コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

自分では知らないが、人が知ってる私

2006-05-21 02:21:21 | 真宗カウンセリング
18日に書いた「正解があるなら聞きたいが…」にいろいろコメントをいただきました。
ありがとうございます。せっかくなのでコメントへの返信を含めて今日のブログにします。

「haruki」さん、どーもです。
>僕は、正解はないと思っています。仮にあったとしても、一人の心を持った人間が、
>カウンセリングや何かの正解の中に収まりきるとは思いません。
私もそう思います。タイトルの「正解があるなら聞きたいが…」の「…」の部分は否定の意味でつけました。「そんなものあるはずないだろうしね」っていうことです。

>対人関係で、カウンセリングを用いれば武器にもなり、相手を傷つけることもあります。
これも痛感します。このあたりも、1年以上前にカウンセリングの「モノマネ」をしていた頃は誤解して、しらずしらずのうちに武器にしていたこともあったと思います。

>よくよく注意が必要です。・・仏法とおなじですね
はい。

「とのひろ」さん、どーもです。
>その場にいたものとしても触発されることは多くありました。
このテキスト情報以外の「空気」や「熱」を一緒に感じている方の言葉は、今の私には大変貴重なものだと思ってます。

>MANUさんの気持ちとは別のところでとらえたり、感じたりしている方がいる。
>そのところを感じていくことって僕はとっても大事なことなんだろうなって
>気がしています。
そうですね。別のところでのとらえや感じをじっくり聞いていません。軽く聞いてしまうと、また私の枠の中で聞いてしまいそうですし、聞かせてもらおうと思ったら腰をすえてしっかり向き合うことが必要だと思っています。そのときは、相手の方の感じより、そのことを通しての私の感じで終わってしまってますね。改めて気付きました。

>受けての方ではそう感じれない人がいる。そのずれを感じて、みていかれると、
>自分の中でまた新たな発見があるように感じます。
良い機会をもらっていると思います。明日、もしかしたら「耳障り」とおっしゃった方と法座でご一緒するかもしれません。こちらから蒸し返すような動きはしないつもりですが、もしかしたら顔をあわせることでなにか動きがあるかもしれません。

>今はちょうど型にはまってきておられる時で、そこからちょっと視点を変えて
>見ていかれる時期がきているのかなと思いました。
そうですか、型にはまってきている…自分ではなかなかわからないことですね。教えてもらうことが大事ですね。私のタイプ的に陥りやすいところだと認識してます。(すぐ調子に乗ってしまいます)「視点を変える」ことを心に留めて、実践してみたいですね。

ほんとうに、いろんな方の言葉で自己を知ります。自分で自分は見ることが出来ない。人との関わりの「鏡」で、初めて見せてもらうものだと。
ありがとうございます。


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