コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

感情を経験しきる

2011-04-05 00:28:35 | コミュニケーションワーク

あらためて3日間の「真宗カウンセリングワークショップ in 広島」のことを。

 

年間スケジュール的には私は世話役ではなかったけど、急遽ピンチヒッターで参加することに。

この1ヶ月、祖母の死からいろいろと「すっきりしない」ものを抱えていたのは何らかの形でブログにしてきている。

なので、ゆっくり自分と向き合うワークショップは楽しみでもあり、ちょっと心配でもあり。

 

定員いっぱいの参加者は、多くは8月にもご一緒した皆さん。

初めてお会いする方もちらほら。

会場の神田山荘は、まだ2回目だと言うのになんだかなじみの場所の感じ。

全体のワークから始まり、2日目の午後から3日目の午前までは二つに分かれてのワーク。

 

と、内容には触れないので、外殻だけだとこんな味気ないレポートになっちゃう(笑)

ところが、その書けない内容のところでいっぱい”大きな動き”があり、そのことに浸り、そのことに学ぶことが出来た。

 

 

今回、先に書いたとおり祖母の死のことがあった私は、それまでその「死」と向かい合うことが出来ず、その”死”によって受けているであろう感情をしっかり”経験”することができていなかった。

月例会で学んでいるロジャース氏の論文を通じて、「その経験に開かれている」ということがとても大事だと学んでいるのにだ。

なので、この「経験に開かれている」というのは私にとっては大いなるテーマとしてあった。

私の個人的理解かもしれないが、この「経験に開かれている」というのは、それがマイナスのものであっても、しっかりその経験(感情)を”やりきる”ことだと思っている。

悲しければ、無理に悲しみをこらえるのでもなく、ごまかすのでもなく、しっかりと「私は悲しいんだ」と浸ること。

カウンセリングでは、問題を解決するために指示したり操作したりすると思われがちだが、そうではなく当人が自分で”成長”することを寄り添い見守ることしか出来ない。

その”成長”のためには、時間をかけてでも(むしろしっかり時間をかけて)当人が「今・ここ・わたし」を経験することだ。

 

 

そのことが、私の問題ではないところで展開されているのを感じた。

流れの中で、参加者同士の関わる問題が話題になり「すっきりしない」状況が生まれた。

その「重たい感じ」なことを、自分の言葉で表明された方がいた。

目の前には、そうさせた当事者も居る。(もちろん、わざとそうさせたのじゃなく、受け答えの流れの中での問題だ)

ここはカウンセリングのワークの場でもあるし、じっくり時間をかけてお二人を解きほぐすと言うことも出来たのかもしれない。

おそらく、世間的な「まぁまぁ、ここはひとつお互いに水に流して」なんて表面だけでの解決をとることはしないだろう。

 

そのとき「十分”重たい感じ”を味わって、その上で変わってくるものを感じてもらいたい」と思っている私が居た。

そのためには、当事者が居る場面だとお互いに「そんなつもりはなかったのよ」と言う感じのいたわり・慰めが入ってくると、経験がゆがめられるかもしれないと言う思いもあった。

ちょうど時間的なものもあり、二つに分かれるかどうかと言う話になったので、私は分かれたいと言う意思を表明した。

この時点では、もしお二人が同じグループになったらなったときでその場面に任せておけるし、分かれたとしてどちらの方と同じになってもそのときのその方の「今」に任せておける気がしていた。

果たして、お二人は分かれることとなり、「重たい」と表明された方とご一緒することになった。

 

その出来事に関しての思いや、そんな気分のまま二つに分かれたことに対する思いなどもじっくり聞かせてもらえた。

二つに分かれたことで、もうおひと方がどういう表明をされたり変化されて行ったかがわからないという問題もあったかもしれない。

しかし、二つに分かれたからこそ聞かせてもらえた時間が出来たと思っている。

十分かどうかは分からないが、「経験に開かれた」時間になったのではと。

 

その方のストレートな表現に、周りの方は心配したりする場面もあったかもしれないが、私はその方が信用できるし、信頼できるし、関係作りが出来ているし、いろんな意味で安心している。

 

ちょっと配慮的なところで他のやりようもあったかもしれないが、「私で居られる」時間を過ごしていただけたのではかいかと。

それをゆったりと受けながら味わえてる私でも在った。

 

ただ、私自身がそうありたいと思っていた「経験に開かれている」状態で居れたかどうかは…またゆっくりと振り返ってみるとしよう。

 

 

マイナスの感情があったとしても、そう感じる自分でもいいんだと。


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