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銀河鉄道に乗ってコーンウォールへ行きたい




休暇中の友人がイングランド南西端、コーンウォールから写真を送ってきてくれた。

なんと美しいのか...




英国に住んで早9年目(!)、行きたい行きたいと思いながらまだ一度も行ったことがない、コーンウォール。

理由は2つあり、英国人にとっての国内リゾート地の一つで、年中混んでいるという話を聞いているから。
もう一方は、どこかへ行けるなら大陸で、しかも南下したいと常に(ほんとうに常に)思っているから...


距離もかなりあり、ロンドンから南部に位置しているわが家からは400キロある。車で5時間。
一方、義理実家のあるベルギーのブルージュは300キロ。ドーバー海峡を渡るための待ち時間を入れても4時間ほどだ。

5時間あったらブリュッセルまで行ける...




などと行かない言い訳はいくらでも見つかる。

ロンドンのパディントン駅から出ているニュー・リヴィエラ夜行寝台列車に乗りたいがため、行きたい気持ちと拮抗している、と言えばいいか。


今年の誕生日はイタリア行きの予定(どうしても見たい展覧会がある)を死守してはいるのだが、もし国外旅行が難しくなった場合は、夜行列車で冬のコーンウォール海岸を訪れるのもいいかもしれない!

一晩中、旅愁にぴったりのロマン派のピアノ曲をかけ、シャンパンと紅茶を交互に飲み、カシミアの大判ストールにくるまって、香りのいいキャンドルを点し(火を使っていいのかしら...)何も見えない車窓を眺めていたい。

もし、どこかの名も知らない駅で停車したならば、必ずプラットフォームに降りて、白い息を吐き、車掌さんにあいさつしてみたい。

コーンウォールの海岸では化石が出る。わたしも白鳥の停車場で停車した時に、プリオシン海岸へ行き、くるみの化石を拾い、大学士殿が牛の祖先の化石を発掘しているのを見られるだろうか。
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シャンパーニュの日は暮れて




北フランス、シャンパーニュ地方の葡萄畑に落ちる夕日。


先日も書いたが、フランスというのはつくづく葡萄畑の多い国だと思う。


南フランスの人から聞いた話によると、南では葡萄は植えさえすればいくらでもできるのだそうだ。古代ローマやそれ以前から。

かつてフランスでは水よりワインのほうが安い、と言われたのは、南フランスでどんどこワインが製造できるから...だと。

一方、北フランスでは比較的手をかけないことには葡萄はおいしく実らない。

そこで品種改良や研究が進み、ワインの質の向上(と価格の高上)にもつながっているのだと。


まるでディオニソスとアポローンの対比のよう。


おもしろいことに、最近では北で醸造を極めた名手たちが規制の自由な南に来て、さらにワイン道を極めんとするケースも増えているのだとか。




葡萄はキリスト教世界では神聖な果物だ。

赤ん坊のイエスが、将来、十字架状で血を流す運命にあることを示すモチーフとして絵画にしばしば描かれる。人間の罪をあがなうイエスそのものの象徴なのである。


またイエス自身が「まことのぶどうの木」に自分を喩え、すべての人間はその枝であり、実を豊かに結ぶようになっている、と言う。
キリスト教に詳しくない人でも知っている「求めよ、さらば与えられん」の部分である。

つまり葡萄園は天国そのものなのである。

それがこんなにもおいしい飲み物を生むのか。




Blanc de Blancの中の夕焼け。
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reims シャンパーニュ の里



ランス(Reims)。
フランス北部グラン・テスト地域圏マルヌ県。

かつてのシャンパーニュ=アルデンヌ地域圏を含む地域である。


シャンパーニュの里。

地下には、超有名・無名メゾンのあわせて総120キロに及ぶカーヴが縦横に張り巡らされ、もちろん莫大な富も同時に唸っているわけである。
例えばエペルネ(Épernay)はたしかフランス内で最も収入の高い市だ。

エペルネでシャンパーニュ造りの弟子入りしたいわあ。


もっと大切なのは、5世紀の終わりあるいは6世紀ごく初頭、ランス大聖堂(上写真)において、メロビング朝フランク王国の初代国王クロヴィスがキリスト教改宗の洗礼を受けたことから、歴代フランス国王の戴冠式がこちらで行われるようになった。




あるいは、このアルカイックスマイルで微笑む天使。

世界史の教科書や便覧にも必ず写真が掲載されていた。

レオナルド・ダヴィンチの描いた、ヨハネの微笑みのようだ。

誰に似ているというわけではなく、普遍的な美。まさに天使。

これを見るだけでも価値がある(オリジナルは一次大戦時にドイツ軍によって破壊されてしまったそう)。




断酒中の禁を破ってここではシャンパーニュを朝から飲んだ。
外のテラス席で日に当たりながら、ひとりでいつの間にか一本空けられる。

写真がないが、有名なランスの薔薇色のビスケットも大好物。


22年前はエペルネで結婚披露宴を開いた思い出も。
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bonne nuit




葡萄畑の夜
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ゴルドの崩れた教会の壁




南仏リュベロン地方の山頂にある村ゴルド(Gordes)は、数多くある「美しい村」の中でも最も観光客が多い村だそうだ。

その中心広場に立つ、18世紀に献堂された聖フェルミン教会内は壁や天井などが多少荒れている。
人の出入りも激しく、共同体は潤っているだろうにもかかわらず、だ。

19世紀から20世紀にかけ、この地方を何度か地震が襲ったからだけではなさそうだ。
この一帯、石を積んだだけの村がたくさん残っているので、地震とは無縁かと思っていた。


いや、しかし、またその壁の荒れ具合は美しい。
まさか、そのように感じる人が多いのでそのまま、ということもないと思うが...


ある種のものは、きんぴかでまっさらなものよりも、時間が経過して崩れかけ、色あせて不完全なものが美しいと感じるのはなぜなんでしょうね?
時間が可視化されるから?
侘びや寂びの美を、ことさら美しいと感じるのはどんな対象、どんな場面においてなのでしょうね?


パルテノン神殿を初めとしたギリシャ神殿や、あるいは古代ローマ神殿、さらに神々の像などはもともと一部原色に彩られていた。
18世紀美術史家のヴィンケルマンが、古代ギリシャ文化こそが至高の文化であり、理想的で美のイデアを表すものと表明、その文化遺産もピュアな「白がよい」と発言したため、悪名高き英国博物館らが全部洗わせてしまった(エルギン・マーブル事件)という。

それを知っていても「単色の方が美しい」あるいは「ミロのビーナスもサモトラケのニケも腕や頭が欠けているからこそ美しい」と思うのかも...

単にそのように見慣れているからだろうか、それとも想像の余地があるからだろうか。





山の頂上の村の起源は、ケルト人の城塞都市だという。
以後、古代ローマ人がやって来、8世紀にはローマ神殿の跡地を利用してベネディクト会が修道院を建設した。しかしアラブ人の襲来によって破壊される。
11世紀には封建領主が城を建設。
14世紀には100年戦争の影響で市壁が建設される。

100年戦争で一般市民が恐れたのは、イギリス軍やフランス軍に攻められるというよりも、解雇された傭兵に対する防御である。
100年戦争といってもきっちり100年間ずーっと戦争していたわけではなく、休戦期間がある。休戦期間中は傭兵が解雇され、解雇されるたびに無給になる彼らは村を略奪してまわった。




ものは滅び、季節は移ろう。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.


教会を出たところで出会ったスイス・ホワイト・シェパード。
美貌。性格よし。

今日のいちばんかわいいひと。
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