金曜日は小学校の授業参観日でした。
午前にはPTAの役員会、午後には学級委員選挙の開票と、お手伝いも盛りだくさんだし、PTA役員になったことで今まではスルーあるいは連れ合いに任せていた学級懇談会にも顔を出してみました。
おかげで、いろんなことを思わせてもらえます。
授業参観をして、上の子の4年生のクラスはずいぶんおとなしくなった印象があります。
まぁ、ちらちらと横や後ろの親を探して見るのは相変わらずですが、そこそこ静かに授業を受けてます。
もう4年生にもなり落ち着いてきていることと、先生がちょっと厳しい感じがあるからかな。
下の子の2年生のクラスは、昨年はまだまだ1年生成り立てで、授業参観にもなれてなく、かなり緊張した感じだったのが、2年生になり学校にもなれ(舐め?)先生が話しているときは前を向くものの、各自で考える時間なるととたんに横や後ろをむいておしゃべり。
まぁ、内容は「自分は分かった。お前は?」ってな感じで授業に関することなんでまぁいいのですが、当然それだけで終わらず「お前のかあちゃん来てるぞ」「あのおっさんは誰?」ってな話題も当然花盛り。
参観日以外はそんな話題もする必要は無いでしょうけどね。
で、私としてはその後の懇談会がなかなか考えさせられるものがありましたね。
一通り先生から報告や方針の説明があったあと、参加した保護者に「おうちでの様子を教えてもらったり、ご質問があれば」と順番に話して行きます。
そのなかで漢字の学習方法について話題になりました。
主旨としては「昨年までと漢字学習のやり方が変わったので、子どもが戸惑っている」というものです。
私としては先生ごとに個性や方針があるだろうし、学習要綱の最低限があればいいんじゃないの?って感じでしたが。
ところが、何人かの方が同じことを話題にされます。
PTA役員会での話題でもあったのですが、この「今までと変わる」ということが気になる人が多いんでしょうね。
まぁ振り返れば私も「今までがんばってきた」ということが変えられると「私のやってきたことって…」とショックを受けたり面白くなかったりします。
で、お母さん方もおそらく「今までと変わると”わたし”が困る」ということがあると思うのですが(当然、子どもの戸惑いもあるでしょうが、子どもが戸惑って親が困るんですね)伝え方が「今までと変えて欲しくない、同じにして欲しい」という”要求”になるものですから、ちょっと緊張した場になってきます。
先生としては「こういう理由でこういう方法を取っています」と説明もあるのですが、「今までと同じに」という大前提が先にあるとその言葉もなかなか届かないようです。
で、一旦先生も要求を受け取るのですが、「私も困っている」と後から順番がくるお母さんも同じ話題になります。
こういう懇談会ですから仕方ないんですが、先生が一人で振り、一人で受ける「1対多」のしかも司会的役割なしですから、上手く回らないんでしょうね。
(私も「でしゃばったらまずい」と隅っこでおとなしくする性質なもんで…)
また、表面上は「学習方法」という手段についてやり取りしていますから、「困ってる」という気持ちを確認して受け取る手順が抜けます。
そうするとその手段という要求が呑まれるまで満足できないんでしょうね。
気持ちを受け取ることが出来れば、手段については「考慮します」でいけるかもしれません。
まぁ、気持ちのところでしっかりと受け止めるコミュニケーションをするには、感情を整理する第三者が間に入るか、あるいはじっくり時間をかけて「気持ちを表明しても大丈夫」という場が熟成されるまでの関係をつくるかでしょうね。
というか、そういうことがとても大切なんだと。
今回の懇談会で、先生の方針として一番に「話の聞ける子になってほしい」ということをあげてくださってました。
もちろん、「学習の基本としてまず話を聞かなければすすまない」ということもあるでしょう。
それもこみで、「話を聞く」ことを大事にしている私としては、当たり前のようなこのこともしっかりと言葉にして下さったことがうれしかったですね。
先生もおかあさんも、「子どもを大事に」ってところで一致はしているはずです。
まだまだ関係が始まって1ヶ月。
双方、「こうあってほしい」という要求は多々あるでしょうが、押し付け合いじゃなく、「じゃあどうしようか」という方向で関係が深まっていけばいいなと思ってます。
PTA役員のほうも、まだあまりでしゃばることは出来ないと思ってますが、今までの流れは受け止めながら、その是非だけにとらわれるんじゃなくて「じゃあどうしようか」という方向に向けていけてる気がしてます。
今年、PTA役員になったという”流れ”は、こういうことの渦中に関わっていく”流れ”なのかな、と少し感じてきました。
明日は日曜礼拝。
今年PTA役員をご一緒させてもらってるお母さんがたと、この日曜礼拝でもすでにご縁があったことが分かりました。
こんなちょっとしたことで、関係が深まった気がするのも面白いことです。
午前にはPTAの役員会、午後には学級委員選挙の開票と、お手伝いも盛りだくさんだし、PTA役員になったことで今まではスルーあるいは連れ合いに任せていた学級懇談会にも顔を出してみました。
おかげで、いろんなことを思わせてもらえます。
授業参観をして、上の子の4年生のクラスはずいぶんおとなしくなった印象があります。
まぁ、ちらちらと横や後ろの親を探して見るのは相変わらずですが、そこそこ静かに授業を受けてます。
もう4年生にもなり落ち着いてきていることと、先生がちょっと厳しい感じがあるからかな。
下の子の2年生のクラスは、昨年はまだまだ1年生成り立てで、授業参観にもなれてなく、かなり緊張した感じだったのが、2年生になり学校にもなれ(舐め?)先生が話しているときは前を向くものの、各自で考える時間なるととたんに横や後ろをむいておしゃべり。
まぁ、内容は「自分は分かった。お前は?」ってな感じで授業に関することなんでまぁいいのですが、当然それだけで終わらず「お前のかあちゃん来てるぞ」「あのおっさんは誰?」ってな話題も当然花盛り。
参観日以外はそんな話題もする必要は無いでしょうけどね。
で、私としてはその後の懇談会がなかなか考えさせられるものがありましたね。
一通り先生から報告や方針の説明があったあと、参加した保護者に「おうちでの様子を教えてもらったり、ご質問があれば」と順番に話して行きます。
そのなかで漢字の学習方法について話題になりました。
主旨としては「昨年までと漢字学習のやり方が変わったので、子どもが戸惑っている」というものです。
私としては先生ごとに個性や方針があるだろうし、学習要綱の最低限があればいいんじゃないの?って感じでしたが。
ところが、何人かの方が同じことを話題にされます。
PTA役員会での話題でもあったのですが、この「今までと変わる」ということが気になる人が多いんでしょうね。
まぁ振り返れば私も「今までがんばってきた」ということが変えられると「私のやってきたことって…」とショックを受けたり面白くなかったりします。
で、お母さん方もおそらく「今までと変わると”わたし”が困る」ということがあると思うのですが(当然、子どもの戸惑いもあるでしょうが、子どもが戸惑って親が困るんですね)伝え方が「今までと変えて欲しくない、同じにして欲しい」という”要求”になるものですから、ちょっと緊張した場になってきます。
先生としては「こういう理由でこういう方法を取っています」と説明もあるのですが、「今までと同じに」という大前提が先にあるとその言葉もなかなか届かないようです。
で、一旦先生も要求を受け取るのですが、「私も困っている」と後から順番がくるお母さんも同じ話題になります。
こういう懇談会ですから仕方ないんですが、先生が一人で振り、一人で受ける「1対多」のしかも司会的役割なしですから、上手く回らないんでしょうね。
(私も「でしゃばったらまずい」と隅っこでおとなしくする性質なもんで…)
また、表面上は「学習方法」という手段についてやり取りしていますから、「困ってる」という気持ちを確認して受け取る手順が抜けます。
そうするとその手段という要求が呑まれるまで満足できないんでしょうね。
気持ちを受け取ることが出来れば、手段については「考慮します」でいけるかもしれません。
まぁ、気持ちのところでしっかりと受け止めるコミュニケーションをするには、感情を整理する第三者が間に入るか、あるいはじっくり時間をかけて「気持ちを表明しても大丈夫」という場が熟成されるまでの関係をつくるかでしょうね。
というか、そういうことがとても大切なんだと。
今回の懇談会で、先生の方針として一番に「話の聞ける子になってほしい」ということをあげてくださってました。
もちろん、「学習の基本としてまず話を聞かなければすすまない」ということもあるでしょう。
それもこみで、「話を聞く」ことを大事にしている私としては、当たり前のようなこのこともしっかりと言葉にして下さったことがうれしかったですね。
先生もおかあさんも、「子どもを大事に」ってところで一致はしているはずです。
まだまだ関係が始まって1ヶ月。
双方、「こうあってほしい」という要求は多々あるでしょうが、押し付け合いじゃなく、「じゃあどうしようか」という方向で関係が深まっていけばいいなと思ってます。
PTA役員のほうも、まだあまりでしゃばることは出来ないと思ってますが、今までの流れは受け止めながら、その是非だけにとらわれるんじゃなくて「じゃあどうしようか」という方向に向けていけてる気がしてます。
今年、PTA役員になったという”流れ”は、こういうことの渦中に関わっていく”流れ”なのかな、と少し感じてきました。
明日は日曜礼拝。
今年PTA役員をご一緒させてもらってるお母さんがたと、この日曜礼拝でもすでにご縁があったことが分かりました。
こんなちょっとしたことで、関係が深まった気がするのも面白いことです。
PTAの活動は子供が小学校のときやったな、なんか新聞みたいなのを作って皆さんに配る(保護者)・・・順番でやらされた感があって、しかも例年通りのものを、ということで斬新なアイデアは排除されますから、楽しくなくて積極的に取り組めませんでしたね。
(じゃあどうする)とか その時はおもいもしませんでしたね。
さて、その(おもいもしない)心はどこにあって一体何?という、また面倒くさそうな、面白そうな・・・テーマを考えています、と言っても深くなんて考えれないので表面だけ(笑)
かりもん先生いわく(それは見えないし、どこにあるかわからないけど、確かにいろいろ反応する、日ごろは意識しないが縁に触れると立ち上がってくる)本当だなと思いました。
しかも一瞬にしてその(心の)状態は真逆にでも変化するし、平常心を保ちたくてもいう事を聞きませんし、 自分の心なのに自分でコントロールできないなんて・・・縁に触れるとたちまちいろいろ主張しだす。
訓練とかすれば表面上は体裁を繕うことはできても、本当の自分の心はどうすることもできないんじゃないかな、って 今、書いてて思いました。
しかし、(心)(こころ)(KOKORO)どこにあるんでしょうね~
そんな不確かな心を頼りにしてる僕はあほですね。
おぉ、PTA活動されてましたか、大変だったでしょ。
>(じゃあどうする)とか その時はおもいもしませんでしたね。
うん、そうやって動いていくのはなかなか大変だと思いますよ。
私の場合は、そういう「動くタイプ」ってことも込みで誘われたようなので…ってこのことも本当にそうかどうか「自信がもてない」タイプなんで、先日誘ってくれた方に「こんなことばかっり言ってるけど良かった?」とたずねて安心してるんですけどね。
> さて、その(おもいもしない)心はどこにあって一体何?という、また面倒くさそうな、
>面白そうな・・・テーマを考えています、と言っても深くなんて考えれないので表面だけ(笑)
そういう素直に動く「カワラヨモギ」さんが素敵です。
先生に言われて「本当だなと思いました」ってのがすごいことで、自分で見つけられんものを「教えられて」うなづいていく。
それしか出来ないなと。
そして
>今、書いてて思いました
っていう風に、変わっていくその刹那刹那の「いま」に立っていくんですね。
すっごく「柔らかい」って感じてます。
>そんな不確かな心を頼りにしてる僕はあほですね。
「あほ」だと思われてるんですね。
そうですねぇ「あほ」ですねぇ。
その「あほ」がお目当てだと言って下さってるんですねぇ。
もったいないですね。