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Brugge Style
六甲サイレンスヒルズのサイレンス
2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今日は六甲山、神戸。
......
六甲山ホテルは、かつて「関西の避暑地」として愛された、神戸・六甲山にあったホテルのひとつだ。
明治以降、政府が推進した近代化政策を背景に、神戸では外国人居留地を定めて西洋の窓口となり、物や人、文化が流入、伝統文化と混ざり合って独特のライフスタイルを産んだ。
阪神感モダニズム。
わたしが育った神戸は、まだそのハイカラな心意気に支えられていた。
そして、迎えた80年代。
日本が好景気の果実を手にしたそのころは、六甲山や須磨の海岸などをドライブし、カフェやレストランや社交、近場のホテル滞在を楽しむ(もちろんおしゃれとセット)というのはごく普通のことだったが、2025年の現在では、あれはもうかつての外国人居留地の賑わいのように過去の思い出となってしまった。
交通機関の発達で、遠方への旅行が手軽になり、レジャーの選択肢が増え、率直に言って景気は落ち込んだまま...というのも理由のいくつかだろう。
あのころと変わらないのは眼下に広がる神戸の市街地と海。
泡のように消えてしまったあの時代。
六甲山や、隣の摩耶山(これらの「山」を神戸っ子は愛情を込めて山田さん、鈴木さん、のように発音する)には、個人の別荘、会社の保養所、六甲山ホテルも、六甲山オリエンタルホテルも、そういえばコム・シノワが出店したオーベルジュもあったな...
今は廃墟の女王として君臨する摩耶観光ホテルも...
わたしも幼い頃からよく行った。
コロナ禍前の2019年、約2年間の改修を経て、かつての六甲山ホテルが「六甲山サイレンスリゾート」として生まれ変わったと聞いた。
当然、また宿泊できるの!
と、思ったのだったが、イタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキ設計の「サイレンス・リング」と呼ばれる円盤状ホテル部分の営業は見合わせとなり、レストランとカフェ営業のみの見切り発車となった。
2024年に延期、という話ではあったものの、現在のところ27年から29年の開業を目指しているという。
わたしでも簡単に想像できる延期の理由としては、円安や世界状況による資材価格の高騰や人材不足であろう。
建築家ミケーレ・デ・ルッキのデザインは好きで、うちにもアレッシ系のキッチン用品がいくつかある。偶然。
神戸にはもう、80年代のような夢も希望も勢いもない。
寂れるばかりだ。
寂れの美はあるにはある(ベンヤミンのパサージュ論)。
「パサージュの中には、そうした過去の人々が見た、未来へと向かうユートピア的な集団の夢が、いわば、そのまま、手付かずに残っているのである。
その十九世紀の集団的な夢は、二重の意味でわたしたち二十一世紀人の心をうつ。
ひとつは、それが希望に満ちた繁栄と栄華の夢であるということ。もうひとつは、その夢がさして時を経ぬうちに無惨にも破れたものであること。」
「たんに過去の人々が生きた日常に出会うのではない。日常を生きながら、同時に集団的な未来の夢を見ていた人々の意識と出会うため、よけいに切ない気持ちになる」(以上、鹿島茂著『パリのパサージュ』より)
パサージュ論は、神戸の旧外国人居留地や、株式会社神戸と謳われた80年代の神戸を知る者が持て余すなんともいえない懐かしさ、寂しさ、切なさに、立体感を与え慰めになる。
サイレンス・リング、完成したら素敵だろうなあ。マネージャーになりたいなあ。
しかし、完成したところで集客はできるのだろうか、「サイレンス」は賑わうことがあるのだろうか、と神戸贔屓のわたしですら心配になる。
いっそ、神戸の市街から一気に到着できる、六甲サイレンスヒルズ専用ロープウェイやケーブルカーを敷くとかですね...
街おこしに成功したスペインのビルバオ(「ブルバオ効果」という名前さえ生んだ)や、フランスのナント、オランダのロッテルダムなどを思い浮かべてみる。
わたしがこのホテルの持ち主ならならどうするだろうか、と真面目に考えてしまった。
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天城峠で越えるという
扇型に形成された柱状節理も見事なバランス
2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今日は中伊豆。
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「あなたと越えたい天城越え...」
修善寺のお宿アルカナから、観光タクシーで伊豆観光へ。
『天城越え』で歌われている伊豆の名所をぜひ訪れてみたいなあ...
程度の浅い知識しか持ち合わせていなかったものの、同年代の観光タクシーの運転手さんとは昭和の話で盛り上がった。
なんせ夫(ベルギー人)は『天城越え』という名曲を知りませんからな!
「天城峠というのは昔は交通の難所でね、ここを誰かと一緒に越えるということは、世間体や過去を振り切って乗り越える、そういう意味があるのよ...」と説明したが、分かってくれただろうか。
ベルギーでは珍しい「滝」に気を取られていただろうか(ベルギーは南部はともかく、どこまでもどこまでも真っ平な土地なのです。山がない、のです)。
まあ、いいや。
人間同士は分かり合えないのがデフォルトである。自分のことすら分からないのだし。
わたしが彼とかれこれ27年も一緒にいるのは、分かり合えなくても愉快に一緒にいられるからである。
ちなみにわたしが石川さゆりで忘れられないのは、コマーシャルでしか聞いたことがない『ウイスキーが、お好きでしょ』のサビの部分の最後「それでいいの今は」。
悲しいまでの透明さで相手に語りかけた前半に対し、「それでいいの今は」で一気に内の声の描写になる。彼女の声の質の落差が人間の感情の重層を表し、強烈に印象に残る。天才。
この歌詞の人も「分かってもらえない」のである。でもそれでいいの。
運転手さんにはいろいろ教えていただき、特にわたしが火山によって形成される柱状節理に関心を抱いたので、予定と時間を調整して旭滝にも連れて行ってくれた。
また今年も同じ時期に同じお宿に泊まって、同じ運転手さんにお願いしたいなあ...
ここでは「テレビ(の撮影)ですか?」と聞かれた(笑)。えっ「モエさんぽ?」?
修学院離宮でも「テレビ見ましたよ」と言われた。誰(笑)?!
わたしはほとんどいつも手ぶらだからだと思う。
今年はぜひ浄蓮の滝でアマゴ釣りをしてみたい。
この辺りでは、蕎麦はわさびを食べるために存在するんですって!! なんと粋な。
こちらは運転手さんも「知らなかった!」とおっしゃった、富士山の見えるハイキング道のスポット。
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霧島神宮で神霊に出会う
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2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今日は霧島。
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友達との恒例の旅行、2024年12月は鹿児島へ。
わたしが鹿児島を訪れて桜島を見たかった理由はすでに書いた(「鹿児島のひと」)が、次に楽しみにしていたのは霧島神宮参拝だった...といっても過言ではない。
旅のプランを立ててくれた友達は、面積の広い鹿児島では、移動だけでかなりの時間ロスになりかねないところを、うまくスケジュールに組み込んでくれた。
霧島神宮の近所に鰻の名店があるというのも魅力だったし...こちらのお店、ほんとうにおいしかったですっ。
しかも、霧島から特急電車に乗って鹿児島に到着するとき、湾沿いを走る車窓(おもちゃの電車に乗って、パノラマの中にいるよう!)から眺めた、わたしにとって初桜島の雅やかでゆったりとした美しさと言ったら....!!
コンシェルジェの、われわれ3人が密かに「姫」と呼んだ方もすばらしかったです!
霊峰・霧島連山の麓に鎮座する霧島神宮、ご神体は、霧島連山の一つである高千穂峰だ。
深い森に包まれる高千穂は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、高天原から降り立った地である。
「天孫降臨」とは、実際には後からやってきた勢力(渡来系または新興勢力)が、もともとこの地にいた部族(例えば「隼人(ハヤト)」)と、その神々を征服・習合した歴史を反映している可能性が高い。
そうだ、この地域には、もちろん天孫降臨以前から、独自の信仰を持つ人々がずっと住んでいたのであり、彼らが信仰していたのは、おそらく山や噴火などの自然現象を司る神々だったであろう。
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そりゃ神業! あるいは神霊?
実際、境内には温泉があちこちで湧き出ている。なんと神秘的な。
と、奥まったところで、「山神社(やまじんじゃ)」という、とても小さな祠に出会う。
「山神社」は、文字通り「山の神」を祀る社であり、山の神は、山の多い日本各地で古くから信仰されてきた存在である。
山神、大山祇神(オオヤマツミ)は、山岳信仰の中心的な存在であり、火山や温泉とも関係が深い。
霧島神宮が現在のような形になる前、この地では自然崇拝(アニミズム)をベースにした山岳信仰が行われていたと考えられよう。
しかも、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の子であり、霧島に80年住まったという彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト))別名:山幸彦の名を見よ。火がボウボウと出ているではないか(笑)!
火山の噴火や温泉の湧出を、神の力の顕現と見る信仰は、わたしにはとても自然なものと感じる。
人間は自然を、人為の及ばないものと畏れ、身をつつしむことを時々思い出すべきだ。
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霧島神宮は現在、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を主祭神としているが、その根底にははるか昔から続く「山岳信仰」や「火山信仰」が息づいている。
霧島神宮の境内で立ち上る温泉の湯気は、かつてここにいた神々が今もなお存在し続けている証か。
まこと、九州は日本の源ですな!
鹿児島は、食も豊かでほんとうにすばらしい!
上記の鰻もだが、魚介、鶏、牛、豚...
かるかんも実は初めて食べました。友達の手引きでいろいろな名店のものを食べ比べ...!
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横浜ハーバー
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2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今回は横浜。
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横浜港
ヨコハマ・ハーバー。
神戸っ子、勝手に親近感を覚える。
港には、独特の雰囲気がある。
出会いと別れ。
未知への希望と、あきらめ。
新旧の交わり。
外に向かって開ける海と空は、無限への可能性を象徴しつつ、同時に故郷への回帰をも想起させる。
神戸っ子、神戸に帰ってきたような、神戸がますます恋しいような気持ちになる。
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カハラ・ホテルからタクシーで山下公園まで行き、ぶらぶらと歩き回って...
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ハイライトは地元っ子のAさんにご紹介いただいた老舗天ぷら屋さん!!
夫は里芋の「焼いたん」の美味を今も言う。
食後は、娘が2024年春の東京短期留学中に、翌日日本を去る友達と乗って「彼女の最後の夜にふさわしかった!」と喜び、わたしたちにもぜひ乗るよう勧めてくれたエア・キャビン...
いい大人、往復乗って盛り上がる。
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横浜ハーバー、英国へ持ち帰るつもりが次の宿泊地、伊豆は修善寺のお宿、アルカナに到着するなりさっそく開けちゃった...!!
柳原良平氏のイラスト好き!
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修学院離宮の滝の音
2ヶ月前(2024年12月)の日本一時帰国時のハナシの、書きさしがいくつかあるので、完成させて載せることにした。
今後数回は日本に舞い戻ります。今日は滞在中2回行った京都。
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桂離宮と修学院離宮の両離宮を訪れたのも良い思い出だ。
紅葉は、桂離宮はほぼ1ヶ月、修学院離宮はほぼ10日遅れ(離宮の方のお話)だった2024年。
修学院離宮はまるで村一つ分をそのままお庭にしたよう、段々の田畑あり、松の並木道あり、山あり...
浴竜池を見下ろす隣雲亭では、楽器を奏でるような清らかな滝の音が聞こえる。
しかし、滝そのものは見えない。
これをわたしはベルギー生まれ、英国育ちの娘に「日本的な美学」と説明したが、どうかな...
日本には、暗示的な表現、「見立て」「間(ま)」「余白」を重視する独特の感性がある。
この場合、滝そのものを庭の正面に置いて「滝でーす! どうです! すごいでしょう!」と、どどーんと見せず、わざと隠すことによって、見るがわに音や周囲の風景から滝を想像させ、視覚以外の感覚を刺激し、心象風景を深めるのである。
水の音、水の流れる空気、沢の湿り気のにおい、複数の感覚を通じて体験を深める。
視覚だけに頼らず、五感を駆使させ、今いる時空を抜けるような鑑賞法が重宝されるのである。
見えない滝は、より神秘的で印象的になるであろう...
なんという美意識。
このような庭作りは、枯山水や茶庭にも通じる日本美学の核であり、「省略することで豊かさを引き出す」という思想が根底にある。
「見えない滝」には、見る者が主体的に自然や空間と対峙する余地が与えられているのである。
どうかな、ヨーロッパ育ち、日本贔屓の娘にちゃんと説明できたかしら。
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