullienのイラストを見て回る方に熱中してしまった。


この「本を読む人」の巨大模型が、その大きさゆえに、(前回の記事のマーク・ロスコー)の発言を思い出させた。


To paint a small picture is to place yourself outside your experience, to look upon an experience as a stereopticon view or with a reducing glass. However you paint the larger picture, you are in it.

「小さな絵を描くことは、自分自身を経験の外に置くことです。3D機械や縮小鏡を通して経験を『見る』ようなことです。しかし、大きな絵を描くとき、あなたはその中にいるのです。」




まさに、どこもかしこもテーマからのすてきなブルー!

ブルーの本の「その中にいる」経験がとても楽しく感じられた。
自分もイラストの一部になったような!




さすが百貨店文化の原点の店、ものを売るよりも経験を売る、まさに「百貨」のお店なのである。




カフェも。
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