いろいろ書きたいことはあるんだけど…まとめることで明日になるよりは小出しにしてでも今日のうちに。
今回の報恩講で私の中に生まれたいくつかのテーマの中のひとつ。
「念仏を申しやすい生活とは」
一人の生活のほうが念仏しやすいのならば一人に
家族と一緒のほうが念仏しやすいのなら家族と一緒に
このことを繰り返し聞かせていただいた。
他の人はどうかわからないが、私にとってはこれは「逃げ道」の封鎖でもある。
逆に言うならば、「一人だからお念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を駄目とし、「家族と一緒にいるからそっちのことも考えんならん、だから念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を理由にする…
隣の芝生は青い…
そう、どのような環境にあってもそれを良しとせず、次々と欲を求め、ないものねだりがやまないのが私なのだから。
どのように変わっても今以上の「念仏申しやすい生活」はない。
あるのかもしれないが、そんな当てのないものに頼る暇があれば、「今・ここ」でお念仏させていただくだけだ。
「念仏を申しやすい生活とは」
この問いは、今を良しとせず、あらゆる状況を言い訳にして、お念仏しない原因を外に置いている姿。
呼び声はただひとつ
ただわが名を称えよ。
南無は帰命。
召還の勅命。
南無阿弥陀仏
今回の報恩講で私の中に生まれたいくつかのテーマの中のひとつ。
「念仏を申しやすい生活とは」
一人の生活のほうが念仏しやすいのならば一人に
家族と一緒のほうが念仏しやすいのなら家族と一緒に
このことを繰り返し聞かせていただいた。
他の人はどうかわからないが、私にとってはこれは「逃げ道」の封鎖でもある。
逆に言うならば、「一人だからお念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を駄目とし、「家族と一緒にいるからそっちのことも考えんならん、だから念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を理由にする…
隣の芝生は青い…
そう、どのような環境にあってもそれを良しとせず、次々と欲を求め、ないものねだりがやまないのが私なのだから。
どのように変わっても今以上の「念仏申しやすい生活」はない。
あるのかもしれないが、そんな当てのないものに頼る暇があれば、「今・ここ」でお念仏させていただくだけだ。
「念仏を申しやすい生活とは」
この問いは、今を良しとせず、あらゆる状況を言い訳にして、お念仏しない原因を外に置いている姿。
呼び声はただひとつ
ただわが名を称えよ。
南無は帰命。
召還の勅命。
南無阿弥陀仏
この私一人です。言い訳、逃避の塊。
それを夢にも知らん私だと、
大罪を大罪と聞かせてくださる。
そこへ帰らせてもらう、仏智不思議。
そこで南無阿弥陀仏と出てくださる、願力不思議。
あぁ、大罪という言葉は私の中に出てきていませんでしたね。
この言葉でとてもすっきりさせていただきました。
もっともすっきりしたのは「言葉としてはっきりした」という点だけで、あらためて大罪と突きつけられると…
いや、そのことで自己評価しようとしまいと
>大罪を大罪と聞かせてくださる。
これだけですね。
>そこで南無阿弥陀仏と出てくださる、願力不思議。
南無阿弥陀仏