goo

アメリカ土産




夫が米国出張から帰国した。


彼は土産を買うという行為が好きなので、毎度のことながらスーツケースからいろいろ出てくる。
「しばらくは娘にDVDを買うのは禁止」とわたしから強く言われているため、熟考の末、今回はワッフル用フライパンを買って来たらしい。物を増やしたくない(ワッフルなんぞ外で食べるからこそおいしい)家人の気持ちは考えてくれましたか。


ただし、こちらがいつもリクエストするものもある。
その一つがパンケーキミックス。娘の好物だ。
ベルギーにはホットケーキ状のお菓子がない...一番似ているのはパンナクック(クレープ)だろう。
スーパーの袋入りよりも割高かと思うが(それに小麦粉とたまごで簡単に作れもするけど)、容器が異常にかわいいのでウィリアムズ・ソノマで。夫はこの店に行くのがかなり好きなのである。




 




わたしが子どもの頃、アメリカ土産に頂けるものと言えばハーシーズのチョコレートだった。
他には独特の匂いがするミッキーマウスのTシャツとか...眺めるだけで着用することがなかったのは、わたしが子どもの頃はTシャツ一枚で外出するなどあり得なかったからだ(どんな昔やねん)。今でもわたしにとってはこの匂いがアメリカの匂いなのである。ほら、アメリカの文房具屋のインクか紙の匂い。

娘はパンケーキの匂いをアメリカの匂いとして記憶するのだろうか。


アメリカの実体とは完全に別物として存在する「アメリカのイメージ」...それは、何十年前も今も、豊かで鷹揚で大きな、どこにもない夢の国アメリカ、まさに「アメリカの伯父さん」そのものなのである。



パッケージはかわいいのに色の出がめっちゃ悪いクレヨラのクレヨンとか...ありましたね。わたしは「自分の使い方が悪いに違いない」と自分を責めたものです(笑)。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

事故発生




一昨日の土曜日、ブラッセルで事故にあった。


ブラッセルの内リングのトンネルとトンネルの間、ちょうどボタニクの前。
ええ、交通量が多く、すぐに渋滞する派手な場所ですよ(笑)。
この道は、市内ではあるが信号なしの完全車道が数キロ続くため、常に混雑しているにもかかわらず、みなさんびゅんびゅん飛ばすのである。

下り坂で前方から順々に車がブレーキをかけたので、わたしもかけたら、後ろからメルセデスのMクラスに追突されたのが顛末。衝撃よりも音に驚いた。もし自分の運転している車が小型車だったら...と思うとぞっとした。

幸いけが人は出なかったが、後部座席に座っていた娘がかなりの衝突ショックを感じたらしく、かなりおびえていた。



フェデラルポリスが道をクリアにするために即到着したあとは、事故処理をしてくれるローカルポリスが1時間近く来ず、来ても「あ、道一本管轄が違う」などと言われ、待ちくたびれの午後になった。ブラッセルは事件多発地帯らしく、物損のみの事故は後回しにされる。さすがに日本で言うJAFは呼んだらすぐに来てすぐに処理をしてくれたが。結局わが愛車はレッカーされ、電車で帰宅。



ところで、教訓。
「大きい車に乗るべし、シートベルトは必ずすべし、髪型化粧服装は常に整えておくべし」

これまで何度も「車で移動するだけなのにどうしてそんなにきっちり化粧して出かけるの?」と友人に言われたことがあるが、ワタクシはこういうアクシデントを想定しているのである。ごく普通のケースにおいて体裁の整った人物への対応がそうでない人物に対してとは異なることは心理学の実験でも証明されている。弱者としてはこのくらいの準備はしておかなくてはならない、とわたしの本能が告げるのである(笑)。

「感じのいい人」と思われたいために、めちゃめちゃ愛想がよかった自分の小市民的姑息さを思い出すと泣けるけれど、しかし社会一般的に「礼儀正しいこと」はサヴァイバルのための最優先項目なのである。だからわれわれは社会で最も立場の弱い子どもに礼儀やお行儀をうるさく教えるのに違いない。










車を運転するのは好きだが、歩くのも好きだ。
日も長くなり、天気もすばらしかったため、先週あたりはよく散歩をした。
夕方帰宅しても余裕で散歩に出かけられる季節、有り難い。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ブルージュ 風車 4基




娘がブルージュ出身の詩人グイド・ゲゼルのワークショップに参加したので、待ち時間中に会場(ゲゼル博物館)前の緑地帯を散策。


わが家とは正反対の方向ゆえめったに来ない地域である。
せっかくだから4基残る風車の写真を撮って来た。
まとめて撮影するのは初めてだ...










(上から順にゲント門に一番近いものから)





地形の関係で、下2基は正面から見ることができない。
それにしてもブルージュのこの季節の午後3時ってずいぶん暗いですね...昨日まで最高の天気だったのですけれどね...









コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

隣の芝は




桜色。






芝も常に青い素敵な庭。

中央右寄り、緑の葉影にちらりと見えているのはマルクトの鐘楼。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

胡蝶の(シナイ半島の)夢




ロンドンで「ビザンチン展」を見てから、ぜひともシナイ半島の聖カテリーナ修道院を訪れたいと思っていた。
今日、シナイ半島で新たな遺跡が発見されたというニュースを見て、今年の旅行計画の中にそのアイデアを盛り込まなかったことを激しく後悔した。


.....


当時、イスラエルは周辺のアラブ諸国と国交を絶っていたため、イスラエルとエジプト間の交通ルートは存在しないということになっていた。
しかしそれは表向きのハナシで、一般の旅行者が通行可能なルートはごく普通に機能していたし、パスポートに出国入国のスタンプが押されないだけで、誰でも往来は可能だったと思う。


わたしがイスラエルからエジプトへどうしても陸路で渡りたかったのは、イスラエルの民が40年に渡って放浪した半島と、スエズ運河を見たいからであった。


道中、シナイ半島のオアシスに到着した時、すでに日は完全に暮れており、真っ暗闇の中にぽつねんと現れた掘建て小屋カフェはカラフルな提灯で彩られ、アラブの音楽を鳴り響かせていた。
それが世界で唯一の光源であるかのようだった。
手持ち無沙汰だったので瓶入りコカコーラを飲んだ。
人類が絶滅した後でもこんな孤独を感じることはないだろう、と思った。


結局旅の間、日のあるうちは終わりのない砂漠、その後はトンネルの中を走っているような闇が続くだけで、スエズ運河の渡し場(シナイ半島側)に達したのも夜中だったため、そこでも何も、何ひとつも、見えなかった。
裸電気がついているのは当局の小屋だけだったから。

印象に残る物を見て、文章やイラストに残そうと目を凝らしたけれど、何も見えなかった。自分の腕時計の針さえも。
もしかしたらそこには運河の油のように黒い水(光がないゆえ)があるだけで本当に何もなかったのかもしれないけれど。



その後目をさましたらカイロに到着していた。
すべてが夢のようだった。
いや、カイロについてからの方が夢で、わたしはシナイ半島で未だに彷徨い続けているのかも。

それ、想像したらめっちゃ怖い(笑)。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ