あっという間の10週間でした。
家族の協力(子どもたちよ、留守番ありがとう)もあり、世話役として遅刻欠席なしで参加できました。
そういう役割がないと、気を抜いて、遅れても良いやとか、気分的に休もうかなんて、自分をゆるくしてしまうのが私の根性ですから。
といっても、世話役だから「絶対に行かなければ」という強迫観念があったわけではなく、参加の糧として押さえさせてもらって、そこから発生する意欲に任せて動いてた…うーん、言葉にすると硬いですが、結局「楽しんで参加してた」ってことです。
今回は逐語録検討は無く、前半は実践、後半は分かち合いと感想文作成でした。
全員参加だったので、あまることなくペアが組め、私はご指名も受けてAさんと。
今回初めて参加された方ですが、この10週の間に、ミニカンだけでなく月例会や法座でもごいっしょしてます。
経験を積むっていうのはすごいことだな、と、Aさんを通じて感じます。
最初から上手に聞く方だと思ってましたが、今回組んでみてすごく自然な姿を感じたし、話しながら自分で気付いていく様も感じましたね。
話をするときに、しっかりとこちらの目を見て話する方です。
そういう時のエネルギッシュな感じは、時には聞き手として圧倒されて”びびる”こともあるのですが、真剣さは伝わるものの威圧感はなく、聞いていて心地よいものがあります。
話題も深いテーマで、私自身の興味にシンクロするところでしたが、クラエントさんの「話したいように話してもらう、気付きに任せる」という感じが、私の中に自然に生まれて、楽~に聞いていました。
この10週間の間に重ねられてできた「関係」があるからだと思いますね。
一元の関係として、「どんな相手だろうと同じように聞く」ということを意識する研修も意味がありますが、こうして出来上がっている関係の上で「今・ここ」のところで自然に、二人の距離感に任せて聞くことも大事な研修なのかな、と。
そう考えると、今回の10週間は自然に聞いていた気がします。
以前は「カウンセラーの聞き方は」ということを意識して研修に参加していた気がしますが、2年ほどのブランクを経て、またその間にもいろんな関わりの中で”実践”を積んできた上で、今回は「余計な意識」なしに関われていたと。
「こうあるほうがいいのかな」という風に研鑽していくのもいいんですが、そういう時はいろいろ意識して聞くことに集中してないですもんね。
「聞く」態度や型を学んできた上で、それを意識じゃなく体感で消化しておければ、自然と振舞える…。
もちろん、まだまだ達観したり完成されたものではないと思いますが、「カウンセリング観」の部分を深めていければ、型は勝手についてくる…そんな感じです。
もちろん、ロジャースさんや西光師の言葉に何度触れても、その到達されたものに沿えていない自分を感じます。
まだまだ、学ぶべきところも、経験しなければいけないところも。
まぁ、到達できると思っている時点で間違ってますがね。
ちょうど、今日実践させていただいた話題を通じて、Aさんが課題にされていることを私も通ってきたことを味わっていました。
その課題は、まだ結論が出てはいないのですが、経験を重ねる中で少しずつ気付いてきていることがあります。
おそらく、知識的に「こう対応すべし」というものでは軽くなってしまうでしょうね。
こればかりは一足飛びに行かない。
むしろ、いろんな課題にぶち当たるたびに、葛藤を抱えながら学ばせてもらえんるんだろうなと。
経験で味わえることがあればあるなりに、未熟で足りないところがあれば足りないなりに…
それが「いま・ここ・わたし」であり、相手との「いま・ここ」の関係であるしかない。
理想は理想として持ちながら、「いま・ここ」をしっかりと踏みしめていることから始まるのかな。
良い時間を過ごさせてもらいました。
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