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Brugge Style
gauguin portrait
ロンドン、ナショナル・ギャラリーで開催中のゴーギャンのポートレイト展 Gauguin Portraitsを見た。
ゴーギャンのポートレイトは、モデルの性格や社会的なステイタスをそのまま描くのではなく、モデルの外に象徴的なものを描き込むことによってモデルの内面や背負っている文化を描いている。
ここに焦点を当て、各ポートレイトのモデルと配置されている模様や彫刻、工芸品、他の人物などの「象徴」を読み解くことにより、モデルの人物像とゴーギャン当人に迫る。
とてもいい展覧会だった。
さらに説明があったらもっとおもしろいのに...と思ったのは以下である。
ゴーギャンの活動した19世紀はヨーロッパ社会全体の移行期にあたり、芸術界も同じく近代化しつつあった。
具体的には、まずロマン主義がルネサンス以来の西洋絵画の伝統と、17世紀に確立されたフランス古典主義からの脱却を試みており、ついでマネが幾何学的遠近法や、二次元における三次元性再現へのこだわりを脱し、印象派の登場によって近代の扉が開いた。
しかし印象派には理論や技法などが完成されていないとして、それを独自で乗り越えようとする動きが起こる。
例えばゴーギャンは、印象派を認めつつも、印象派がうわべのみで見た目の印象しか表現しておらず、思想に欠け、表面的で物質的と批判。作品に思想的、観念的、哲学的内容を込めようとした(総合主義)のである。
ゴーギャンのポートレイトに変な記号や妖怪や彫刻、工芸品、夢のような模様やデフォルメされた壁紙の模様が描き込まれているのはそのためであり、人の外見からはうかがい知れない内面、夢、観念、神秘、歴史、思想などを象徴として取り入れ、象徴主義(サンボリズム)へと発展させたのである。
まあ、これもいろんな本の受け売りですけど(笑)!
ゴーギャンにはどうしても「才能はあるが人間としてはどうしょうもないクズ」というイメージがある。
当然、作品と作者の人となりは切り離さなければならないし、作品の価値と作者の倫理観は関係がないと思うが、彼の白人至上主義、オリエンタリズム、俺様中心主義、娘のような年齢の女にだらしないところには、時代背景を割り引くとしてもやはりムカムカさせられる。
もちろん、作品を通して、いまだに完全には解決されていないそれらの問題に向き合うという方法もある。
オーディオガイドにもわざわざ「(不道徳な)ゴーギャンを見るのはやめるべき?」というコーナーがあって、他にも不道徳な芸術家の展覧会はいくつも見たことがあるが、ここまでフォローがあるのはゴーギャンが初めてだと苦笑したのだった。
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