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AI 塩野さん



知、芸術、戦略、都市の女神、アテーナー。
都市国家アテネは、その名の通り、アテーナーを守護神にいただくポリスである。
アテネのパルテノン神殿内に祀るため、ペイディアスが紀元前5世紀に製作したもののコピー。
紀元後3世紀ごろ。
@アテネ考古学博物館にて撮影


今年の夏休み第一弾、ギリシャを訪れるにあたり、いろいろな本を読んだ。

思うところあって、今回は、塩野七生さんの『ギリシャ人の物語』を取り上げたい。

 
なんといっても彼女の、英雄を熱愛する知の女神アテーナーか、勝利の女神ニーケーのような視点と、独特のグルーヴ感が光る。

こちら英訳もあり、アレクサンダー大王登場前までしか出ていないものの、夫も娘も読んだ。



アテネのアクロポリス、パルテノン神殿。
古代ギリシャ時代にアクロポリスの上に建設された、守護神アテーナーを祀る神殿。
紀元前5世紀年に建設が始まった。


わたしは塩野さんとは政治的な考え方も全く違う(民主制についてなど)ものの、ほんの少女だったころからの長年の読者である。

彼女が描く凛々しい戦闘シーンはもちろん、「布」や「衣装」の描写、好きだな。



休息する女神アテーナー。
紀元前5世狗ごろ。
@アクロポリス博物館にて撮影



『ギリシャ人の物語』は、あとがきが感動的だ。

17歳の頃にデヴュー、作家としての70年間を振り返り、読者に感謝を述べ、『ギリシャ人の物語』が長編歴史小説の最後の作品になるだろうと書いておられるのである。

読者でいてくれてありがとう。
イタリア語では「千の」ありがとう、と言うのです、と。



知恵、といえばのスフィンクス。
スフィンクスはギリシャ神話において、謎を通じて知恵や知識を試す存在として登場。
紀元前6世紀、アルカイック期の最も古いスタイル。
@アテネ考古学博物館にて撮影


唯一無二の塩野七生。

いつかお住まいのローマに遊びにでも行って、街をぶらぶらしつつ塩野さんに出会い、最初に読んだのは『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(1970年)だったと伝えたい...

地中海世界を旅するたび、塩野さんはこの歴史的出来事や、人物、場所について、なんと書いておられるだろうか、どう評価されているだろうか考えずにはいられないのだ、と話したい...




できることなら、塩野さんと一緒に名所旧跡を周遊してみたい...
どんなホテルを選ばれるのか、どんなお召し物(<彼女は大変なおしゃれである)を選ばれるのか知りたい...

などと。


いつか、「AI 塩野さん」が登場したりしないかしら...と妄想する。

彼女と一緒なら、永遠に地中海世界を旅して回れる!

大大大ヒット間違いなしだと思うんですけど!

どなたか、このわたしのラヴ・コールを塩野さんに伝えて。



有翼の勝利の女神。
紀元前4世紀ごろ
@古代アゴラ博物館にて撮影
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アンティキティラ島の機械




「アンティキティラ島の機械」、実物は初めて見ました!
@アテネ考古学博物館。


1901年にギリシャのアンティキティラ島付近の海底で発見された、高度な技術を示す「機械」は、「古代のコンピュータ」と呼ばれた。

これぞオーパーツ...ワクワクします。


オーパーツ(OOPARTS: Out Of Place ARTiifactS)は、そのモノの存在が、歴史上の技術の進化にそぐわない、あるいは矛盾すると思われる物品を指す。

他に有名なのは例えば、聖徳太子の地球儀、水晶ドクロ、バグダット電池、ヴォイニッチ手稿...
英国のストーンヘンジ、ペルーのナスカの地上絵も。

これらのオーパーツものは、その時代、地域では、ありえない技術や知識を示していると主張される。
だから、「古代文明は宇宙人によってもたらされた!」というトンデモも出てくる。

が、ほとんどは誤解やファンタジーに基づいての主張であり、科学的な検証・研究によって説明可能であると判明することが多い。





「アンティキティラ島の機械」。

ムー界隈では、古代のコンピューターではないかとウワサされてきたものの、紀元前2世紀ごろの高度な天文学装置であることが判明している。

21世紀に入ってからは、CTスキャンや3D画像解析によって、機械の内部構造が詳細に可視化され、動作原理が明確になった。

その結果、太陽、月、惑星の位置を計算するための歯車を持ち、日食や月食、4年ごとに開催されるオリンピックの時期を計算する機能ほか、天文学的な周期を正確に算出できる装置であるとの結論が出た。

コンピューターという可能性は消えても、やはり、古代ギリシャの高度な天文学知識と工学技術が否定されるものではない。



こちら同じ機能を持つ天文学装置。裏と表、扉つき。
すごい...


こういったものを発明する人、ほんとうにすごいなあ!

古代ギリシャ人は、哲学にしても、(前回の記事で述べた名将の)戦術にしても、既存の価値観や臆断の檻から出ていく、というのが得意だったんだなあ...



古代ギリシャの賢人たち。
@アテネ考古学博物館


西洋人である夫は時々「古代にこんなものが可能だったなんて」と心から感嘆しつつ、無邪気な発言をするが、非常に西洋的な発想であると思う。

それは、「アジアでこんなものが可能だなんて」という彼らの独特の上から目線と同根である。
わたしはそれを許さないよ(笑)。

彼らの歴史観というのは、ヘーゲル的な弁証法的歴史観である。
進歩主義的なといいますか。
西洋の考え方の枠組みとしてすでにセットされている感じだ。OS のようなものですな。

ちなみにこのOSが、先ほど書いた「既存の価値観や臆断の檻から出ていく」の、「檻」のことである。



ガリアの瀕死の戦士。紀元前2世紀ごろ。
アンティキティラ島の機械とほぼ同年代の作品。この表現力...
@アテネ考古学博物館


弁証法とは、矛盾を解消しながら、より高い次元へと発展する動きのことである。

ヘーゲル的な弁証法的歴史観は、歴史を一連の進歩と発展の過程として理解し、例えば、産業革命、民主主義、平等、人権、グリーンな成長、SDGs 、核抑止、クジラを食べるなとか、イスラエルは自衛権を行使しているのであるとか...などを含め、歴史がより「良い」方向に直線的に進化しているという見方である。

一部はそうであろうと確かに思う。

しかし問題は、自分たちの「真理」がただひとつの真理であり、自分たちだけが曇りない目でものごとを見きわめていて、「いずれは」西洋以外でもそのように考えるべきであるなど...他の価値観にはまるで想像も及ばなかったりすることだ。

まあ、真理はひとつだと思っているのだから、そもそも他にも真理や価値があるとは思いもしないか...

それが先ほどから繰り返している「檻」。



アルテミスの騎手。紀元前2世紀。
こちらもアンティキティラ島の機械とほぼ同年代の作品。
この躍動のとらえ方! 目の前で見ると本当に動いているよう。
@アテネ考古学博物館


彼らの名誉のために書き添えるが、それが西洋で修正されてきたかというと、レヴィ=ストロースのような優れた学者も登場した。

彼の構造主義は、歴史を必然的な進歩や発展のプロセスとして見るのではなく、歴史や文化を普遍的なパターンや構造を通じて理解するという視点を提示し、「一直線の歴史」を乗り越えた。

つまり、どの文化もそれぞれの文脈の中で意味があり、「別々の思考」であり、他の文化と比較するのはナンセンス、優劣を論じること自体が無意味である、と。


まあ、こう書いているわたしも「檻」から出られない臆断の奴隷なのだ...
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スパルタでスパルタ教育



あまりにも有名なスパルタ王レオニダス(ということになっている像)。
第一次ペルシャ戦役時のテルモピュレーの戦い(紀元前480年)は、ギリシャ連合軍とペルシャ帝国軍との戦闘。
スパルタ王レオニダス率いる300人のスパルタ重装歩兵は、20万のペルシャ軍に敗れ全滅。
スパルタの考古学博物館にて撮影。


今年の夏休み第一弾で訪れたギリシャでは、とにかく観光に励んだ。

どちらかというと、好みのホテルに宿泊して何もせずに何週間も過ごすのが好きなものの、久しぶりにギリシャ本土へ来たので...
古代ギリシャの遺跡、戦跡は全部見たい! となる。

昼間は暑すぎて活動ができないため(実際今年は夏も早くから観光客の行方不明者が多数出た)、屋外での活動は午前6時から正午まで、昼食後17時ごろまでは屋内の美術館で過ごし、17時以降再び屋外へ観光に...

夜間は調べ物や読書でキャッチアップ。

毎日、早起きし、夜ヘトヘトになるまで歩きまわる、遺跡観光ブートキャンプのような状態、まるでスパルタ教育! と笑ったのであった。



現代の競技場の前に立つレオニダス。
レオニダスと300の兵士は、当時から現代までその勇気と強さ、祖国愛で語り継がれ、血を沸かせ肉を踊らせる。


そしてついにスパルタへ来た。

古代ギリシャ、ペロポネソス半島の雄、スパルタ。
アテネとツートップのスパルタ。

優れた戦士を安定して供給するためだけに全振りした国、スパルタ教育のスパルタ。

スパルタ市民として誕生した男子は、7歳で母親を離れ、戦闘の訓練を受け始める。
20歳に達すると、非常に過酷な通過儀礼を受け、一人前の兵士に。
その後、家族を持っても一緒に住めるわけでもない。


スパルタの誇る重装歩兵。
質実剛健の彼らに唯一許されていた贅沢は、戦闘前夜の長髪の手入れだったという。
「敵には絶対に背を見せてはならない
戦場では勝つか、死ぬか、しかない」
スパルタ考古学博物館で


社会内に格差やカリスマを生まないよう、貨幣は鉄製(誰も欲しがらないから輸入品が入ってこない、例えばアテネは金貨)、家屋は木製、食事は粗末、ヒーローなど出る杭は打つ...

その精神の犠牲になったヒーローとして、悲しみなくしては回想できないのが、第二次ペルシャ戦役時、プラタイアの戦いでギリシャ連合軍に圧勝をもたらしたスパルタ将軍パウサニアスである。


ペルシャ帝国軍の4割の兵力で圧勝したパウサニアスは、その後テルモピュレーで玉砕したレオニダスと300の仇を討つためテーバイを攻略。
次にテルモピュレー向かい「300」の遺骨を拾う。
スパルタへの帰路でアポローン神殿のあるデルフォイに立ち寄り、銅板を奉納した。

「パウサニアス、ギリシャ全軍の総司令官。敵ペルシャ軍を壊滅したことを記念して、感謝の心とともにこれを奉納する」


これが出る杭を打つことにかけては熱心な「五人のエフォロス」(監督官)が咎めた。
そしてパウサニアスに謹慎を強い、別の職務を与えた。
が、しかし名将はここでも大活躍してしまう(戦略の重要地点ビザンチン攻略など)。

カリスマを出さないことに命を賭ける監督官をさらに刺激してしまい...

最終的にはやれペルシャと共謀しただの、全ギリシャの王になろうとしただの、奴隷の反乱を扇動しただの、さまざまな濡れ衣を着せられて本国へ召喚される。

そしてついに逮捕状が出された。




パウサニウスはとっさに神殿内に逃げ込み、立てこもる。神殿の扉は塗り込められ、瓦は外され、結果、彼は飢えと渇きによる死を迎える...

それがこちら(すぐ上の写真)であったというのだ。

パウサニウスが死を迎えた神殿跡...



野外劇場跡


スパルタでは多くの建物が質素堅実であったこと、その後ペロポネソス戦争(紀元前431-404年)で国力を失い、やがて衰退した。ローマ時代やビザンティン時代には、スパルタの重要性は完全に低下、建築物の維持や再建が行われなくなる。

また、古い石材などは別の建築現場で使いまわされたりもした。


そんな中で残る神殿跡から、なかなか離れられなかった。



テルモピュレーで発掘された、ペルシャ戦役期のブロンズと鉄の矢尻。
主にアジアで生産されたものだという。
アテネ考古学博物館にて撮影。
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エピダウロスで医術の神に参る




ペロポネソス半島東側、エピダウロスは、現代では最も保存状態の良い円形劇場で知られている。

世界遺産には1988年に登録されたとか。

円形劇場のサイズは、そのまま都市の規模を反映しており、一万5千人を収容できる巨大さと美しさ、計算された音響の良さは、かつてのエピダウロスの繁栄を今に伝える。

はて、何が繁栄をもたらしたのか...




エピダウロスは、アスクレーピオスが生まれた場所である。
彼は、医術の祖にして神、またアポローンの息子(アポローンは医学の神としての一面も持つ)である。

現代でも通用する医師の職業倫理として「ヒポクラテスの誓い」はよく知られている。
それは「医の神アポローン、アスクレーピオス、ヒュギエイア、パナケイア、および全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。」という出だしで始まる。

医療のシンボルとしてしばしば見られる「杖に巻き付いた蛇」の意匠も、これまた「アスクレピオースの杖」と呼ばれる。
蛇の描く螺旋(らせん)は、生命力や再生、権威、超自然などを表すという。




この地では主にアポローン・マレアタス (アポローンと英雄マレアタスが習合された神格)が崇拝されており、聖域の神殿もアポローン・マレアタスに捧げられたものである(2枚目3枚目の写真)。

その他にも複数の神が崇拝され、アスクレピオースはもちろん、アスクレーピオスの妻へピオーネー(鎮痛の女神)娘ヒュギエイア(衛生の女神)、あるいは「男を征服し眠らせ再生させる」、武装した美の女神アフロディテーなども...



アスクレーピオス
アクロポリス博物館にて撮影


エピダウロスはそういうわけで古典期のギリシャ世界では医療の中心地であり、治癒を願う巡礼が集まったという。

患者がエンコイメテリアいう部屋で一夜を過ごすと、夢の中で神が正しい治療法を告げてくれるのである。



神殿で、アスクレーピオスの妻へピオーネー(鎮痛の女神)娘ヒュギエイア(衛生の女神)に参拝する病人の列。
アテネ考古学博物館にて撮影


遺跡内では、160部屋あるエンコイメテリア(患者が宿泊する施設)が発掘されており、周辺には鉱泉もある。

医療はエピダウロスに繁栄をもたらし、紀元前4世紀~紀元前3世紀には、記念碑的建築物の建設や拡張などが行われ、円形劇場の建設もこのころ建設された。

紀元前87年、ローマの将軍、(悪)名高きあのスッラに略奪されるまで...




娘がこの夏ジュニア・ドクターとしてロンドンで働き始める。

英国では研修医という身分はなく(これ、英国内でもしばしば認識に誤りがあり、数ヶ月前には英国保守党の議員が「ジュニア・ドクターは研修中の医師にすぎない」という発言をして大大バッシングを受けた)、「ジュニア」でも、フルカウントの「医師」である。

人生の意味とは、他人の人生に意味を与えることだ。

「ヒポクラテスの誓い」を胸に、そう尽くしてほしい。
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アガメムノーンの黄金のマスク




トロイア戦争はギリシャ神話に属するが、科学的な年代的にはミケーネ文明のころ...

と昨日書いたので、ミケーネの遺跡を訪れた話などを。


上の写真の黄金のマスク、歴史の教科書で見覚えがありませんか?

一般に「アガメムノーンの黄金のマスク」と呼び方は定着している。

アガメムノーンは、ギリシア神話の英雄、ミケーネ王にして、トロイア遠征軍のギリシャ軍総帥であった。
トロイア遠征軍は、絶世の美女スパルタの女王ヘレネーを奪還するために編成されたのでしたね...(前回の記事)。
ちなみにアガメムノーンの妻は、ヘレネーの姉妹クリュタイムネーストラー。もちろん、もちろん彼女も美貌であったという。

このマスクは、1876年にシュリーマン(トロイアを発掘したあの人)が、ミケーネ遺跡の王墓から発見したマスクだ。
彼はこれを「アガメムノーンのマスク」だと散文的に呼称。しかし現代の研究によると、マスクの製作年代(紀元前16世紀ごろ)は、アガメムノンが活躍したとされるトロイア戦争(紀元前12世紀ごろ)の時期よりも古いと判っている。

とはいえ、王のデスマスクに相応しい優雅さで、文学的、ロマン的な観点から「アガメムノーンの黄金のマスク」で膾炙している。


上の写真はアテネの考古学博物館で撮影した本物。
ミケーネの考古学博物館にはレプリカが展示されている。




こちらはミケーネの要塞化された宮殿入り口の、あまりにも有名なあまりにも美しいライオンの門。

ミケーネ文明が存在した紀元前1600年から紀元前1100年頃は、ギリシャ本土で頻繁に戦争や侵略が発生した。
このため、ミケーネの都市は防衛を重視、城壁や要塞を築き、外敵からの攻撃に備えたという。

ちなみに、社会が好戦化すると、戦士階級が支配階層になる。当たり前だ。
これがさらに発展すると、家父長的な主神(男神)を頂点にした宗教体系が生まれるのだろう(実際のちのギリシャ神話の素地ができた)...

ミケーネ文明が影響を受けたクレタ島のミノア文明とは対照的なのがおもしろい。
ミノア文明は、天然の要塞である島に発展したというのもあるが、都市は開放的なつくりで、宗教は自然崇拝や女性の神々の崇拝だった。




巨石を用いた要塞化した宮殿...




こちらは、アガメムノーンの妻であり、スパルタの女王ヘレネーの姉妹であった「クリュタイムネストラーの墓」。
ミケーネの王族や有力貴族の墓は、トロス墓(蜂巣形墓)、地下に円形の部屋を掘り、上部をドーム状に積み上げたものである。

「アガメムノーンの黄金のマスク」と同じように、「クリュタイムネストラーの墓」と証明されているわけではなく、ミケーネ文明と『イリアス』などの登場人物を関連づける一環で名付けられたという。

まあ、クリュタイムネストラーが実在していたならばこのような王族のお墓に埋葬され、アガメムノーンが実在していたらこのような黄金のデスマスクを埋葬品にしただろうと。

永遠の命、再生を願って...




おまけ。
タコ柄、惹かれるぅ!

ミケーネは内陸の山間にあるが、タコの柄の壺が多い。
そのこころは、海に囲まれたミノア文明の影響、交易が盛んであったこと、タコは再生のシンボル(腕がちぎれても生えてくる)など...




渦巻モチーフ、数字の「8」の形、タコ、蛇...「再生」「永遠」がキーワード。
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