コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

報恩講…(関わりの観点から)

2010-01-12 15:24:20 | コミュニケーションワーク

報恩講が終わりました。
いろんな出会い、それぞれのご縁をとおして私自身への出会い、そして気づきを頂きました。

ご法話や座談でのことで感じたこともいろいろ書きたいのですが、その前に関わり方の部分でどうしても書き留めておかないと私自身が次に進めないなと思うことがあるので、そのことを書きます。

これは決して後悔ではなく、反省とは言えるかもしれませんが否定的な気持ちはなく、ただ、こういう自分がいたということを言葉にしておくことで次につながればいいな…という感じです。


最後の座談会、少ない限りある時間であり、それに対して多くの方とご一緒させていただいた場でした。
ある方が口を開いて疑問点をたずねてこられます。
私からすれば、つい今いただいたご法話の中でまさしくそのことを教えてもらっていたと思えるものでした。
そのご法話をされた先生もご一緒されていたのですが、私は自分の気持ちに任せて(間違いがあれば先生が正してくれるだろうという気持ちも含めて)ご法話でのお話の中身を確認する形でお伝えしてみました。

そのときはここに留意することが抜けていたのですが、今思えばその方が「たずねたかった気持ち」ではなく、理解・納得レベルのところで答えていた気がします。
その方も(回答の中身に)納得できない、私も(納得しようとしかしない態度に)納得できない。
思えば同じ事を言葉を変えて伝えようとしていただけだったなと。

でも、私自身はこれを駄目だったとは思えません。
そのときの私は、そういう動き方をしたかったのだと思うし、そのように動いていた。
ただ、未熟だっただけです。

いつしか話の流れで、その方の態度のところからはなれ、そういう身に対しての「本願のこころ」を軸にすすみだしたように思います。
このことも、つい今聞かせてもらったご法話で話してくださった内容です。

(こうして思えば、私が何かを伝えているのではなく、全部お話くださったことを私がなぞってるだけですね。まぁ当たり前の話ですが)

しかし、自分の姿ばかりを問題にして、なかなかお心に向きません。
別の方がその方の態度に「聞いてほしい」ということを叫びとして打ち出されます。

先に私のほうが感情的な言い方をしていたかもしれませんし、この方の叫びの後から感情的になったのかもしれません。
今はそのあたりは覚えてないのですが…

ここが今回、私が問題としているところです。
相手の方の気持ちではなく、この叫ばずにおれなかった方の気持ちを大事にしている私がいました。
言い換えれば叫んだ方の感情に巻き込まれていた…
これが良い悪いじゃなく、違うことも出来たはずだなという事を、自覚としてとどめておきたいと思っています。

叫んだ方の気持ちを聞いてほしかった

これは紛れもないそのときの私の軸でしたから、まったくそのとおりに動いている私がいただけです。
ただ、そういう方向の人が数人がかりで一人の方に向かっていく…そのときのご本人のお気持ちはたずねてないのでわかりませんが…(私だったら一生懸命自分を守ろうと構えちゃうでしょうね)いや、だからこそそこをお尋ねすることが大事だったなと。
私が言いたいことはちゃんと言ってくださる方が居られたのだから、余計に一緒にならずに動く道もあったはずです。

もし今後似た場面があったとして、実際にどのように動くかはわかりませんが、こうやって言葉にすることでもう一度私の中に刻んでおきたいと思いました。


丁寧に関わるには、今の私には「ゆっくり関わる」という時間的要素がますます大事だと思っています。
かといって、そうじゃないとき(限られた時間)は無理だ、仕方がないでは終わらせたくない気持ちもあります。

私にとっては大事な気づきとなりました。


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6 コメント

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今・ここでの時間 (Mille)
2010-01-13 18:19:38
報恩講、お疲れさまでした。
僕の中では、いろいろと心が揺さぶられたご縁でした。

反省会の後で少しお話をさせていただき、ありがとうございました。
感じていることを受け取っていただきながら、改めて基本的なところ(自分のできるところと相手がするところ)を気づかせてもらいました。
うれしかったです。

この記事を読ませていただいて、私は、MANU.さんが座談の場を本当に大切にされているんだなと感じました。

それから、読ませてもらっていて、私のところで気になっているが話題が私の中でてきたので、書いてみたいなと思いました。
MANU.さんは、「ゆっくり関わる」という時間的要素をますます大事に思っておられるんですね。
私も相手の方とゆっくり関わる時間というのは、とても大事だなぁと思っていますし、またそういう時間がすごく好きだったりします。
そのこともあって、短く限られた間の会話をしている時に、「また今度、ゆっくり話がしたいな」と思いながら話を聞くことがよくあります。
だけど、そういう時って、まだあるかどうかも分からない未来の「ゆっくり関わる」機会というのに注意がいってて、「今・ここ」での相手との時間が上の空になっていることが私にはよくあります。(いつも後から気づくことですが)
「ゆっくり関わる」時間というのを大事にするというより、その時間に固執してしまっている私がいるなぁという感じがします。
時間というところで、改めて、「今・ここ・私」ということろでの相手との関わりを大切にしていきたいなと思いました。

ブログの内容からはだいぶそれた話になりました。すいません。
ただ、この記事を読ませてもらったから出てきた私の思いだったので、書かいてみたいと思いまいた。
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re:今・ここでの時間 (MANU.)
2010-01-14 02:46:53
「Mille」さん、どーもです。
座談ではご一緒できなかったけど、ほんの少し一緒に話したことがとても深い味わいを残してくれました。

>感じていることを受け取っていただきながら、改めて基本的なところ
>(自分のできるところと相手がするところ)を気づかせてもらいました。
ちょっとしゃべりすぎたかなって気もしてたけど、こう書いてくださって安心しました。
私もうれしいです。

>「ゆっくり関わる」時間というのを大事にするというより、その時間に
>固執してしまっている私がいるなぁという感じがします。
あぁ、大事なことを言って下さいました。
私自身、これを読んだときにハッとした感じがあったんです。
きっと、私もそういうことをしていて、言葉にならずに抱えていたものを、「Mille」さんが言葉にしてくださった…そんな感じです。

またもう一方では
>短く限られた間の会話をしている時に、「また今度、ゆっくり話がしたいな」
>と思いながら話を聞くことがよくあります。
という「Mille」さんはしっかり「今・ここ・わたし」を大事にいていると感じています。
自分の内から湧き出る感じをちゃんとキャッチしてる。
一見、相手をないがしろにしている感じがあるのかもしれませんが、そういう気持ちを隠したりごまかしたりしだすと、不一致になってしまうんじゃないかな。

この辺はデリケートで難しいところですね。

もうちょっと丁寧にこの辺を書いてみたい気持ちもありますが、今日はここまで。
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re: re:今・ここでの時間 (Mille)
2010-01-14 08:30:02
コメント、ありがとうございます。

MANU.さん自身、読んでくださっている時にハッとした感じがあったんですね。
その気づきを「そのまま」書いていただけて、うれしいです。

「また今度、ゆっくり話がしたいな」という思いも私自身から湧き出ている思いの一つなんですよね。
それをごまかしたり隠したりすると、不一致になってくる。
本当にそうですね。

相手との「今・ここ」での時間を大切にすると同時に、
「私」の思いも歪めたり隠したりせず、「そのまま」受け取ることが大切なんだなと思いました。

そして、この二つは今回コメントとして言葉で表現してみて、
MANU.さんのおっしゃるように、デリケートで難しいところだなぁと感じます。

>書いてみたい気持ちもありますが、今日はここまで。
というところからも、「今・ここ」というところで湧き出る気持ちを受け取りながら書かれたコメントなんだなぁと感じます。
ありがとうございます。
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re_2:今・ここでの時間 (MANU.)
2010-01-15 02:44:28
「Mille」さん、どーもです。

素直に受け取ってくださる「Mille」さんを感じます。
こうやって返してもらうことで、私の中でもまた深まってきます。

>MANU.さんのおっしゃるように、デリケートで難しいところだなぁと感じます。

自分のほうで「デリケート」なんて言葉を使っておきながら、あらためて返してもらうとその「デリケート」について自分がどう思っているかをたずねなおすことが出来ます。

で、浮かんできたものがひとつ。
相手を大事にしたいという気持ちも、相手のためじゃなくて、私のための思いだということ。

これは大事な気がします。
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re_3:今・ここでの時間 (Mille)
2010-01-15 10:26:56
「MANU.」さん、コメントありがとうございます。
こうして深め合わせていただける場があることを、とてもありがたく思います。

「MANU.」さんは、「デリケート」ということについて自分がどう思っているかをたずねなおされたんですね。

>相手を大事にしたいという気持ちも、相手のためじゃなくて、私のための思いだということ。
>これは大事な気がします。
このメッセージを読ませてもらった時、すごく深い言葉だなと感じました。
そして、私の中で繋がったのが仏法。
どこまでも、どこをきっても、「俺が俺が」のところで生きている自性。
だからこそ、「相手のため」というのではなく、その気持ちはどこまでも「私のため」というところに立ち返えらせてもらうことができるのかなと思いました。
南無阿弥陀仏。

また、どこまでも「私のため」というところで動かさせてもらっているゆえに、
相手を操作するどころか、相手をどうにかできる立場ではなかったなと気づかさせてもらいます。
私自身は、無力なんだと。(事実として)

でも、そうした事実を「そのまま」受け取らせてもらいながら(これは、折にふれて何度も何度も気づかさせてもらう必要があると思います)、
育ち合う人間関係をきずいていけたらなと思います。
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re_4:今・ここでの時間 (MANU.)
2010-01-16 01:32:35
「Mille」さん、どーもです。

>そして、私の中で繋がったのが仏法。
そうですよね。
もう自然と仏法がベースになっている。

「Mille」さんのなかに、しっかりと「真宗カウンセリング」が根付いているのを感じます。
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