コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

エンカウンターグループ 第2回 の話題からインスパイヤされて

2010-10-09 22:59:20 | エンカウンターグループ
今週も火曜日にエンカウンターグループがありました。

初めて顔をあわせたメンバーなのに、第一回目から一体に深まっていく感じがありましたが、今週も自由に話題が流れて行き、誰かの話題に感化されて別の話題を思い起こす…それを話したくなった今の自分に素直にしたがって話し出す…そんな展開が随所に見られました。

あまりに話題が進みすぎて、ちょっということをためらっていると話題が変わっていることもあるくらい。
でも、話せなかったことが悔やまれることはなく、その流れでは話さないことを選択したのが自分だと言うことに思い至り、そういう縁だったんだなと自然に思えてきます。

そういう話さなかったことのひとつに、以前にあったPTAの会議で出た話題からずっと心に残っている思いが刺激されたものがあります。

エンカウンターグループで出た話題自体は、直接的にこの話題にかかわるものではなかったんですが、刺激されて私の中で熟成されてくる思いとでもいいましょうか。

人というのはまったく同じものではなく、それぞれに差異があります。
そういう差異を認めないことから差別と言うことが起こってきます。
とても悲しいことです。
そこで、そういう差別をなくしていこうという考え方がいろいろと出てきます。
その多くは、差異を問題にしない世の中にして行こうという動きじゃないでしょうか。

それは、その差異の原因になっているものを、変えていこうとするもの。
差異のある人も、多くの人と同じように過ごせるようにしていく。
バリアフリーなんてのもそうですよね。
それはすごく大事なことだと思います。

しかし一方で、「他の人と同じように…」と言う考え方の中には、「今の差異があるままでは駄目なんじゃない?」っていうものが潜んでいる気がします。

私は差異があっても良いと思っています。
ここは間違えて欲しくないのですが、差別が良いというのじゃなく、差異があっても、今そこに居るそのままが「今・ここ・わたし」だと認めていく考え方です。



ちょっと話題がそれますが、見ていたテレビ番組で調子を崩して休んでいるタレント仲間を励ます流れの番組がありました。
仲間の応援…
とても心強いものでしょう。
でも(天邪鬼な)私は、素直に気持ちが入っていきません。
そこに「調子を崩して休んでいる」ことを”良し”としない思いを受け取ってしまいんです。
競争の激しいタレント業界で一生懸命頑張って成功してきた人ですから、頑張れるなら黙って頑張ってるでしょう。
でもそれができなくなったから「休む」という選択をしていると思います。
頑張れない人に「頑張れ」と迫る。
私なら耐えられません。
もちろん、そういう激励をきっかけに動ける人も居るのでしょうが。

動けないときは、動けない「今・ここ・わたし」を認めていく。
差異があっても、自分の理想形じゃなくても、無理のない「今・ここ・わたし」


まぁ、こう言いながらも普段は差異を認めない言動をしている私だという自覚もありますので、その辺はまた書けるときに書いてみたいと思います。

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1 コメント

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Unknown (とのひろ)
2010-10-15 23:22:36
この日は、ここ最近では、自分の気持ちがかなり参っていた状態でグループに参加していました。

そんな中で、自分の今のしんどい感じを途中からこの場で語りたいというそんな思いで気がつけば、こころの思うまま話させてもらいました。

そんな自分の思いに、参加された方が、触れてくださり、言葉をもらえたことも、今になりじ~んときます。

語れたことは大きいし、語ったことで見えていなかった自分が気がついていなかった気持ちが見えてことも大きかったです。

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