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モエにライカ




豚に真珠...というよりは、使いこなすことができないという意味合いで、猫に小判、の方がふさわしい感じかしら。
「モエにスタインウェイ」というのはどうだろうか?。


「全自動のコンパクト・デジカメでも、わたしにはどうせ使いこなせないだろう...」

そう思いつつ、機能面の魅力にも、見た目の魅力にも(濃紺にシルバーの昭和な感じ!)、ブランドのマジックにも強く惹かれ、なかなか踏ん切りも、諦めもつかなかった。ライカのC-Lux。


ロンドンのライカショップにはゴールドしか在庫がなく、濃紺・シルバーのリクエストを出してもらい、入荷次第連絡をとの約束をしたのがコロナ禍前。
その後、マドリッドの店にもアムステルダムの店にも行ってみたが、やはり空振りだった。
公式のネットショップでも、ゴールドのみ「在庫あり」が続いていた。

今回、通りがかったパリのショップに入ってみたらば、やはり在庫はゼロだった。


と、別のお客さんを接遇していた店員さんは言った。

「ライカはコンパクト・デジカメから撤退するつもりからだと思います」
「もうすでに生産はしていないかもしれません。お買いになっても故障した場合にパーツが手に入らなくなったら問題ですよね」

そうなのか?
もっと高いやつを買わそうとしていないか(笑)? D-Luxでもフラッシュは外付けになる。全自動じゃないと絶対に使わなくなるから買わないよ!

しかし...もう生産されないかもとなると俄然欲しくなる。
パーツがなくなる可能性があるならばやめておこう、という方向に思考が働かないタチなのである。
そんなまさか、2年やそこらで壊れたりはしないだろう(保証期間内)...

あなたはどっちのタイプ?? 


パリのもう一軒の店に在庫があるか確認して、そこで決めては? と感じのいい店員さんに言われ...

そして出会ってしまった。


これからこれを持って夏休みのメイン旅行に出かけるのだ。

今年の夏休みも単にホテルの敷地内に滞在するだけの旅になるので、きっと時間はたっぷりある。

綺麗な写真、アップしたい!
(通常、わたしが感動して撮りまくる30枚の写真よりも、ほとんど写真を撮らない夫が撮った一枚の方が断然よかったりするので、夫が撮ったものになるかも・笑)
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パリの青い欲望



マノロ...




Hotel de Jaucourt マレ、国立公文書館の一部




青なの...赤なの...オクシモロン(赤で"Blue"という作品とセットになっている)
ベルトラン・ラヴィエ (Bertrand Lavier)作品




欲望といえばパレ・ロワイヤルかな!
ここから見える青空がとても好き




歩調が乱れる。素敵な濃いブルーの店構え




『ポンヌフの恋人』(Les Amants du Pont-Neuf)...クラシックですな
主人公を演じたジュリエット・ビノシュは『トリコロール・青の愛』(Trois Couleurs: Bleu)にも出演しましたね




モデルちゃん、撮影中
背後にはホテル・クリヨンと、Hoel de la Marine...マリン・ブルー




カペー朝のフィリップ2世(フィリップ尊厳王)と孫のルイ9世(12世紀)、青を積極的に王家の色に定めたという

そしてバスティーユには白旗が
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安藤さんのbourse de commerce





パリ、7月が終わる前に。

美術館として改築されたBourse de commerce(直訳で商業取引所)に、現代アートのピノー・コレクションが50年リースで入り、華々しくオープンしたのは、去年2021年5月。

新型コロナウイルス禍のため2020年の完成から一年延期されたのだった。




それからまた一年後。
やっと見に行けた!

1番の目玉は内部中心部に配置された、安藤忠雄さんによる高さ10メートルのコンクリート・シリンダーであろう。

こちらはメイン展示室でありつつも、そのものが巨大なアートとして独特の雰囲気を醸し出す。




わたしが興味があったのは、19世紀の改装時にロタンダに加えられたフレスコ画である。

商業取引所だけあって、世界の「東西南北」の国々を象徴する人物や産物で彩られている。
「5大陸間の貿易の歴史を表している」そうだ。
貿易はいいけれど、ほとんど不均衡な搾取の歴史ではないか...




世界の国々を象徴した神話的な人物像におもねる冒険者姿の西洋人が、勇敢な人々というよりは多少卑しく描かれているような気がする。
わたしの方のバイヤスなのかしらん?

上の写真、日本を象徴しているらしい優雅な女性像の着物を調べる西洋人の男性...おいおい、なんとガサツなことか。でもこれ、たぶん世界の隅々にまで出かけていった西洋人を讃えているのだろう。「停滞的アジア」に比して。

ヨーロッパ諸国はヨーロッパ内部での争いで武力を洗練させ、海運力を利用して、アフリカ、アジア、アメリカへ進出、新市場を獲得し続けた。
資本主義は持続的成長、拡大と支配・従属関係の上に成り立つという、国際政治経済秩序におけるゲームのルールを携えて。




ヨーロッパの拡大とは、異文化に属する人々との接触、異文化の包摂を意味している。





もうひとつ魅力的なのは、この建物の元々の形であったマリー・ド・メディチの16世紀のグランドハウスに付属した「メディチ家の柱」と呼ばれる塔。占星術のために星を観測する展望台だった。

この時代の占星術といえば、マリー・ド・メディチの親の代までちょっと時代が遡るが、なんといってもノストラダムスでしょう!


パリの空の下セーヌは流れる、のである


パリ...もう勘定できないほど訪れている。

わたしが死ぬまでにやりたいことのリストには「2年間パリに住む」というのがある。
他には「オリエント急行で旅行する」「シベリア鉄道で旅行する」「神戸に帰ってベルギー式の喫茶店を開く」「政治活動をする」...他が残っている。

このリスト、叶ったことも結構あるのだ。「(外国人が永住ビザを取りにくい)イングランドに住む」とか「オペラ・バレエなどの芸術パトロンになる」などなど。

先が見えてきたのでこの辺で大胆に行動すべきか? それとも新型コロナ禍は黄信号を出しているのか?
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マラガのピカソ




ピカソは1881年スペインのマラガで誕生した。

彼の生誕の地を祝福し、2003年にブエナビスタ宮殿にピカソ美術館がオープン、こちらの展示物は親族からの285点の寄贈がベースになっている。

彼が生涯に製作した作品は、油絵だけで一万三千。版画、素描、陶芸などの作品は十三万点を超える。
だからといってはなんだが、美術館一つをこしらえるのも一丁上がり。ピカソのブランドも特級なら、なにしろ間違いなく「儲かる」。
マラガという、ヨーロッパからの手頃な避寒避暑地として絶大な人気を誇るパーティタウンに、文化的な香りをもうひとつ添えた感じになっている。

海岸に面しているためか(この一帯の海岸線がコスタ・デル・ソル、太陽海岸)気温は内陸部に比較してすごしやすい。この時内陸のセビリアは47度になった一方、マラガは最高気温28度だった。
マラガの空港にレンタカーを返却する前、3時間ほど時間があったのでこちらを再訪して夕食を食べて空港へ行く計画にした。




正直に言う。
わたしはピカソは美術史上、大変重要な人物だとは思うし、追随を許さないほどものすごく上手いと思っているが、あまりいやほとんど...好きではない。
一言で言えば、他人、特に女性に対する敬意が全くうかがえないからである(写真は比較的落ち着いたものを選んで載せた)。
それがたとえ彼の戦略であり、「美術館という入れ物の中で、作者の芸術を証明するために制作された作品」であるとしてもだ。
ピカソによって引き起こされた嫉妬心によって自尊心を破壊され、人格が崩壊していく女性の描写。彼にとって「女は苦しむ機械」にすぎないのである。




あるいは、ピカソの破壊的な芸術への理解こそ、反ブルジョワ的偽善、反良識、新しいとか革新的(それが美をすら凌ぐ)いうような図式が、ちょっと嫌だなあ。

前衛的な表現には、その衝撃によって人々の美意識や価値観を揺さぶり、動揺させて覚醒させ、社会や芸術のありようを再検討するように仕向ける意図があるにしても。
また、作品の「自分語り」度が作品の価値を決めるのが現代美術であるにしても。




美術品のよしあしを、美術館に入れるに相応しいかどうかで判断する今日的な美術館の概念に照らすと、ピカソはやはり特級の芸術家である。




娘とのアンダルシア地方への旅行(目的はグレナダのアルハンブラ宮殿でマルタ・アルゲリッチのコンサートを見ることだったのだが、ついでにうろうろ観光してまわった)、お客さんが続いたためにのんべんだらりと続けてしまった。これで終わりにします。読んでくださった方、ありがとうございます!
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コロンブスの墓




クリストファー・コロンブス。
16世紀の探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。

彼は、前世紀には確実に「アメリカ大陸の発見者」「不屈の精神の大冒険家」と称えられていた。
小学生向けの『偉人の話』シリーズの常連でもあったと記憶している。

最近の研究成果では、彼の発見は「大西洋を横断してアメリカ大陸に到着する航路を発見」にとどまり、先住民殺戮(コロンブスの新大陸上陸時に約800万人だったインディアンの人口は、15世紀末までに、3分の1まで減少。以降死亡率は倍加)は凄惨をきわめたことなどから、単に「偉人」という評価はされなくなっている。

その出自や、肖像画の真偽(教科書にも載っていたあの肖像、真偽が定かでないそうですよ)、「コロンブスの卵」の逸話も彼のものかどうか疑問視されている上、スポンサー・イザベル1世を最終的に説得できた決定的理由は何だったのかなど、わかっていないことも多いという。


しかし最近、彼について確実性の高い話がひとつ出た。
去年だったか、セビリア大聖堂に鎮座する「コロンブスの墓」はDNA鑑定の結果、おそらく本物であるという研究結果が出たのだった。


セビリア大聖堂は(最後の写真)、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ3番目の威容を誇る。

今でこそ、セビリア? という感じかもしれないが、1717年に至るまで、セビリヤは新世界との貿易をほとんど独占する都市だったのだ。



ムリーリョ、スルバラン、ゴヤなどの絵画がたくさんある


こちらの「コロンブスの墓」の意匠がすばらしい。

イベリア半島の王国、レオン、アラゴン、カスティーリャ、ナヴァラの諸王(の具象)が四角を棺担しているのである。



あの世への旅立ち。


国からそこまでの敬礼を受けているのも当然といえば当然、コロンブスの発見した大西洋航路は大航海時代の幕開けとなり、スペインは新世界に侵入、莫大な富をもたらし、ヨーロッパが世界を征服する第一歩になったからであろう。

そもそも、アジアとの貿易でヨーロッパは常に赤字だった。
ヨーロッパは当時の先進の地アジアに売れるものはほとんど持っていなかったのである。
それが南米の銀(ポトシ銀山)を輸出することによってやっとバランスを取るようになる。

また、コロンブスが持ち込んだサトウキビは大西洋貿易で最も重要な商品となった。砂糖である。西アフリカから奴隷が中南米に送られ、サトウキビを栽培させた。

世界はこのときから「ひとつ」になり、グローバル化に向けて突っ走るのである。
北の豊かな生活を続けるために南を利用して搾取する「帝国主義的資本主義」。




人の功罪の検証には何百年という年月がかかるのだ...

「国葬」なんかを軽々にして、神格化されたら公平な検証ができなくなる。それを行う権力を正当化するのに利用されてしまう。それこそ民主主義の危機である。
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