コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

言いたいのか、伝えたいのか

2010-05-14 12:12:57 | 親子コミュニケーション・Light
昨日、娘が体調を崩して学校を休みました。
火曜日に発熱で一度休んで、水曜日は運動会…それは少し回復したんで参加したんですが、結構寒かったりしたんでまた調子を崩したんでしょう。

そのときに私はいなかったんですが、連れ合いが学校を休むかどうかたずねたときに、どちらともつかない態度に次第にイライラしてきたようです。
(まぁ、本人はしんどいんだから頭もそうそう回ってなかったと思います)

連れ合いとしても、欠席ならば学校に連絡をしなければいけないし、自分の仕事に出かける時間もあるので余裕は無かったんでしょう。
「言わずにおれなかった」という表現をしてましたが、少しきつい言い方をしていたようです。

ここでいつも思うのですが、この「言わずにおれない気持ち」にはいくつかの複雑な思いがあるようです。

言いたい事を「言いたい」のならば、相手の状態がどうあれ、こちらの感情のままに(感情を満足させるために)一方的に投げかけることに主題があるのでしょう。
相手が泣こうが困ろうが怒ろうが、私が「言い切る」ことができれば、それでOKのはずです。
乱暴な言い方をすれば、内容が伝わらなくてもいいんです。

しかし、「伝えたい」(聞いて欲しい)のならば話は変わります。
こちらの言い方に、相手の様子を盛り込んで話す必要が出てきます。
こちらが乱暴な態度に出て、相手が心を閉ざせば、いくら丁寧に伝えようとしても、言葉は伝わりません。
「言わずにおれない」というときはおそらく何らかの感情が動いていますから、最初はこちらの「思い」で言葉を発し始めるでしょう。
そこで、そのまま自分の感情を押し付けるのではなく、一度相手が「聞けている」かどうか確認する「一息」が必要になってきます。
そのことを思い出せるかどうか…確かに感情的になっているときは難しいと思います。
だから、自分のためにも「一息」つく。

私は「言いたい」のか「伝えたい」のか。

伝えるということは、双方向のコミュニケーションです。
相手がそこに「居る」ことをしっかり認識して、「寄り添う」気持ちを思い出してください。

でも実際は「伝えたい」のに、相手をどこかに置いといて自分の感情とお付き合いしちゃいがちです。
伝わらなかったことで、余計に困ったり悲しくなったりして、さらに感情がかき混ぜられて「自分でも何がしたいのか分からない」ことになっちゃいませんか?

もちろん、「言わずにおれない気持ち」の中身は複雑で、簡単に分析することは出来ないでしょう。
ましてや感情が燃えたぎってるときにはなおさらですね。

まぁ、分析することはしなくても、一息ついて、声のトーンを落として、ゆっくりと話するようにする…
コミュニケーションって事から行くと、自分のためにも一息つくのは大事ですよ。

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1 コメント

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名神集中工事 (カワラヨモギ)
2010-05-17 08:48:52
manuさんお疲れ様です。
お忙しくされているようですがお身体大事にされてください。

相変わらず週末は仏法です。望むと望まずを問わず(泣笑)
このたびは北陸、金沢に行きました。
当初は予定していなくて、相方がどうしても行きたいというので急遽仕事をやりくりして早朝出発、名神の集中工事に遭い大渋滞・・・
工事は知っていましたが行く予定にしていなかったので失念、明らかに間に合わないことがわかると自分に腹が立ってパニック状態(炎)

(そのことを思い出せるかどうか…確かに感情的になっているときは難しいと思います。)

京都で高速を降り、少し冷静さを取り戻して気づいたのが(寄り添ってない感覚)。
どうしても行きたがっていた(結構な犠牲をはらって)相方をサンダーバードに乗せトコトコとR161経由で金沢に向かったわけです。

その後のご法話や法座、懇親会の話もしたいのですが、長くなるのでまた今度・・・
今回のブログを読んで、すごく共感しました。
何でも出てくる自分、ちょっと怖いですね。

しかし、金沢は良いところでした、皆さんにもよくしていただき喜んでいます。

雄大な山がまだ雪を頂いて、聞不具足 信不具足の僕を見下ろしていました。支部長さんに(白山)だよと教えていただきました。
ミニ門法旅行でした。疲れましたけど(寝)
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