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Brugge Style
瑠璃光院のから騒ぎ
修学院離宮を訪れたあと、タクシーがなかなか来なかったため、思いつきで瑠璃光院まで歩いた。
途中、「このまま道なき山に入るのでは...」という箇所もあったが、徒歩20分ほどで到着。
瑠璃光院の紅葉になんとか間に合った。
角度をほんの少し変えるだけで、こんなに違って見える色と質...
来週はまたぜんぜん違うように見えるのだろう。
この世に不変のものはなく、いかなるものも流動的に変化する。
紅葉という「状態」の存在はあっても、紅葉という不変的なものは存在しない。
瑠璃光院は外国人のセルフィ・スポットになっていた。
落ち着いてお庭を眺め、自然そのもの、あるいは遍在する原理、真理を想う...どころか、図々しさの競争、欲望のせめぎ合う場所に。
あるご婦人がパスポートを無くし、両手に大荷物を4つほど持って「パスポート! パスポート!」と絶叫しながら一階二階をドタバタぐるぐる駆け回る大騒ぎが起こり、二階で走っておられるのが一階の書院でお茶をいただいている時にも聞こえる始末だった。
失礼ながらコントのようだった。
係の方達はあまりの想定外に口をぽかんとあけて立ち尽くしておられた。
浄土真宗の精神とは、生きとし生けるものを迷いから悟りへといざなう阿弥陀仏の誓願である。
「 迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。 悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。」
ふむ、わたしの方こそ、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているのかもしれない。こんなところで大騒ぎなさって、どんな場所かわかっておられないのね...なーんて思ったりして。
こちらは青々した一階の書院。
こちらでお薄をいただいた。
日本人はごく少なかったためか、ずっとどなたも座っておられなかった。
八瀬氷室というお菓子がおいしそうで、いただいたのはわたしと娘。
そこに一人で来られていた日本人女性が「ご一緒させてください」と入られて、一期一会。
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神戸の夕暮れを映すケーキ
「私にとって、そんな風景って何かしら?」と彼女は言う(前回の記事をご覧になってね)。
わたしにとってはそれは神戸の旧居留地、北野の異人館街の昔の風景だろう。
北側は山、南側は海。
北野の夕暮れを映す美しいケーキを見つめつつ、そんなことを思う。
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桜島のひと
鹿児島へ。
桜島を眺めつつ、ある女性のことを思う。
10年ほど前、胸にしみるメッセージを頂戴した。
以来、桜島を見たい、と思い続けてきた。
当時もいたく感動したのでブログに書いたと思う。
『私の祖母は少しずついろいろなことを思い出せなくなっているのですが
最近はずっと彼女のふるさとである鹿児島ー市内のどこからも桜島が見えるーに住んでいると思っているようです。
お嫁にきてからもう60年以上、家業が忙しくてほとんど実家に帰ることもなく、
人生のほとんどは鹿児島を離れているというのに、です。
話をするたびに、今日の桜島、門を曲がったところから見える桜島…いつも桜島の話をしています。
私にとって、そんな風景って何かしら?と考えてしまいます。』
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書院造は白鷺 紅葉の燃える赤 桂離宮
「ここに繰りひろげられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる」
ブルーノ・タウトがこう述べたことから、桂離宮は「日本の美」の極みとなった。
桂離宮が「日本の美」を象徴する存在として広く認識されるきっかけを作ったのが彼なのである。
西洋の視点から、日本の「伝統的な」建築と美意識に価値を与え、大きな影響を与えた功績は大きい。
タウトが訪日した1933年当時、日本は急速な近代化を迎えており、伝統文化は置き去りにされ、顧みられなくなっていた。
しかし、西洋の著名な建築家であった彼が、桂離宮を「芸術の極み」として絶賛、日本人は自国の美意識や文化の価値を逆輸入するかたちで再確認したのである。
特に、桂離宮の簡素な機能美、自然との調和を重んじた美は、タウトの言葉を通じて「モダンデザインの理想」「モダニズムの先駆け」として評価され、日本の伝統文化は世界的に注目を集め、日本人にとっては誇りとして再認識されるようになった。
わたしも今回はすばらしい英語ガイドさんのグループで観覧したが、日本人として鼻が高くてしょうがなかったですよ...
桂離宮は単なる建築物を超えた日本文化の象徴的存在なのである。
しかも季節は1ヶ月遅れ、普段は11月に盛りとなる紅葉が12月の頭のこの時期に...
日本の「見立ての美」、小宇宙としての建築。
ヨーロッパでは17世紀といえば壮麗で過剰でドラマティックな、ゴテゴテと飾ったバロック様式、彼らの「宇宙」とは対極にある美。
「桂離宮」が伝統的な日本美の象徴となった背景には、単なる芸術的評価だけでなく、近代日本がアイデンティティを確立し、国際社会での文化的地位を高めるための政治的・文化的な意図が深く関わっていたと言えるものの、これがアイデンティティならわたしは個人的にも喜んで引き受けたい。もちろん背景を知ることは重要だが。
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あるかなの湯で朝から
湯ヶ島温泉・アルカナのお湯で朝から温まっているのはモエだけではなく、朝食の玉ねぎドレッシング君も...
常連さんが7割(宿の方の談)で、とても取りにくいと言われている伊豆のアルカナは、伊勢のアマン、アマネムと比較してもとてもよかった。
なんといってもオーベルジュ、夕食のフランス料理のファンタジーがすばらしかった!
また来年も同じ時期に来たい。
沢の音を聞きながら。
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