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Brugge Style
マークの饗宴
ロンドンのメイフェアにある聖マーク教会は、19世紀の聖公会の教会で、祭壇の絵画も(好みではないが)美しい。
メイフェアというロンドンでもシックな地区に建つこちらの教会、60年代に檀家が激少して教会としては機能しなくなり、70年代には福祉施設として使用されるようになった。
しばらくの間、空き家になり、去年2023年にフードコートに生まれ変わった。
フードコート...
ラーメンとか、ピザ、タイ料理など、無国籍な感じ。
教会に所属し、定期的に礼拝に出かける人が減少し、こういうふうに利用されるのでもなければ、ただ朽ちていくだけの教会建築が、レストランや商業施設に流用さる例は珍しくはない。
ベルギーにも、フランスにも、英国にも例はたくさんある。
いいのだろうか? 「教会」を油まみれになる商業施設に使うのは??
キリスト教では偶像崇拝は禁止されている。
それでもビザンチンで発達した、板に描かれた聖母子を描いたイコンや、最も美しい姿で彫りだされたのであろう聖人の彫像などは、信者の礼拝の対象だった。
理屈としては、信者は像を拝んでいるのではなく、その像を通じてその向こうにある神聖なものを拝んでいるのである、像は神聖さを可視的に映す「受信機」にすぎない、だからオッケーといえる。
つまり教会施設も、神聖さを受信する巨大な受信装置、であり、教会の建物の中に神様がいるわけではない...
だから俗世的な飲食店を入れて美味しそうな匂いを充満させ、金銭のやり取りがあってもよいのである...
となるのかなあ。
そういえばイエス・キリストが弟子たちと共にした「最後の晩餐」は、キリスト教の聖餐式の由来であり、キリスト教徒の共同体としての結びつき、信仰の実践などを象徴しているのだろう。
「エマオの晩餐」「レヴィ家の饗宴」など、聖書には会食の場面がけっこう描かれている。
ヴェロネーゼのあの舞台上の劇を瞬間冷凍したような鮮やかな絵画...
食を分かち合い、文化を認め合うというのは宗教を出すまでもなく、人間の存続にとって大切なことである。
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鹿鳴館か鹿苑寺か(笑)
昨日、内覧に行った英国南部のとある物件の庭に、野生の鹿がやってきた。
バルコニーに出ているわたしたちの方をじーっと見つめていた...
予算オーバーだが、ここはいい物件であるというサインではないかと家人らは言った。
もしこちらにご縁があったら、この館を鹿鳴館か鹿苑寺と呼ぼうぞ、と思った。
でもわが家のメンバーとはこの面白み(というかレベルの低いギャグ)を分かち合えない...
これをご覧になっているあなた、分かって頂戴。
バンビちゃん、見つかりました?
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ロンドン雑記
このところ天気も冴えない英国南部地方...
昨日のロンドンは最高気温が11度で寒かった。
寒いわ、汚いわ、施設は壊れたまま、故障したまま、インフレだわで、ロンドンはどんどん魅力がない街になってしまう...
例えば小洒落たランチを食べて4万円(アルコールを含まない)、お茶とケーキで1万5千円、ラーメンを食べて9千円(以上2人分)。
ロイヤルバレエのいい席が一席3万5千円(オペラは5万円近い)、展覧会の入場料が5千円、というのは全く賃金上昇に見合わない。怒りしかない。
若い世代が、文化資本を必要としないSNSなどの楽しみに走り、単純に記号を消費し続ける理由はここにもあるのかも。
円安、このままでいいんですか? これは過去数十年の政治のツケですよ。
わたしがロンドンへ出る目的は、バレエ、オペラ、音楽会、美術館の催し、会食、以上! だが、目的のない街歩きも大好きなわたしにとって、これほど魅惑の少ない街は他にない...
話変わり、昨日、ロンドンは騒然とした。
西にあるバッキンガム宮殿のあるベルグラビアで、陸軍軍事演習中の7頭の馬が大きな騒音に怯え、うち4頭が街をテムズ川沿いに東へ暴走したのである。
高速道路で最終的に捕えられた馬は、兵士を振り落とし、サイクリストを巻き込み、2階建てバスやタクシーなどの車両と衝突。
陸軍の馬といえば、容姿もものすごく優れて神々しいほど美しいもの、なんかもう、そうやって人間が動物を使役するのはやめたらいいのに...
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古代ローマ兵の一生
Few men are born brave; many become so from care and force of discipline
「勇敢に生まれる者はほとんどいない。管理と規律によって勇敢になるのだ」
(ベゲティウス 4世紀のローマの作家)
大英博物館で開催中のLegion - life in the Roman army『古代ローマ軍団 兵士の人生』展のキャッチフレーズだ。
「古代ローマ帝国」は、今でも多くの人の目の色を変える。
古代ギリシャと並んで古代ローマは西洋文化文明の基盤、教養の基礎と位置づけられ、また、英国人は、大英帝国がかつて世界最大の帝国であったため、古代ローマとの類似性を意識したりもする。
古代ローマ帝国は、最大時にはヨーロッパの大部分はいわずもがな、北アフリカや中東の一部を支配、東は現在のトルコ領内から南はエジプト、西は大西洋にも及ぶ大帝国を築いた。
そしてその存続は軍事力に支えられていた。
ローマ軍は西洋初の近代的かつ専門的な戦闘力集団であり、市民を創出し、奉仕した兵士にある意味よりよい生活を提供した。
古代ローマと英国島の公的な接触は、カエサルがガリア戦中に行った紀元前55年と54年の2度の遠征中。
紀元前40年に、カリグラが再び英国島への遠征を企画したものの、実現性には乏しく、ローマでの政変もあって実行されなかった。
英国島が実際にローマの勢力に組み入れられたのは、紀元前43年のクラウディウス帝の遠征によってである。
わが家の周りにも、保存状態は最高ではないものの、多くの古代ローマ遺跡が残っている。
この壮大なローマ帝国は、並いるローマ皇帝の名のもとに語られることが多いが、一兵卒の視点から見るのが今回の大英博物館での展覧会の趣旨だ。
ローマ兵士であった「クラウディウス・テレンティアヌス」の生涯と奉仕を通して、入隊からキャンペーン、そして彼の引退まで。
彼は筆マメであり(識字は当時特別な能力でもあった)多くの手紙を残しているのだ。
展示物には、石や鉄器はともかくも、よくもまあ現代まで残っていたなと感じる、靴や衣服も...
軍隊生活の報酬は魅力的ではあった。
年金と自分と家族の市民権を獲得できたとしても、その一方で除隊までのサバイバルゲームでもあったのだ。
彼らの装備や役の数々、4月になってもなかなか暖かくならない(今週は軒並み12度前後ですよ...)英国島で...ご同情申し上げる。
兵士の最前線での生活は今でも過酷だと想像する。
それにもかかわらず、なぜ今も戦争が一兵卒をゲーム版のコマのように使うのか、わたしにはほんっとうに想像もできない。
もうやめましょうよ。
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あるじなしとて春な忘れそ
あるじなしとて 春な忘れそ ライラック
『眠れる森の美女』の狂言回しリラの精...降り立つ、イングランドの庭に。
はい、来年2025年(!)の予定では、このライラックの花が咲くのを見られそうになく、このところ春の大嵐と共に大きな雹がよく降り、そのたびに吹き飛ばされているため(どうせ花が終わったらすぐに刈る)、天井ぎりぎりまで思いっ切り、投げ入れ流で活けてみた。
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