コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

エンカウンターグループ 第3回

2010-10-19 18:03:00 | エンカウンターグループ
相変わらず更新が遅いのですが…
先週の火曜日に第3回のエンカウンターグループがありました。

この日もいろいろな話題が数珠繋ぎのようにあふれかえってましたね。

その中でも印象的なのは…というか、私が感じたことでもあるのですが、週に1回、ほんの2時間だけでも「自分を飾らずに、ありのままでいてもいい」時間があるってことは、とても大事なことだなと。

私自身の中にある大きな要素として「他人に良く見られたい」という欲があります。
実際、こうしてブログで書いている文章でも、「できるだけ訂正なしで思いつくままつれづれに」とは思いつつ、どこかで読む人を意識して、あるときは言葉を濁したり、あるときは摩り替えたりしてしまいます。
特に家族の話や、特定の人物の話になると、腹底の言葉をそのまま使うことに躊躇してしまいます。
というか、そういう話題は触れない様にしているとおもいます。

また、「良く見られたい」と言う思いには、「自分をわかって欲しい」と言うものもくっついてきます。
だから、どんどん言葉が多くなって、誤解されないように神経を注ぎだします。
実際は、言葉が多くなればなるほど、自分のシンプルな芯からそれて行くんですが。


それに対して、このエンカウンターグループの2時間は、他人に向けて話をしだすことから始めながらも、その実は自分自身を見つめていく時間に他ありません。
他人の言葉から刺激を受けてうごめきだす自分自身の思い…それを言葉にしていくことで、自分でもおぼろげだった自分自身に触れることができる。
時には怖くなってそれ以上触れることを拒むこともあるけれど、今触れないだけで、そこに”居る”ことを確認する作業。

周りの人にどのように見られようと、事実としてある”自分自身”だから、(多少は飾るだろうけど)ごまかす必要がない関係性。


別の集まりで感じたことでもありますが(後日書こうと思います)、そういう”場”を作ることで、あるいは出来ることで、そこに居る一人一人、パーソンが勝手に動き出して深まりあうことが出来ます。
それは、誰かが先に”場”を作るってことだけじゃなく、そこに居る人が”場”を作りだし深まっていく。
世話人が最初に意識することは当然必要だろうけど、コントロールするんじゃなくて、その空気感に触れて出来上がっていくものだと思う。

卵が先か鶏が先かではないけれど、どちらかが先に必要な条件じゃなくて、まさに深まっていく感じ。
そこに居るパーソンが、重なり合って、交じり合って、場が作られていく。

トランスパーソナルということを深く勉強したことはないのですが、言葉のイメージから行くと今実感していることが、そのことからそう遠くはないんじゃないかなと…(学術的なところが弱いよなぁ…)
また、パーソンセンターということでは、まさに今体感しているものがそうだよなと。

今日はこれから第4回の集まりがありますので、今はこれまでにして、身を投じてこようと思います。

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