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Brugge Style
霧に沈む花の都・ゲント
ゲントの聖バーフ大聖堂にあるファン・エイク兄弟の『神秘の子羊』に召命を受けたように感じていると前回書いた。
おそらく、優れた芸術作品に欠くことのできないひとつの要素とは、不特定多数の人が、「この作品はわたしに対して個人的なメッセージを送っている」という一種の「勘違い」や「思い込み」をしてしまい、そこから「そのメッセージとは何か」と勝手に探究を始めてしまうことだと思う。
わたしはまずは岡部紘三『フランドルの祭壇画』を再読しようと思っている。
そのようなことを霧に沈むこの美しい街の写真を眺めながら思った。
ゲントの中心部に残る、15世紀前後の絢爛な建築群は、傑作絵画やタペストリー、音楽(フランダースはブルゴーニュ楽派、フランダース楽派が次の世代の音楽を準備した)などと共に、この地が文字通りかつて「世界の中心」として栄えた記念碑である。それぞれが複雑なタペストリーの糸のよう。
友達が訪ロンドン中に会うため、昨日ベルギーから英国へ戻って来た。
夕食後、ロンドンのバアをはしごしたのだが、ベルギーから戻って来たばかりだと特に、ロンドンの繁華街の持つ無国籍感に驚く。
今日は家で洗濯とアイロンがけをして、次はオートクチュールの都へ...
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ゲントの『神秘の子羊』に呼ばれた話
ラッキーすぎてどうしよう...
今日は最初、オランダ郊外に住む友達を訪ねるか、アムステルダムにタリスで日帰りで行くか(アムステルダム国立美術館 Rijksmuseumだけ見学)...となんとなく予定していたのだが、20時から夕食の約束が入り、あまり遠出しないほうが賢明かと考えた。
前日になってなぜか突然、最近ゲントには行ってなかったな、ゲント美術館にでも行こうかな、と思いついた。
ゲントはブルージュから東に30キロ、車でも電車でも30分ほどで行ける。
ブルージュと同じように15世紀前後に交易地として栄え、歴史が豊かで街並みも美しく、ゲント大学があるためだろうか、ブルージュよりも住民志向な雰囲気があり、若々しく、活気もあるすてきなところだ。
ベルギー旅行に来られたらブルージュ、アントワープ、ブリュッセルに加えてぜひぜひ。
午前中、ホテルを出た時は、昨日とはうってかわって空はどんよりと鉛色に重く、霧で道路が湿っているような日だった。
「ああ、昨日行けばよかったなあ、昨日は晴天だったのになあ」と思った。
昼過ぎにゲントに到着して、真っ先に聖バーフ大聖堂に向かった。
ゲント美術館に行く前に、久しぶりにファン・エイク兄弟の15世紀の傑作『神秘の子羊』を見よう、閑散期だからきっとゆっくり見学できるに違いない、と思ったのだ。
湿り気のある空気が低い空と冷たい石畳の間に渋滞して「ヨーロッパの冬の底冷え」がする。
先週の天気がよかったので、今週も同じようなつもりで、キャメルヘアのコートの下は薄いセーター一枚しか着ていなかったのは失敗だった。
ところが聖堂内のいつもの場所にこの祭壇画が見当たらない。しかも工事中のエリアもある。
うろうろしているうちに、係員の人を見つけた。彼に聞いてみたら不思議なことをおっしゃる。
「今夜18時から21時の間に公開されます。今夜は無料、明日は有料です」
この時点で腑に落ちなかったのだが、無料だったらそりゃ好都合と、18時まで街中をうろうろして時間を潰すことにした。
久しぶりのゲントの街を散策していると、あっという間に時間が経過し、しかしその分身体は芯から冷え、寒い寒いと言いながら18時5分前に聖堂にもどった。
そうしたらなんと長蛇の列ができているではないか。
みなさん、きっと自分と同じように無料に惹かれて並んでいるのだろうと思い、並んでいる間(10分ほど)にニュースを読んでいたら...
なんと、2017年から修復作業に入っていた『神秘の子羊』は、今日18時きっかりから3年ぶりに公開されると書いてあったのだ。
前方を見るとカメラを持って取材陣が来ている。
いくらわたしでも『神秘の子羊』が修復作業中だったのは知っていた。しかし、とっくに完成しているはずだったんですよ!! 作業が遅れての今日(1月24日)からの公開(2月1日からヤン・ファン・エイク展が始まる)だったのだ。
めちゃくちゃラッキーじゃないですか?!
天気に相談して前日にゲントに行っていたら見られなかったのだ!
『神秘の子羊』(イエスキリスト)がわたしを呼んだに違いない! ローマの徴税人だったマタイを召命したように(言い過ぎ、意味不明)!
『神秘の子羊』(祭壇画は巨大だが、描かれている子羊はほんとうに小さいの)、目にも絢な色が復活していた。この色合いあってこそ、15世紀の暗い聖堂内で天上界の絢爛さが現実のようだったのだろう。
カミュの『転落』の語り手、改悛した判事クラマンス氏によるとこの一部は贋作だそうだが(笑)。
何周もしてじっくり見た。
いくら写真技術が発達してもわれわれは天上に行って天上の写真を撮ることはできない...
写真撮影なんてナンセンスだが撮らずにはおられなかった。
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霧深きブルージュ
写真、ぜんぜん霧深くないやん!
先週土曜日に、わたしはロンドンでバレエを2本見るため、夫は2泊4日でアメリカ出張のため英国の家に戻り、昨夜水曜日、またブルージュに戻ってきた。
夫は朝6時半にヒースローに着き、帰宅して整えて正午過ぎには大陸へ向けて出発したので、ご苦労なことである。
夫はブリュッセルで仕事、わたしはまるで20年前、乳母車に娘を乗せて1日街をさまよっていた時のように時間を過ごしている。
昨夜は霧が深く、ディナーへ歩いて行ったら、雨に降られたかのようにコートが濡れた。
街には人影も少なく、観光客向けのレストランはどこもガラガラなのが通りからも見えたが、ローカルが行くレストランは水曜日の夜でもほとんど満席だった。
その様子はまるで、真夜中の山でおじいさんが明るい光を見つけ、近寄って行ったら楽しそうな鬼の宴会だった...みたいな感じ。コブは取られなかったけど...(ちなみに『こぶとりじいさん』って、正確には『こぶとられじいさん』ですよね?! ね?!)
今朝も運河にかかる橋の上を霧の向こうに渡ると異世界、鬼が宴会...そんな日かなと覚悟して(いや、わくわくして)いたら、朝からこの冬晴れ。
ホテル客は今夜はわれわれだけだそうで、今夜も霧が深いならロマンティックかもしれない。
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onegin 2020
昨夜もロイヤル・バレエOnegin 『オネーギン』を見た。
主役の地味な本の虫、のちに社交界の華となるタチアナはMarianela Nunez、タチアナの理想の具現でひねた青年オネーギンは平野亮一さん。
彼らの対照として描かれる素朴で幸福なカップル、タチアナの妹役は高田茜さん、フィアンセの詩人で純な青年はNicol Edmonds。
おとといのNatalia Osipovaが主役の日もすばらしかったが、昨夜もまた別のキャラクターアプローチが見られ、本当によかった!
Marianela Nunezのタチアナ、地味。どこまでも地味。
Natalia Osipovaのタチアナが、恋に落ちてやり場のない激しい情熱(彼女はフランスの恋愛小説を読んで恋愛予行演習を何度も繰り返していたから、なおさら)に苦しむとしたら、Marianela Nunezのタチアナは恋に報われぬ深い深い悲しみと絶望、静かな怒りを表現していたと思う。
他にも例えば引き裂かれた手紙を手に受けるシーン一つとっても、受け取り方や落とすタイミングもダンサーによって全然違う。
演じるダンサーによってこうも違い、しかもすべてがその役柄に収斂していく様がバレエのおもしろさのひとつである。
オネーギンの平野さんは、1幕目は世の中や社交界や人間関係、タチアナに対する「無関心」というより「無存在」。内にこもり、自己の存在を消してしまったような感じ。
それが3幕目に立場が逆転し、自分がタチアナに恋するようになると、まるで打ち捨てられた子犬のようになって彼女にすがっていく様子がコントラストとなり、わたしのまわりの観客も「すごかった!」と大絶賛だった。
Marianela Nunezはもちろんすごかった。
彼女もカーテンコールの時に大泣きしていたので、タチアナという役柄はのりうつってくる「そういう」役なのだな、と。
高田茜さんはガラスの細工のように繊細で透明感があって美しく、しかも強靭さが他の誰よりも目立っていてすばらしかったです。
国籍でダンサーをくくるつもりはないが、日本人バレリーナの美しさはまるで天上の女人のようだ。
(写真はROHより拝借。数年前のもので、ここでは平野さんはタチアナと結婚する公爵役に扮しておられる)
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