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「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

一般的理解では足りないもの  ~「みんなで発達障害を考える会」~

2012-06-10 16:46:18 | コミュニケーションワーク

「みんなで発達障害を考える会」に参加してきました。
主催のサークル囲炉裏の方々、今回の講師の新田氏とは真宗カウンセリング研究会などで長くご一緒させていただいている方々。
新田氏のブログ 

「発達障害」と言うことに関しては、次女や次男の言動にいろいろと傾向を感じ、今までも何冊か本を読んだりネットで記事を読んだりしていました。
また、昨年小P連はぐくみ委員会が「発達障害」を年間テーマに上げ、いくつかの講演会・研修会も参加させていただいています。
発達障害についての講演会について書いたブログ
そんな中、新田氏と話しをする機会も増え、大阪での集まりにも参加させていただいたりしています。

そして今回の「考える会」となりました。
そこで話された内容に関しては、私が中途半端に抜粋して提示するのは怖いなと言う想いがあります。
というのも、今回一番感じたことは、いろんな本や情報、講演などで聞いてきたことで「多少なりとも知っている」と思っていることが一番怖いことだと痛感したのです。
おかげで、まったく知らない、関心が無い時期に比べると、かなりアンテナを張り巡らせて「より正しい」知識に向かっているとは思います。
しかし、「わかったつもり」というのは非常に怖く、下手をすれば当事者を傷つけてしまうことにもなりかねません。

定型発達の方の思う常識…「自分がこうだから相手もこうだろう」という思い込みから一歩はなれて、「違う視点、違うこだわりがあるかもしれない」という柔軟な受けとめ方からスタートすることは理解できますし、心がけることは出来ます。
しかし、そういう「傾向」だと知っているだけのことと、その傾向の元になる「仕組み」まで知っていることには大きな差があるようです。

今回の気づきの一つに、ある情景を認知するために「必要な情報で判断し認知する」ことが出来るとして、発達障害の方の中には「一部に固執する」傾向もあれば、「時間をかけて情報を集めて言語化していってから…というプロセスを踏まないと進めない」傾向もあるということを教えてもらいました。

実際に息子と会話するときに、ある指摘をしたあとすぐに反応が無いことで怒ることがあるのですが、もしかしたらこういうプロセスに時間がかかっているのを、こちらが待ちきれずに反応がないと判断してしまっているんじゃないかと。

そういったいくつもの「思い当たるふし」が、一般的な発達障害の「行動理解」では取り上げられない部分にあることを知りました。

その過程で、私自身にも当てはまる項目がいくつもあることに、妙に納得したりもしています。


中途半端に、知ったことを伝えていく怖さも感じてはいますが、同時に「少しでも知りえたことを広めていくことで、周囲の対応が変化すればいいな」と言う思いもあります。

たとえば、授業で黒板に集中できない子が増えていると聞いています。
そのすべてが発達障害の傾向のせいではないでしょうが、たとえば「黒板の周りにいろんな掲示物があると、そういうものに視線・気持ちがひきつけられて、黒板に集中できない」という特性があります。
ならば、集中できないことをしかったり、そういう労力をさせて疲弊させるよりも、黒板の周りの掲示物を取り払って、黒板しかないようにすることで環境が変わるのならば、大きな変化になりえます。
そういうことを、PTAへの関わりという私の立場で広めていけば、ほんの一つだけでも要因がとりのぞかれるんじゃないだろうかと。

もちろん、そういうことをしっかり正確に伝えるにはまだまだ学びが必要です。
深めてから動くことと、とりあえずでも動けること。
そこを上手くバランスとりながら、何か少しでも支援につながれば、と言う思いがあります。


この会に参加している途中から、無性に次男を抱きしめたい衝動に駆られました。
今までの無理解を知らされたのでしょう。
残念ながら、この会の後に別の会議に出席し遅い帰宅、さらにはその後夜勤で出かけました。
しかし、今日は日曜、夜勤明けで寝ているところにやってきた次男を、布団の中に招き入れてほんの数分ですが抱きしめました。
怪訝な顔してましたが、もともとくっついてくるのが好きな子ですから、向こうも腕にしがみついてきます。

こういう気分の時だけじゃなく、できるだけ常にこうありたいなと。


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