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the rite of spring 2022




欧州に春を告げる花のひとつ、水仙が今年も出回るようになった。
まずは5束、70本。強い香り、ただよう。春の祭典。

去年は新型コロナ禍とEU離脱のダブルパンチで、英国の水仙の産地では刈り取って出荷する人出が足りず、黄色い花が畑で枯れるままになったと聞いた(去年の記事)が、今年はどうなのだろうか。


生命の再生を促すために催される春の祭典は、美しさの陰に死を隠している。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』は、ロシアの原始宗教の春の祭祀を下敷きにしているという。
厳しい冬の終わりを確実にし、春を迎えるため、弱った太陽神にはご退場いただき、新しい太陽神をうやうやしく迎えるとともに、大地を礼賛する儀礼はあらゆる原始宗教にみられる。

こんにちも同じように、落とし所をみつけられず暴走するロシアのあの方にはご退場願おう。そして彼の地に新しい「春」が訪れるように。
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スペイン式宮廷馬術学校




ウィーンの中心、ホーフブルグ宮殿内の一番人気といえばこちらだろうか(他の人気はおそらく薄幸の王妃シシィ博物館)。

スペイン式宮廷馬術学校の白馬のペイジェント。

もし、もしも、今後オーストリアがオリンピック開催国になったら、開会式の目玉は絶対にこれじゃないかと思う。
ウィーン・フィルの奏でるワルツとともに。


わたしが子供のころ、宝塚にはファミリー・ランドという遊園地があり、こちらの『宝塚大人形館・世界はひとつ』が大好きだった。
いわゆるディズニー・ランドの『イッツ・ア・スモールワールド』の宝塚歌劇版で、世界の文化文明を音楽とダンスで紹介する人形劇、水上ボートで行くアトラクション。

「歌と踊りの七つの海」「世界旅行」に限りない夢と憧れを抱いていたモエ少女は、この19世紀ロマンティシズム的なアトラクションが大好きだったのだ。


去年の東京オリンピックの開閉式典におけるショウも、いちいち説明が必要な内容よりも、時代祭の行列とか、流鏑馬(やぶさめ)などの絵巻物風がいいんじゃないのか? 大衆は、日本といえばやっぱりこれか! という、誰でも知っている分かりやすい『イッツ・ア・スモールワールド』を見たいのではないのか? と思ったのである...

と、話がズレズレになってきたので軌道修正する。




ウィーンで「スペイン式宮廷馬術」を伝承し育成するスペイン乗馬学校も、新型コロナ禍でずっと閉鎖されていたらしく、先月1月にウィーンを訪れた時はまだスケジュールが定まっていなかった。
裏手にある馬小屋には、白馬のかわいらしい頭が見えたが。

先週のウィーンでは朝練のチケットが取れたので、久しぶりにこの優雅なショウを見学した。

主役はリピッツァナー種という白馬である。
16世紀にハプスブルグのマクシミリアン2世がアンダルシア馬を持ち込み、オーストリアで品種改良によって生み出された種。

「身体面では柔軟性と頑丈さを兼ね備えた馬体、精神面では忍耐強さと優れた感受性、穏やかな性格に特徴がある。物覚えが早いため馬術競技に向いており、乗馬から馬場馬術まで広い範囲で強さを示している」(Wikipediaより)

生後は黒焦茶から濃いグレーの毛をしており、6歳から10歳の間に白色に近づいていく。成馬は白。

朝練のショウは白色の成馬の部と、訓練中の若馬(白にグレーの斑を残している子が多数)の二構成で、まだ観客や物音に動じやすいという若馬の初々しくもかわいらしいことよ。
一方、馬が気の毒、負担はないのかなどと思ったりもする。あらゆる面で大切にされているそうだが。

2008年以来、女性やオーストリア国籍以外でも騎手になれると法律が改定されたそう。
白馬に乗った王子様よりも、リボンの騎士、いやオスカルのような二人の女性騎士が麗しくて眼福であった。

そういや、次のオリンピック開催国フランス、馬術はヴェルサイユ宮殿で開催されるそうですよ。やってくれますね!!


ショーの間は撮影が許可されていないため、上の写真は開始前のもの。




こちらはホーフブルグ前で客待ちをする馬車。




夕暮れの街を行く。

左手奥に見えるのはフランダース・ゴシック様式の塔を持つウィーン市庁舎。
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過ぎ去った聖ヴァレンタインの赤薔薇




旅行出発前にヴァレンタインの赤薔薇とカードをもらった。
え、今? と思ったのだが、水切りをしてたっぷり水を与え、温室内の気温の低い場所に置いていった。

茎がものすごく長い薔薇だったので、帰宅してすぐに思い切り短くした。
今朝は息絶えた感じになっていたのも3本ほどあったものの、11日後の今日もまだ美しく咲いている。

香りをひきかえにしたモダンローズの丈夫さ、すばらしい。




ホテルザッハーで買ってきた、ヴァレンタインらしい本家本元ザッハートルテがなくなるのと、この薔薇が枯れてしまうのと、どちらが早いだろうか。
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キーシンと音楽の都




先月1月は夫からのサプライズでウィーンへ飛び、Martha Argerichのピアノ三重奏をウィーンのコンツエルト・ハウスで鑑賞した。


その時、美しき音楽の都の街角で見てしまった...
友人が東京で年末に観覧したというEvgeny Kissinの同プログラムのリサイタルの広告を...

夫に、「今年のヴァレンタインのプレゼントはこれでお願いします」とゴリ押し、その足でMusikverein楽友協会のチケット販売所へ向かった。
販売開始から結構な日数経っていたにもかかわらず、かなりよい席が確保できた。




「黄金のホール」という愛称で親しまれている楽友協会大ホール(Großer Musikvereinssaal グローサー・ムジークフェラインスザール)、こちらで観覧するのは、新型コロナ禍の影響で、2019年以来だ。

泣く子も黙る音響の豪華さ。毎回、度肝をぬかれる。
今後はもう、なじみ深いロンドンのバービカンやロイヤル・フェスティバルホールでは聞けないよ...と毎回思う。

この音響設備の中で演奏すれば、自分で自分の演奏に酔ってしまうのではないだろうか。いや、プロは自分の音に酔ったりしないのかもしれない。俳優が自分の演技に酔ったとたん、大根になってしまうように。


キーシン氏はやはり見事だった。特に後半とアンコールは全部。
会場の音響に負けないスタミナはさすがである。
巨匠(もう巨匠と呼んでいいよね?)をして、この会場で演奏したら相当気持ちがいいのではないか。

最後まで観客は総立ちで、土間のきしむ座席が崩壊しそうだった。


プログラムの中のわたしの好みはベートヴェンのピアノソナタ31番だ。ベートヴェンのどれも好きなソナタの中でも一番好き。
脱構築と再構築の間の、削ぎ落とされたようなシンプルな美の動き、鏡のように映るテーマ、最後はすべてがひとつになり、飛行機のように大きな鳥が滑走して飛ぶようだ。

わたしはキーシンの子供のような美しい率直さと老熟さの同居が好きだ。コミュニケーションの根本的な不可能さ(の暗示?)も。
が、正直、トッカータとフーガはグロテスクさがどうなのかと思ったし、モーツアルトのアダージョは多少不発な感じだった(アンコールのロンドはすばらしかった!)。
まあわたしのようなものに何が分かるのかというのもありますよ、当然。

一方、後半のマズルカ(後になればなるほどよかった)とアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズは、ウィーンの19世紀の絶頂期と、それがもう過日の華であり、今はもうその乱舞の残影しかない。すべては栄え、そして滅びる運命にある、というところまで感じてしまった。

わたしは心の中で踊って...いや、踊らされていた。
このホールで踊ったらさぞ素敵でしょうなあ!


プログラムはウィーンに去来した天才礼賛にふさわしい(ドイツ語プログラムより)。

Johann Sebastian Bach
Toccata und Fuge d-Moll, BWV 565(Carl Tausig)

Wolfgang Amadeus Mozart
Adagio für Klavier h-Moll, KV 540

Ludwig van Beethoven
Sonate für Klavier As-Dur, op. 110

— Pause —

Frédéric Chopin
Mazurka für Klavier B-Dur, op. 7/1
Mazurka für Klavier g-Moll, op. 24/1
Mazurka für Klavier C-Dur, op. 24/2
Mazurka für Klavier c-Moll, op. 30/1
Mazurka für Klavier h-Moll, op. 30/2
Mazurka für Klavier D-Dur, op. 33/3
Mazurka für Klavier h-Moll, op. 33/4

Andante spianato et Grande Polonaise für Klavier Es-Dur, op. 22


アンコールはどれもとてもよかった(以下わたしの間違いがなければの記録。アンコールの方に興味があるとおっしゃったAさんに捧ぐ)。
モーツアルトのロンド、ほとんど諧謔のような繰り返しがすばらしかった。

J.S. Bach
Nun komm, der Heiden Heiland, BWV. 659 (Busoni)

Mozart
Rondo in D Major, K. 485

Chopin
Scherzo No. 2 in B-flat minor, Op. 31
Waltz No.10 in B minor, Op. 69, No. 2




ホテルに戻ったら、コロナ禍でずっと営業していなかったザッハー内のバア「青のバア」が「今夜、たった30分前に再営業を始めたばかりです!」と迎えてくれた。音楽はかかっていなかった。ボランジェのロゼなんかを、断酒中にもかかわらず飲んじまった。

ああ、今年は、ピアノ室のパイナップル・ダマスクの壁紙を引き剥がして壁を青のバアと同じ色に塗ろう...そして自分の書斎で使っている紺色のベルベットのソファーを移動させよう...


ウィーンは人を酔わせて踊らせる「人たらし」な街である。
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ウィーン千夜一夜




ウィーン楽友協会でのKissinのピアノ・リサイタル目当てで訪れたオーストリア・ウィーン。

おととい金曜日に帰国予定だったのだが、英国を30年に一度の規模という嵐が襲い、飛行機がキャンセルになったため一泊延泊、昨夜土曜日の遅くに帰宅した。


ウィーンでも多少風の影響を受け、天気は目まぐるしく変化した。
雲が押されて青空が広がったり、灰色の雲が迫ってきたり、雨がぱらついたり、風で傘が飛ばされそうになったり...

上の写真はホテル・ザッハーの部屋から眺めた金曜日の夕暮れの空。嵐の後の空は吹き清められて清々しく、美しい。
右手がアルベルティーナ、中央奥がホーフブルグ、左手は元は王宮の一部、現在では現代博物館や警察が入っている建物。左手にはウィーン国立歌劇場が見えた。

窓からウィーンに折り重なる千夜の歴史が眺められ、とてもよかった。


延泊が決まってすぐコンシェルジェ氏に頼んだのは、もう一泊分の部屋は当然、当夜のウィーン国立歌劇場でのウィーン国立バレエ公演『ジゼル』のチケットだった。
もちろん席は確保でき、今回は日程の関係で予定のなかった国立歌劇場で観覧できた。
バレエ公演自体は全体的に音楽性に欠け、いろいろ言いたいことはあるものの...


楽友協会でのキーシンのリサイタルに合わせて、その目の前のインペリアルに宿泊しようかと思ったのだが、やはり国立歌劇場前のザッハーにしてよかったと思った(とはいえ、楽友協会と国立歌劇場は徒歩5分と離れていない)。

ロンドンのオペラハウスだと帰宅するのに時間がかかるので、その間にバレエの夢が覚めてしまいがちなのだ。




転んでもタダでは起きないモエである。
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