エンカウンターも折り返しを過ぎ、第5回・第6回をレポートしないまま明日はもう第7回目。
第5回目は全員参加だったけど、第6回目は3人お休みでちょっと寂しい感じ。
でも、ここ数回エンカウンターでの裏テーマ(というか、私にとってのテーマだけど)である関係っていうところで、そこに不在の人であっても存在を感じたりしている。
それは以前書いた第4回目の話題で、私の祖母が老いと衰弱のため、周囲と人間的なコミュニケーションを取れていないことを書いたが、そのときの流れで「私に何らかの思いを抱かせているってことで、祖母と私に関係が築かれている」と言う思い。
それがさらに深まって、休んでいる人であっても、その方に関わる(あるいは印象がつながる)話題が出たときに、その方のことを思い出すことがある。
そこに居なくとも、私の中にその人の存在が”話題”として感じられる。
私の思考に影響を与える存在として、私との関係が生まれている。
さらに突き詰めると、無機物であっても、私の思考に影響を与えるものがある。
例えば湯飲み茶碗が目前にあり、それが視覚を通じて意識した瞬間に、私が思考すると言う関係が生まれる。
そこに湯飲み茶碗がなければ、意識することはないのだから。
これは不思議なもので、時には視覚に入っていても”意識”しないものもある。
道を歩いていて、その周囲にあるものすべてを意識してはいない。
視覚に入っていても、意識せず通り過ぎる情報のなんと多いことか。
このことを逆に考えると、心を落ち着けて、ゆっくり内省することで、いままで意識できていなかったものを意識化することが出来ると言うことでもある。
これはカウンセリングの学びのなかで、とても大事なことだと思う。
あるときはそれは感情だったりする。
誰か(何か)に影響を受けて感情が動かされる。
しかし、すぐに思考のブロックで、損得などを判断して感情を押し殺すことがある。
社会での関わり、人間関係などではとても多いことだ。
逆に、そういう損得(配慮)なしで、思ったことを思ったまま伝えることは乱暴だとされる。
まぁ、意識化することと、なんでも口に出すこととは大きな違いはあるのだが。
そういう押し殺して、心の奥に追いやり、ふたをしてしまった”感情”が溜まりに溜まって、ストレスになったり欝になったりしてしまう。
なにも感情を爆発させろと言いたいのではない。
そういう感情が”ある”ってことを、ゆっくり受け止める時間が大事だと言うことが言いたい。
私がカウンセリングで学んでいる傾聴には、自分自身で思ったことを自由に言葉にしていくことで(そのためには安心して話せる環境が必要だが)自分で奥底の感情に気づいていくことが出来る、ゆっくりゆったりしたものがある。
先日の二日間のワークショップでもそれは感じたし、毎週のエンカウターグループでもそれは感じることが出来る。
そういう時間があるのとないのとでは、私にとっては大きな違いがある。
>このことを逆に考えると、心を落ち着けて、>ゆっくり内省することで、いままで意識でき>ていなかったものを意識化することが出来る>と言うことでもある。
>これはカウンセリングの学びのなかで、とて>も大事なことだと思う。
このことは今年に入って自分にとってはとても深めていきたいと感じている所です。
フォーカシングについても、以前はあまりピントこなかったのだけど、最近はなんだか、自分の感覚を大事にというところがかなり高まっている感じで夢中にほりさげたくなっています。
いつも亀レスでごめんなさい。
”自分の感覚を大事に”って言葉がいい感じで響いてきます。
私は基本「自分に自信がない」人なんで、自分の感覚をあまり大事にしてない気がします。
周りの反応を気にして、そういう感覚を表明できないってのもありますが。
でも、カウンセリングの場では、どういう評価をされようが、自分の感覚を表明してみることは出来るようになってきました。
そういう場があることはうれしいですね。
また、よろしくお願いします。